第49話 魔女の後悔
「何、を、した……!」
リコーは麻痺してほとんど動かない顎を何とか動かして言うが、魔女は「んー?」とせせら笑うだけでまともに取り合わない。
それでもリコーが這いずって逃げようとするのを、魔女はさらに体重をかけて妨害する。
「毒、か」
「お、正解。ご褒美にこのマスクはもう一回つけ直してあげよう」
自力で答えにたどり着いたリコーをからかうように、魔女は床に突っ伏す彼の背中にぴったりと密着して手を回し、最初にずらしたマスクを嵌め直す。
「ボクの唾液、甘かっただろ? ドライアドの唾液は少量ならただのおいしいツバ。けれど、大量に摂取すると哺乳動物の身体を麻痺させる毒になる。流石のキミでも動けなくなったみたいだねぇ?」
リコーの耳元で囁く魔女はマスクに添えた手をその喉元へ、肩へと移動させながら、愛おしむように撫でる。
「ごめんよ、本当はボクだってこんなことをしたいんじゃないんだよ。けどキミが悪いんだ。全然ボクの言うことを聞いてくれないし、自己犠牲で死のうとする。おまけに目を離せばすぐに別な女を作る浮気者。だったらこうして、きちんと見守っておくしかないじゃないか」
「だったら、どうして、俺を探索、なんかに」
「……やむなく、だよ。分かってくれよ」
沈め溶かすような重く低い声の次は、頼み込むような震え声。
魔女の情緒は全くと言っていいほど安定していない。
それはリコーからしてみても明らかだった。
「ボクはキミを……愛しているワケじゃない。けれど、大切には思っているんだよ、リコー。キミの大きな手も、少し低い鼻も、炭のような黒髪も、細長い暗黒の瞳も、わからずやで強情なところも、全て」
「はっ。好き勝手に、言うじゃ、ないか」
「あ、こらっ。立とうとするな!」
青年が腕を立てて起き上がろうとするのを、魔女は慌てて押さえつける。
リコーの麻痺した四肢は簡単に屈してしまうが、それでも言葉は止まらない。
「大切に、思っているって……けど、愛していない? なんだよ、その身勝手な、論理は。保身はしたい、けど、俺を、独占したい……そんなムチャクチャが、通るわけ、ないだろ?」
「だ、黙れ! キミは……違うんだ。根本的に、ボクがキミを愛するはずがないんだよ。だからこれは、この感情はただ……」
「ガキの恋愛じゃないんだぞ、リオ。君は、自分を守りたい、だけだ。そんなに俺を、独り占めにしたいんだったら、ちゃんと、正面切って気持ちを」
「黙れって言ってるだろ!」
ついに激昂した禁域の魔女はリコーのマスクを剥ぎ取り、その口を直接手で塞いだ。
これ以上の対話を拒否する意思表示。
青年はその身勝手な意思に、文字通り噛みついた。
「痛っ!? リコーくん、キミは本当に往生際が」
「うおらぁっ!」
「きゃっ!?」
状況がひっくり返る。
リコーは魔女が手を引っ込めた隙に渾身の力で身を起こし、背中に乗っていた魔女を振り落としてヨロヨロと立ち上がった。
「なんで、なんでまだ動けるんだ……?」
信じ難いものを見る目を向けてくる魔女に、リコーはにやりと笑い返した。
言葉は無い。
ただ、手にした空の小瓶を軽く振って見せつけるだけ。
「……ボクが精製してやった万能薬だな。アレなら完璧に解毒できなくても、多少は麻痺を抑えられる」
「……」
リコーは返事をせず、ふらつく足取りでドアの方へ。
「でも無駄だね」
それをみすみす見過ごす魔女ではない。
リコーの行く手を、再び出現したイバラのバリケードが阻んだ。
「キミはなんとか立ち上がっているって状態だ。この通り、逃げ道を塞ぐなんて造作もない事さ」
「……」
「何だよ、その目は」
禁域の魔女は怯えた。
青年の眼には未だに闘志らしき感情が宿っているように見える。
麻痺した身体で必死に立っているだけのハズなのに、何か、まだ奥の手を隠していそうな気がする。
「……悪いけど、ボクは慎重派なんだ。足りないなら、さらに量を増やすだけだよ」
