第46話 仕切り直し
「ぐおおあああああああああっ‼︎」
リコーはローメを抱え、全力で走る。
振り向いてはいられない。
「リ、コー……」
「喋らなくていい! じっとしてろっ!」
弱々しい声を発するウシ角の少女はもはや両刃斧を持っていない。
神樹の銀竜が火を吐く寸前、死力を尽くして立ち上がった彼女は斧を竜の顎に向けて投擲していた。
その肉を割り、顎骨を叩いた斧は竜の頭の向きを変え、竜の眼前にいた青年と少女に炎が直撃するのを防いだのだ。
だが、それもあくまで時間稼ぎ。
痛みにのたうった竜はそれでも魔力焔を吐き続け、頭の向きをゆっくりと『敵』たちへと向けつつあった。
だから青年は全力で走っているのだ。
灼熱から逃れるために。
「ミアナ、シェイっ!」
リコーは進路上に倒れている少女二人に呼びかけるが返事がない。
やはりここでも、空気中の活性マナの現象が起きているのだ。
「何でこんな、いや、そうか」
青年は気づく。
先程までただの古びた石畳だったはずの足元が、成長し咲き乱れる神樹カビに覆われて銀景色へと変わりつつことに。
「カビがマナを吸収して……! くそっ!」
背後からは火炎が迫る。
二人を助け起こしている時間はない。
「俺は諦めないぞ、全員助けるっ‼︎」
リコーは自らを鼓舞し、疾走しながらも前に抱えていたローメをなんとか背負い直して両腕を空けた。
たっぷり息を吐き、わざと呼吸を止める。
途端、生命の危機に瀕した身体に活性マナが巡り出した。
そしてそれぞれの手で、倒れた二人の少女の首根っこを掴む。
「うおおおおおおおおおおおおっ‼︎」
息は足りない、それでも咆哮する。
少女たちとはいえ三人分の重量など、本来とうてい運べるものではない。
だがリコーにはそれが可能だった。
身体がミシミシと鳴っているが、同時に活性マナの熱を帯びて、常人ではあり得ない膂力を発揮する。
そして少女三人の命と共に、青年は横倒しになったビルの残骸の陰に飛びこんだ。
直後、火炎が通りを駆け抜け、広範囲に焼き焦がす。
だが引火性の高い胞子塊は残骸の陰にはほとんど無く、四人は地獄の焦熱をやり過ごした。
だが、まだ危機は去っていない。
三人の少女はまだ動かない。
「みんな! 意識は……あっ」
少女たちに呼びかけようとして、リコーは気づいた。
「マスクが、カビに覆われてる……!」
空気中に舞っている胞子が、少女たちのマナマスクの吸気口にべったりとくっついていたのだ。
「これじゃ役に立たない、くそっ!」
悪態をついているだけでは事態は悪化し続けるだけだ。
リコーはいちばん顔色の悪いミアナのマスクを剥ぎ取り、そのくちびるを自らの口で塞ぎ、息を吹き込む。活性マナを含む息を吐いている彼にしかできない蘇生法。
意識を失いぱくぱくと口を動かすだけだったミアナは激しく咳き込み、目を開けた。
「ゆっくり息を吸え。苦しかったら言うんだぞ」
リコーはミアナのマスクからカビを取れる分だけ取り、そのまま長耳少女の口に押し当てる。
「だんな、さま……」
「他の二人も蘇生する。少し待っててくれ」
青年は弱々しく呼吸するミアナの頭を軽く撫で、続いてシェイ、ローメの蘇生を試みる。
息を吹き込み、カビを除去したマスクを押し当てる。
数分の作業で、幸運にも二人ともが目を覚ました。
「くぅ、まだ頭がガンガンする……!」
「典型的な、酸欠……おまえがいなければ、どうなっていたことか」
「君たちが生きていてよかった。けど、のんびり話している時間はないぞ」
リコーは瓦礫の向こうの気配を気にしながら、声のトーンを落として言う。
「君たちがいきなり酸欠になったのは空気中の活性マナをカビに消費され尽くして、酸素を吸収できなくなったからだ。しかもマスクも胞子のせいで機能不全になっていたから体内の活性マナも少なくなっているハズ。まずはローメのミルクを飲んで体内のマナだけでも補給しておいた方がいい」
「ローメの、ね……」
「シェイ、わがままを言っている場合じゃないんだ」
「分かってるわよ」
四人は以前小瓶に詰めたミルクを一気に飲んで一息をつく。
「……二手に分かれよう」
そして、つかの間の安らぎを壊す口火を切ったのはリコーだ。
「俺が囮になるから、三人は『知恵の樹』に行って本を探しててくれ。全部済んだら川を渡った時に休憩したキャンプで集合……」
「絶対ダメです」
だが言い終わらないうちに、エルフの少女にきっぱりと否定されてしまった。
「ただ全員で撤退すればいいじゃないですか! どうしてひとりで死にに行くような提案をするんですか!? バカなんですか!?」
「ミアナ……」
「私も反対」
シェイが二つ目の反対票を投じる。
