第50話 魔女の願い
「オリスは、木こりだった」
壁を背に膝を抱いて座る魔女と、その隣に胡坐をかいて座るリコー。
ぐず、と鼻をすすりながら、魔女はぽつり、ぽつりと語り出す。
「オリスはドライアドの中でもはぐれ者のボクと一緒に居てくれた。あいつはヘンなやつだったんだ。そもそもの出会いからして」
「な、なあ魔女さんよ。俺は一応話を聞いてやることにしただけで、時間が無いのには変わりがないんだ。今でさえ一刻も早く外に出たい。できれば手短にしてもらえるとありがたいんだけど……」
リコーが恐る恐る切り出すと、魔女にぎろ、と睨み返されてしまった。
「ボクの話を聞いてくれたら完全に解毒する薬をやると言ったのは確かにボクだけれどね、そもそもキミがあんなものを呑ませるから悪いんだぞ。いいか、アレは本来媚薬と乱暴に呼称していいものじゃないんだ。より正確には強力な興奮作用付きの自白剤さ。体温をガンガンに高めて、興奮物質を分泌させて、その上で感情の制御が利かなくなるように脳の一部を麻痺させる。とんだ毒薬だよ全く。それにキミは昔からデリカシーが無くて……ああいや、キミじゃないんだけどな。オリスなんだけど」
「そ、それ気になってたんだよ。俺とそのオリスとやらとに何の関係があるんだ」
リコーは魔女が自分の行動を棚に上げている事等々には突っ込まず、話を前に進めるための質問をした。
もちろん魔女もそれが分かっているのでふぅ、とため息を吐くが「まあもうどうにでもなれ、だしな」と吐き捨てた。
「キミとオリスの関係を端的に言ってしまえば、別世界のそっくりさん、ってところだ」
「……えっと?」
「そもそもボクがキミを召喚したのは、オリスの魂をこの世に呼び戻す作業の一環だったんだ」
「は?」
リコーの理解が追いつくのを待たずに、魔女は次々に続ける。
「オリスは突然いなくなってしまった。禁域の外縁部で祭りをやっていたバカどもが火事を起こしたあの日、逃げ遅れたやつを助けるために無茶をして、燃え盛る木の下敷きになって、生きたまま焼け死んだ。オリスもバカなやつでね、ボクや彼をずっと鼻つまみ者にしていた街の連中なんか助けなくていいって、ボクは言ったんだ。それなのに……だから、だからあいつをこの世に呼び戻して、どういうつもりだったのかを聞きたかった」
リコーには俯いた魔女の表情は見えない。
だがそっと伸ばされ、腕に触れるその手が震えているのには気づいていた。
「『転写召喚』と言ってね。死者とほぼ同一の肉体を用意して、その肉体にぴったり合う魂を呼び寄せる魔術だ。ただ精度がイマイチでね、狙った魂以外にそのそっくりさんを召喚してしまうことがほとんど。で、一応試してみたらキミが呼び出されたんだ。リコー」
魔女は再びリコーの顔を見上げた。
その目尻からは涙の線が伸びている。
「肉体が魂を定義するように、魂も肉体を定義する。だから『転写』召喚なんだ。キミはボクが用意した器としての肉体よりも、オリスにそっくりなんだよ。目も、鼻も、口も、耳も、髪も、声も、体つきも、指も、無謀さも、デリカシーの無さも、何から何まで。でもキミはオリスじゃない。その証拠に、魂の形をそのまま転写してしまったせいでキミの身体は根本的な構造が向こうの世界のままなんだ。だから活性マナを取り込めない」
女は静かに、嚙みしめるように語る。
まるで、自分自身に言い聞かせるように。
「……『転写召喚』が記された魔導書『死魂の書』には続きの巻があることが示唆されている。あのムカつく『神樹の魔女』があとがきに書いていたのさ。あいつも誰かを蘇らせようとして、そっくりさんを呼び出した。だから『転写召喚』の改良版ができたらその時こそ続きの巻に、『生魂の書』に記すと」
「なるほど、だんだん繋がってきたか……」
リコーはようやく相槌を打つことができた。
「つまり君は、あくまでも寂しさを埋めるつなぎとして俺を呼び出したうえで、オリスを真の意味で蘇生するために『生魂の書』を探していると」
「さ、寂しさを埋めるとかそんなんじゃ……! あるかもしれないけど! 言い方ってモンがあるだろう全くキミってやつはぁ!」
