第38話 洞窟
「……よし、ここだ」
波乱の夜から一夜明けて。
ローメが指差す先、断崖の下部にぽっかりと空いた縦向きの洞穴を覗き込んだリコーは「ほぉ」と感嘆の声を漏らした。
「こんな深い穴に降りていくのか……」
「少し大変だけど危険な動物はいないから、イラビルに行くならいちばん良い近道。場所によっては空が見える割れ目もあるけど、かなり暗いからランプは必須。あと足元に気を付けて」
淡々と注意点を述べたローメは腰に下げたランプを灯し、剥き出しの岩場を器用に降りていく。
「ほへぇ、こんなところからあの廃都に繋がってるなんて。案内無しじゃ絶対気づけないですね」
「ああ、ローメが味方になってくれてよかった」
「全くです。ちょっと……いや、かなり非常識ですけど」
「……まあな」
ミアナの毒のある物言いに、今回ばかりはリコーも反論できない。
ちなみに、まさにそのローメの『非常識ミルク』とでも呼ぶべき代物は過熱してハーブを加え、シェイが持っていた薬品用の結晶容器に入れて各個人が一回で飲み切れる量ずつを持っている。
緊急時に手早く活性マナを補給するための手段だが、提案した当の本人が「私としては正直もういろんな意味でおなかいっぱいなんだけど、これが一番合理的だから……」と遠い目をしていたのがリコーには印象深かった。
「それじゃ、わたしも降りますね! 先に安全を確保しておきますから、旦那様はゆっくり下りてきてください!」
「ありがとう、君も無茶はするなよ」
長耳エルフの少女が暗がりへと降りて行くのを見送ったリコーは「さて」と残る一人の少女の方へと振り向いた。
「シェイ、大丈夫か?」
「なっ、ななな何がっ⁉︎ 別に洞窟なんて怖くないですけど⁉︎」
「……」
目は明後日の方向に泳ぎ、冷や汗をかき、声は震えている。
仮に怖がっていないのが真実だとしたら、健康に問題があるのは確実。
むしろそっちの方が怖いだろ。
「手とか、繋いだほうがいいか?」
「要るわけないでしょ! バカにしてんの⁉︎ 私は魔術学院の席次一位! エリート! 探索なんてお手の物! 怖いものなんて、無い!」
顔を真っ赤にし、思いついた言葉を全部叫んだといった様相のシェイはその勢いのまま穴の中へ降りて行った。
「まあ、大丈夫なら俺としてはいいんだけど」
リコーはひとり言を呟きつつ少女の後を追った。
「あ、アンタもう来たの。私はちょっと、準備があるから。先に行きなさいよ」
そして、少し降りたところで立ち止まっていたシェイにすぐに追いついてしまった。
「……俺もひとりじゃ不安だからさ、一緒に降りないか」
「もしかして私が怖がっていると思って付き添おうとしているんでしょ。私も舐められたものね」
「じゃあお言葉に甘えて先に行くぞ」
ガウガウ吠える少女の横をすり抜けたリコーは、しかし直後に服を引っ張られて立ち止まる。
「あのなぁ……」
「ご、ごめんっ。あっ、えっと、そのっ」
振り向いたリコーの呆れ顔に、シェイは服を掴んでいた手を離す。
すがるモノが無くなった手が虚空をさまよい、その身はさらに縮こまり、目には涙が浮かんでいる。
確かに素直では全くないが、それだけで助けを求めているのがこんなにも分かりやすい少女を置いて行けるほど、リコーは非情にもなれなかった。
「ほら」
「わっ」
青年はもう何も聞かず、少女の手を取った。
そのまま無言で、時に振り向いて様子を伺いつつ、下へ下へと降りていく。
「……ありがとう、ね」
そして陽の光がすっかり届かない場所まで降りた時、少女は闇に覆い隠すようにしてようやく感謝の言葉を呟いた。
—————
「わあああああああああああああああああああっ!」
バサバサと暗闇で羽ばたく音に被せるように、少女の悲鳴が洞窟内に響き渡る。
「リコー⁉︎ リコー!」
「ちょ、うるさっ! ただのコウモリだろ⁉︎」
リコーはギリギリと左腕を締め上げるシェイを引きはがそうとするが、魔術学院の席次一位で自称天才エリート少女はそれよりもさらに強い力でしがみついて離れない。
ランプを頼りに暗闇を進む洞窟の中、シェイはいろんな意味で吹っ切れていた。
「なんかさっきまでとキャラ変わってませんか……?」