「私と禁域の魔女の契約はアンタを生かした状態で本を持って帰ること。アンタが死ぬ代わりに本が手に入るなんていうバカみたいな提案、呑めるわけないでしょ」
「……シェイ」
気丈に振舞うエリート魔術師少女に、リコーは一瞬言葉を失った。
だが、皆の命を失うわけにはいかない。
「君は、実は気づいているんじゃないか? あの竜から逃げられなさそうなことに」
「っ……!」
リコーに仕舞いかけた言葉の続きをぶつけられたシェイは反射的に反論しようとして、しかし言葉が出ず、ただ歯噛みする。
「ど、どういうことですか? 逃げられないって……」
「あの竜、たぶん活性マナの匂いを嗅げる。というか、匂いで物を『見て』いるのかもしれない」
「……そうね、私と同じよ。言ってしまえば」
リコーの言葉にシェイはふぅとため息をついて追随する。
「アイツ、最初私たちが隠れている路地に向かって炎を吐いてきたでしょ。目が良いようにも見えない。なら理由はひとつしかないってワケ」
「おそらくはあのヘビみたいな舌だ。完全に同じ仕組みかは分からないが、ヘビはそうやって周囲の匂いを嗅いでいるって聞いたことがある。そしてあの超広範囲の炎ブレスに、空も飛ぶ。さらに空気中から活性マナを奪ってこちらの運動能力を削ぐオマケつきだ」
「そんな……じゃ、じゃあ囮は私が! この中でいちばん役に立っていないわ、わたしなら……!」
説明を聞き青ざめたエルフの少女はそれでも勇気を出して進言するが、青年は首を横に振った。
「他の色んなことを置いておくにしても、君はもう装備を失っている。シェイの杖と一緒に焼き払われてしまっただろ」
「あ……」
「それはローメも同じ。あの斧はいま竜の身体の下に落ちたままだ。装備が残っているのは俺だけで、しかもやつは耳なら聞こえるらしい。ならコイツの出番だ」
リコーは拳銃を取り出して笑う。
その短い銃身の、なんと頼りないことか。
エルフの少女が何か引き留める理由を探しているうちに、青年はスッと立ち上がってしまった。
笑顔を消し、覚悟に固まり切った表情で。
「発砲音で気を引けることは確認済み。しかも俺なら空気中の活性マナがいくら薄くなっても大丈夫だし、知っての通り本気を出せば足も速くなる。現状、囮としてはいちばん生存能力が高いと言えるわけだ」
「でも、待って……」
「シェイ、ローメ、ミアナを頼む」
「……」
「了解した」
「ちょっと!? シェイエタの言い分は分かりましたよ、けどローメちゃんはなんで!? どうして旦那様を止めないんですか! というか、ここにずっと住んでいたなら何か、あの竜を追い払う方法くらい知らないんですか!?」
「……すまない」
「すまないって……!」
「いいか、ミアナ」
ローメは半狂乱で食ってかかろうとするエルフの少女の両肩に手を置いた。
「我とて本当はリコーを送り出したくなどない。だが、彼は我よりも強い戦士。可能性がどうとかは分からないけれど、リコーならやってくれると信じている」
「わ、わたしも信じては、いますけど……」
「なら大丈夫。救世主は皆の願いに必ず応える。そうだろう?」
ローメから向けられた強いまなざしに、リコーは頷く。
「援護は要らない。君たちは本を手に入れてくれ」
もう反論はない。
静寂の中、ずし、ずしと竜の歩く音がだんだんと大きく聞こえてくるだけ。
何回も痛い目に遭い、慎重になっているのだろう。
だが竜は遅くとも確実に一歩ずつ、リコーたちの居る瓦礫の陰に近づいてきている。
「じゃあ、行ってくる」
別れを惜しんている暇などない。
「作戦、開始だっ!」
リコーは少女たちの方を振り返らず、瓦礫の陰から飛び出した。
そこはすでに竜の眼前。
本当に、竜に『発見』される寸前だったのだ。
だが覚悟を決めた青年は怯まない。
見えない目をカビの下に隠し、舌を出して周囲を探るその鼻先へ照準。
「丁度いい、一発貰っとけっ!」
ダァンッ! と。
廃都へ再び響き渡った破裂音と、竜の甲高い悲鳴が戦闘再開の合図だ。
「こっちに来い、俺が相手だ!」
リコーは反撃で振るわれた爪を後ろ向きのステップでかわし、もう一発発砲して真後ろへ駆ける。
竜との距離はつかず離さず、一定を保つ。
炎ではなく、直接噛み砕いた方が良いと思わせる。
翼ではなく、脚で追いかけた方が早いと思わせる。
爪を避け、顎を避け、引き金を引き、走り続ける。
「ぐっ、はぁ、はぁっ!」
マスクはとうに外している。
ハーブの香りがしない埃っぽい空気を目いっぱい吸って吐き、体内の活性マナを燃料にした純粋な体力勝負。
訓練の成果か、旅の結果か、リコーは自分でも意外なほどに竜の攻撃を避けながら走れている。
(この調子で、行ければ、本当に……!)
