第4話 死に物狂いの誓いのキス
(まずい取り返さないと! 取ったやつはどこにっ……?)
周囲を素早く探すと、視界の端で素早く駆けていく背中を捉えた。
市場の隙間から裏路地に入っていくのは、ボロ布の長耳。
間違いない、さっきの長耳の少女だ。
「あの、野郎っ……!」
裏切られたショックだの、マスクを奪った動機の考察だのは後回し。
リコーは全力で長耳少女の後を追いかける。
「ひゅっ、ふぐっ」
自分の過呼吸音が急かす中、市場を行き交う人々を押し除け路地裏へ。
少女の影は見当たらないが左手に駆けていく足音が聞こえた、気がする。
(一応、全く酸素を取り込めていないわけではないっぽい……?)
リコーには知識があった。
酸素が全くできない空気を吸い込んだ場合、人間は即座に昏倒するのだ。
だが彼は気絶していない。
つまりマスク無しでも、魔女の言うところの『魔力でコーティングされた空気』から多少は酸素を吸収できている。
(けどこのままじゃジリ貧なのはこの身体が一番よく分かってる)
もってあと数十秒。
直感が告げるタイムリミットが来るよりも前に、マスクを取り戻さなくては。
リコーは覚悟を決めて路地を左に曲がり、人通りのある広場に出る。
幸運なことに、長耳少女の背中は人混みの中でも一瞬で発見できた。
「待、てぇええええええっ!」
リコーは腹の底から叫ぶ。
窒息までの時間が一気に加速する捨て身の咆哮。
振り返った少女が驚愕を顔に浮かべたのが見えた。
(どのみちもう一回撒かれたら終わりだ)
命懸けで得た一瞬の隙。
リコーはぐっ、と脚に力を込め、
(だから、ここで絶対に捕まえてやる!)
砕くつもりで、地を蹴った。
あくまでも、つもりで。
だが彼の意に反して石の舗装路は本当に砕け散った。
リコーの身体はその反動で一気に前方へと加速する。
「っ⁉」
リコー自身にも意味が分からない現象。
それは脚だけではなく、研ぎ澄まされた感覚にも表れていた。
人混みの中から特別目立つわけでもない浮浪児を一瞬で特定できるわけがない。
姿が見えなくなるくらい離れた少女の足音の方向まで正確に聞こえるわけがない。
なぜこんな事になっているのか説明がつかない。
だがそんな事は今どうでもいい。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
リコーは文字通り死に物狂いで走り、通行人の全てを避け、障害物を全て飛び越えて、長耳の浮浪児少女に抱きつくように突進し捕獲した。
「ごふぇっ⁉」
リコーは悲鳴ともうめき声とも取れる声を吐いた少女と一塊になって、勢いのままにゴロゴロと地面に転がった。
「てめえマスク早く寄こせ早くっ‼」
「あなたが乱暴にするからどっか転がっちゃいましたってぇ!」
「っ!」
押し倒した少女に言い返されると同時、リコーはカラカラと転がっていくような音を聞いた。
見れば、ああ、マスクは遥か遠くに吹っ飛ばされている。
「こひゅっ、こひゅっ、ひゅ、ひゅ、ひゅ、ひゅっ!」
「な、何言ってんのか全然分かんないですよ!」
ここが限界だった。
過呼吸の果て、もうこれ以上は無理だ。
視界のブラックアウトが始まり、リコーは自らの死を悟る。
(何か、呼吸を繋ぐ、方法は……あっ!)
だがリコーの脳みそは走馬灯として再生できる過去の記憶が無かったからか、代わりとばかりに閃きをもたらした。
あるではないか。
目の前に。
「な、ちょっと、目が怖いですよ? 何をするつもむぐぅ⁉」
殆ど本能だった。
気がつけば、リコーは少女のくちびるを奪っていた。
「んむっ、ぷは、むうっ、んんっ」
ジタバタと暴れる少女を無理やり押さえつけ、リコーは少女のくちびるを……いや、その肺に溜まった空気を貪った。
そう、彼は覚えていた。
自分が最初に窒息しかけた時、かの禁域の魔女が何をしたのかを。
正直なところ確証があったわけではなかった。
だがリコーは自分が賭けに勝ったことを徐々に確信する。
口から息を吸って、鼻から吐く。
少女のくちびるから生ぬるい空気を吸い上げるたび、リコーの身体から酸欠の苦しさが徐々に消えていった。
(よ、よかったぁ……マジで死ぬかと思った)
リコーは深呼吸して、安堵が身体の隅々まで染みわたっていくのを感じた。
そして、急に冷静になった。
「あっ、いや、これはお前がマスクを取ったからで……!」
リコーは慌てて少女からくちびるを離して立ち上がった。
だが、誰に言い訳しているのだろう。
長耳の少女は虚ろな目を虚空に彷徨わせるだけで、彼の言葉など聞いていなさそうだった。
そして周囲にできた人だかりからは、今までで味わったことのないほど大量で強い奇異の視線が向けられていた。
「えっと、お、お騒がせしましたっ!」
これ以上この場に居たらマズい。
そう囁く直感に従い、リコーは少女を肩に担ぎ上げる。
そのまま少し離れた場所に転がっていたマスクを回収して着用しつつ、人混みをかき分けて広場を脱出した。
なお、今回の出来事の目撃者証言が広まった結果、街の人々から『禁域の吸魂鬼』と呼ばれることになるなどと、この時のリコーは知る由も無かった。
そして数分後。
「ここまで来れば大丈夫か」
街から出て街道脇の丘に立つ木の下で、リコーは今度こそ安堵の息を吐いた。
「あの、そろそろ下ろしていただいても……」
「あっ! ごめん、つい必死で」
長耳少女も冷静になったらしい。
リコーは肩に担いでいた彼女をそっと地面に立たせた。
「さっきはその、すまなかった。でもなんだって俺のマスクを奪った?」
「探索者ギルド認可済みのマナマスクはうまく使えば大儲けできます。旦那様は街に慣れていないようでしたから、きっと無防備になるだろうと考えたのです。家計のために賢くやりくりできる、敏腕お嫁さんというわけですよ」
「なるほどそれでか……ん?」
納得しかけたが、何か聞き捨てならないことを言っていたような。
「あの、旦那とか嫁とかいうのは?」
「もう、とぼけないでくださいよ」
聞き返したリコーに長耳の浮浪少女は頬を赤らめて、恥じらいながら言った。
「あれだけ熱烈な誓いのキスをしておいて……わたしはもうあなたのモノ。でもお目が高いです。わたしはいいお嫁さんになりますよ、旦那様?」
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