「洞窟が怖いらしい。降りてくるのも一苦労だった」
やや引き気味のミアナに、リコーはため息交じりに説明した。
「ちょっと驚いて飛んだだけでこんな大音量で叫ばれて、コウモリたちも迷惑してますよ」
「ミアナは苦手じゃないのか? コウモリは」
「むしろ親近感があるくらいです。まだ街で暮らし始めて間もない頃に街外れの空き家を寝床にしていたんですが、そこにもいましたし。知ってますか? コウモリって聞こえないくらい高い声を出して、それが跳ね返ってくる時間を測ることで暗闇でもぶつからずに飛べるんですよ」
「なんか聞いたことがあるような……目が良いってワケじゃないんだな」
「そこがかわいいところです。しかも近くで見ると結構キュートな顔つきなんですよ? ネズミみたいで」
「ま、まあ感じ方は人それぞれだよな……」
他愛もない会話をしつつも、リコーは左腕にすがりつく少女の様子を気にかけていた。
もうプライドも何も関係なくなったのか、ぎゅっと目をつぶってふるふる震えている。
「にしても……吊り橋じゃ全然平気そうだったのに、どうしてコウモリ相手にこうなっちゃってるんですかねこの女は。感じ方は人それぞれとは言いますが、見た目だけならわたしたちの中でいちばんコウモリに近いのに」
「い、言ってくれるじゃない……! 私はコウモリなんか怖くない!」
ミアナの煽りに、シェイは声を震わせながら反論する。
「ただ……こういう狭くて、暗くて、閉じ込められそうな場所が本当にムリなだけで……」
「それってほとんどコウモリが苦手と同じじゃないですか? その条件を満たす場所の大体にはコウモリがいる気がしますけど」
「コウモリ単独はただの生き物でしょ? けど、けど洞窟は……もし狭い場所に身体が挟まって、そこに水が流れ込んできたりしたらどうするの? 身動きもできずにじわじわと窒息死よ?」
「た、確かに怖いですけどどんな状況を想定してるんですか」
「こういう洞窟だとそういう死に方をする探索者は多いの! 『実録!禁域探索者の悲惨な死因百選』にはそんな例がゴロゴロ載ってた!」
「そんな本を読むから怖くなるんですよ! 魔術学院のエリートが適切な情報の取捨選択もできないとは聞いて呆れますよ!」
「あ、アンタだって吊り橋の上じゃぴーぴー泣いてたクセに!」
「それを言ったら戦争ですよ……!」
すぐ隣で行われる言い争いにリコーの鼓膜がビリビリと揺れる。
うるさいのもそうだが、当の二人が体力を余計に消耗してしまうのも懸念点。
リコーが(どうしたら二人とも静かにしてくれるだろうか……)と考えを巡らせていると、それまで黙って一向を先導していたローメが「あ」と呟いて立ち止まり、彼はその背中にぶつかってしまった。
「おっとごめんローメ。でも何でいきなり立ち止まったんだ?」
「少し誤算があった。これを見て」
ローメがランプを掲げて照らしたのはすぐ目の前の地面、いや、水面だ。
それは地底湖とでも言うべきか。暗闇の中でオレンジ色の灯りがキラキラと反射し、まるで星空のようにも見える。
だが、リコーにはなぜこの湖に注目せよと言われているのかが分からず首を傾げた。
「この地底湖がどうかしたか?」
「これは地底湖じゃない。地下水が増えた影響で水没した洞窟」
「そんなのどっちでも……待てよ」
瞬間、リコーはローメが何を言おうとしているのか察した。
言い争っていた二人もいつのまにか静まり返って、リコーとローメの会話に聞き入っている。
「俺たちはイラビルに向かって進んでいたんだよな」
「そう」
「で、いま目の前にあるコレは一時的に水没している洞窟だと」
「そう」
「……俺たちはここを通らなければならない?」
リコーの本命の質問に、ローメは静かに頷いた。
「あと一ヶ月待てないなら、ここは潜って通ろう」
「なる、ほど……」
続く言葉に、リコーはそっと左腕にしがみついている少女の様子を伺った。
「………………ウソ」
あるいは当然と言うべきか。
シェイの顔は、ものの見事に青ざめてしまっていた。
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