立ち上がった禁域の魔女はリコーにまっすぐ接近し、武器を抜こうとした彼の手を片手で抑えて再び接吻する。
口内に分泌された麻痺毒性の唾液で、今度こそ青年の身体の自由を奪おうと舌を絡める。
「……んむっ!?」
だが、目が眩むほどに甘く刺激的な味に目を見開いたのは、むしろ魔女の方だった。
そして困惑している間に頭をかき抱かれ、唾液を流し込むはずが逆に『何か』を流し込まれ、呑まされてしまった。
「ぶはっ!」
自ら接吻したはずの青年を突き飛ばした直後、魔女は身体に異常が発生しているのを自覚する。
「リコーくん、キミは、何をっ⁉ 胃が、胸が、熱い……!?」
「先に毒を盛ったのはお前だ。なら、やり返されても文句は言えねえよな……!」
リコーは口内に残った薬品を傍に吐き捨て、笑った。
「万能薬はとっくの昔に使っちまってる。さっきの瓶に入っていたのは、俺がさっき口移しで飲ませたのは、シェイの仲間たちが持ってた媚薬だよ……!」
「キ、キミは、なんてことを……! じゃ、じゃあいま立っているのは……」
「言ってしまえば、気合だ」
青年の腹部に滾る熱。
それはマスクを剥ぎ取られている間にたっぷり吸い込んだ、活性マナのエネルギーだ。
「正直かなりキツイし、さっきまで口に含んでいた薬のせいで妙な気分だけど……こんなんで膝をついていちゃ、警察官は務まらない……!」
「ば、馬鹿の理屈だ! そんなことで、ボクの麻痺毒が、はあっ、はあっ」
呼吸を荒くし、頬を赤らめた魔女は胸を抑えて座り込んでしまう。
「ちゃんと効いてるみたいだな……本当はこんな邪悪なアイテム、使いたくはなかったけど。媚薬なんてのはおおかた、身体が思うように動かなくなる薬だろ? しばらく安静にしていてくれ。俺は、あいつらの元へ行く……!」
「ま、待てっ! 待って! キミは、この薬の効能を勘違い、している……! ううっ」
「……ごめん。いまは君の願いを聞いてやれない。無事に帰ったら、全部聞くから」
「そうじゃない、そうじゃないんだっ」
リコーはすがるように手を伸ばす魔女から目を背け、すっかりしおれてしまったツタを避けて、ドアノブを回した。
「行かないでっ……!」
魔女の声に後ろ髪を引かれるが、いま止まるわけには、い……
「わああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ! 置いて、行かないでくれええええええええええええええええええっ! うっ、うぇ、うぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええんっ‼ ボクを、ひとりに、しないでくれえええええええええええええええ! オリスっ、オリスぅっ……! 頼むよ、お願いだよ、傍に居てくれよ、キミがまた居なくなったらボクは、ボクはっ……わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
リコーの決意を途中で塗りつぶしてしまうほどの大声量。
魔女が突然、正常とは思えないほどに泣きじゃくり始めたのだ。
「あの、ちょっと」
「ううううううううううううううううううううううううっ、行かないで、行かないでよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
肩を震わせ、涙も鼻水を全て放出する勢いの大号泣。
リコーはドアノブかけた手を、見つめ、逡巡し……流石に放っておくわけにもいかないと考え、もう一度部屋の中に戻った。
もう幼児退行とかそういう次元ではない。
感情が爆発して止まらない様子の魔女に、リコーはとりあえず目下の疑問をぶつけることにした。
「オリスって、誰……?」
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