「ごめん、ごめんって」
「……そう、でも、そうなんだ。自己矛盾を起こしているんだ、ボクは」
叫びながらリコーの胸をポカポカと叩いた魔女は急に大人しくなると、そのまま胸に縋りついた。
「『生魂の書』がもう書かれていると突き止めたボクは禁域を探索しなくてはならなくなった。けどボク自身はとてもじゃないが禁域探索に耐える脚をしていない。だからボクの代わりに禁域を探索してくれる人が必要だけど、ボクには頼れる人なんか居なかった……オリスを除いて。だから、だから『転写召喚』を実行した。もしかしたら、一発でオリス本人が来てくれるかもしれないし。結果、キミが呼び出された。何もかもオリスにそっくりだけど、オリスではないキミが。『転写召喚』にかかるコストは膨大だ、ボクはキミに頼らざるを得なくなった。『生魂の書』に載っている方法では、おそらく一度『転写召喚』したキミの肉体と魂を再利用することになる。だからキミに『生魂の書』を探させること自体、キミを失うリスクを高めるから上策じゃないんだ」
まるで懺悔だ。
禁域の魔女はせきを切ったように、己の内側にとどめていた全てを、リコーに向けて吐き出していく。
「時間は無い。呼び出した時点ではほぼ完全に一致していた魂も時間が経てば元の形から変質していって、そのうちオリスの魂を呼び出すのに不適切になってしまうしっ……何よりっ……! キミに、情が湧いてしまう……! だからっ、ボクは、本を、早く探してっ、キミを、キミを……」
ひぐ、ひぐとうめきながら、禁域の魔女はリコーを見上げた。
涙と鼻水にまみれ、愛に乾き、哀しみに病んだ、めちゃくちゃな顔で。
「ボクにはキミしか、居ないんだ……リコー、ボクのためにオリスになってくれ。オリスの代わりにボクを助けて、ボクの話を聞いて、ボクを愛して、ボクの側に居てくれ……」
リコーは無言で魔女を抱き寄せた。
彼女の今後のことを考えれば、きっと、もっと残酷に突き放すのが正解だったのかもしれない。
けれど彼は、もう壊れる寸前の彼女を守らなければならないと確信していた。
単にかつて彼女を愛したひとりの男の代用品として呼び出されたから、普通以上に同情的になっているのかもしれない。
けれど彼は、代用品であれなんであれ、自分の意志にこそ従うべきだと決心していた。
「……俺はオリスにも、その代わりにもなれないよ。だって違う人間だ。魂レベルでそっくりでも、キミに愛を注いだ彼に成り代わるなんて、むしろ彼に対する冒涜もいい所だろ?」
「それはっ……! でも、じゃあ、一体どうしろって……」
「リオ」
「っ!」
女は泣きながらも、自分の名前を呼ぶ懐かしい声に息を呑んだ。
そして青年は彼女の愛おしい瞳に微笑み、その髪をそっと撫でる。
「愛が欲しいなら、勇気を出して言ってみればいい。簡単な事だよ。少なくとも、目の前の男は君を愛した男に魂レベルでそっくりだ。普通の人を相手にするより、何倍も勝算は高いんじゃないか?」
「あっ、えっ!? キ、キミは急に何を言い出す! そ、そそそんなハレンチなことっ」
「なら、俺からの答えはまだ保留だな! ほら、立って!」
「わわわっ!?」
リコーは顔を真っ赤にして口をぱくぱくと開けたり閉めたりしているリオを引っ張り立たせた。
「俺はちゃんとキミの元に帰ってくる、約束するよ。だからいったん、俺の好きなようにさせてくれないか? 俺は困っている人を見捨てるなんてことができない性格なんだよ、魂レベルでね。リオ、君ならきっと分かってくれると思っているんだけども」
「魂レベルを便利ワードとして使うな! あとその顔とその声で名前を呼ぶな! 好きになっちゃうだろう! もし本当にボクが落ちちゃったら責任を取ってくれるんだろうな!?」
「場合による」
「く、くっそこの野郎、ボク好みの存在にそっくりだからっていい気になりやがって……!」
リオは耳まで真っ赤に染めてがうがう吠えるが、どうやらまんざらでも無さそうで。
リコーはここに来て『禁域の魔女』のうまい扱い方が分かった気がした。