それは少しの希望。
そして、油断。
何度目かも分からない爪の叩きつけ攻撃を避けたリコーは、それまで次の攻撃に備えて一瞬腰を落としていたのを忘れ、ただ脚を前に踏み出してしまった。
無防備にも片脚に全体重を乗せた青年に、大きく広がった翼の陰が覆いかぶさる。
「しまっ……!」
気づいた頃には遅い。
あるいは、集中力の限界か。
それとも、竜が一枚上手だったのか。
リコーが衝撃へ備えられなかった一瞬を、神樹の銀竜は羽ばたいて引き起こした突風で刈り取る。
走っていた勢いに追い風を重ね、青年は石畳をバウンドしながら転がった。
「がああああああっ‼」
リコーは右肩から頭に駆けあがってきた痛みに叫んだ。
拳銃を持っていた右腕が痺れている。
骨折こそしていない気がするが、引き金はしばらく引けそうもない。
そして。
しばらく、などという悠長な言葉は、竜の眼前では『永遠』を意味していた。
ひゅおお、と。
倒れたリコーの耳に、竜が吸気する音が聞こえた。
あと数秒で、周辺は火炎地獄と化すことだろう。
(ああ、ミスったな。このまま焼かれるのか)
ある種の冷静な諦念が浮かんでいるのとは裏腹に、リコーは身体の震えを自覚した。
頭の奥では、チリチリと鳴る音が大きくなっていく。
(そうか、俺は、火が怖かったんだ……)
火に対するイヤな思い出などない。あるはずもない。
だからその答えはきっと封じられた記憶の向こうにあるのだろう。
「うわあああああああああ旦那様から離れろぉ‼」
「っ⁉」
と、永遠に引き延ばされたかのような時間の中に漂っていたリコーの意識は、突如聞こえた聞こえるはずのない声に覚醒する。
「ミアナっ!? なぜ、来ちゃダメだ!」
「見捨てられるわけ、ないでしょうがっ! 旦那様が死んで、わたしだけ永らえるなんてイヤだ!」
泣きながら、ぜえぜえと息をしながら、エルフの少女は竜の後ろから手にした瓦礫を投げて竜の注意を引こうとしている。
その後ろにもう一人石を投げているシェイの姿も見える。
さらに、ローメもこちらへ向かって走ってきている。
だが、リコーには分かっていた。
竜は投石を気にしていない。
ローメは、まともに呼吸できていないせいで速度が出ておらず、絶対に間に合わない。
「君らは逃げろ! 君らだけでも!」
それが、青年が叫んだ最後の言葉。
竜の口に銀色が煌めき、次の瞬間。
ざざ、と。
リコーの視界は、一瞬にしてホワイトアウトした。
「ふぅ、ギリギリ間に合ったかな?」
そして目の前に現れた女が、リコーを優しく抱き止めた。
「……え?」
何が起きたのか全く理解できない青年の目を見て、深緑色の目をした女は笑いかける。
「危うく死ぬところだぞ、ボクが居なかったらどうするつもりだったんだ?」
木造の家。白衣。実験道具。
暖炉。テーブル。おいしくないスープの入った鍋。
床に描かれた大きな円形の幾何学模様、その中心。
廃都でも、まして死後の世界でもないここはどこなのか。
青年の目の前に居るのは、その答えそのもの。
「あの女たちのことは残念だけど、仕方がない。重要なのはキミが生きていることだからね。また仲間を集めたら仕切り直そうじゃないか。キミとボクだけで、最初から!」
禁域の魔女は曇りのない笑顔を浮かべて言った。
まるでリコーがこの場所で、彼女の家で最初に目を覚ました、あの日と同じように。
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