「だいたいあの女たちのところに戻るって、どうやって戻るつもりなんだよ!? ボクの召喚は使えないんだぞ!」
「活性マナで脚力をブーストできる。それで呼吸をギリギリまで制限しながら走り続ければ……」
「あー聞いていられない! バカの考えることだ、そんなものは! それ飲んで一分待ってろ!」
「もがっ!?」
リコーが口に突っ込まれた小瓶の中身を飲み干すと、ミントのような爽やかな後味と共に身体の末端に残っていた痺れが消えていった。
おそらくドライアドの麻痺毒を解毒する薬、リオは律儀に約束を守ったらしかった。
「よし、準備できたぞ!」
そして間もなくリコーの前に戻ってきたリオはいつもの白衣を着替え、リコーたちと同じような探索者用の服を着ていた。
しかも、背中には大きな盾を背負っている。
「……準備?」
「今度はボクも行く」
「えっ」
リオは首を傾げて疑問を発した青年の背中に回り込んで抱っこ紐のようにロープを括りつけると、そこに自らの足を通した。
「キミから目を離すからいけなかったんだ。今度はボクもついていく。ホラ、とっとと身体の前のロープを引っ張ってボクをおぶるんだ。防炎仕様の盾の予備はボクが取って来たからさ」
「ちょっと待て! 俺たちが戦ってんのは神樹カビをバラ撒きまくるドラゴンだぞ!? ドライアドの君が近づいたりしたら病気に……」
「大丈夫。ホラ、これ見てよこれ」
リコーの背に自力でよじ登ったリオはお手製のマスクをふりふりと振って彼に見せつける。
「防カビマスクさ。急造品にしてはよくできているだろ。これで万事解決」
「……」
「時間が無いんだろ! 出発だ! 迷っている時間は無い!」
「ええい、分かったよ!」
リコーは背中の女のやかましさに耐えかねて、半ばヤケクソで家の外に出る。
「それで! 俺が全速力で走るよりもいい方法があるからついてきたんだよな!?」
「もちろんだ! キミはただ禁域の深層部に向かって一歩踏み出せ!」
「は?」
「早く! 不本意だけど、あの女たちを助けに行かせてやる!」
「……信じているぞっ」
青年は背負った女を振り落とさないようしっかりとロープを閉め、地面を蹴った。
瞬間、土がえぐれ、地中の岩が粉々に砕ける。
それほどの衝撃が、青年の身体を前方方向へと吹っ飛ばした。
「ちょっ流石に速すぎっ……!」
少しでも何かにぶつかれば一瞬で死ぬ。
そう確信できるほどの速度で走っているのに、リコーの身体は何故か何にも阻害されることなく前へ、前へと高速でかっ飛んでいく。
「ふっふっふ、驚いたか」
そして、本来こんな速度では聞こえるはずのないにやけた声が耳元で囁いた。
「ボクはドライアドだぞ? 木々の方に避けさせるくらいお手のものさ。あとはぶつかってくる気流を制御してやれば、そのほかの障害物にもぶつかる前に圧縮された空気がキミを逃がす。活性マナの効率化と循環と破損した肉体の再生はボクがやってあげるからキミはただ無心でゴールを目指せよな」
「さらりと怖いこと言ってないか!?」
「引きこもりの魔術師が最強の強化師なんて話はありふれてるだろ? ましてやボクは世にも恐ろしい『禁域の魔女』だ。ボクのお役立ちに感謝しながら、キミはただ前に進めよな。あ、ただしイラビルへは地上を正面から行けよ。洞窟に突っ込んだら流石のボクでも安全を保障できない」
「分かった! もうツッコむだけ野暮ってことだな!?」
「そういうことだね♪ それいけボクのリコー!」
「お前のモノになった覚えはねえっ!」
そこからの数分、リコーは恐怖とも興奮ともつかない感情だけを記憶に残し、振り返ってみればほとんど何も覚えていなかった。
今までの旅が何だったのかと思うほどの弾丸強行。
冷静に考えてみればゴールが決まっているからこそできる荒業だったが、やはり印象としてはとてつもないインチキ行為だ。
だが。
(大切な仲間を救えるなら、インチキだろうが何だろうが関係はねえっ!)
決意を胸に、ただひたすらに、リコーは地面を蹴り続けた。
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