第36話 死の恐怖、生きる意味
「助けっ……!」
命が終わる間際、感覚が鋭くなり、時の流れが遅く感じられるという。
ミアナはまさに、絶望で粘ついた時の中にいた。
大きく開いた顎、ずらりと並んだ輝く鋭牙。
美しいとすら思える死の光景に、エルフの少女は目を閉じられない。
だが、その視界が、ブレる。
「あっ」
横から突き飛ばされた。
一瞬前まで自分がすくんでいた位置に立つ青年の眼はこちらを向いていない。
迫る死を真っ直ぐに見据えている。
不可避と思われる死を前にして、しかし、その眼差しはどうやら少しも諦めてはいないようで。
「リコー‼︎」
ゴシャア! と。
ミアナの叫びをかき消すように、ワニの大顎が砂利道に乗り上げる。
「あ……」
青年に当然の死がもたらされたのを、エルフの少女は呆然と眺めるしかなかった。
だがその直後、ダンダンダァン! と三発の破裂音が響き渡る。
そして、痛みに悶えるワニの大顎の隙間から五体無事の青年が飛び出し、へたりこんだミアナの元へとかけてきた。
「ミアナ、大丈夫かっ!」
「な、なぜ生きて……?」
「そこは良かったとかじゃないのかよ」
リコーは亡霊でも見るかのような表情をしているエルフの少女に苦笑しつつ、その手を引いて立たせた。
「盾をつっかえさせて、その隙にこいつで口の中を三発。盾は置いてきちまったけど、なんとかなったよ」
リコーは軽く振って見せた拳銃を、そのままワニの方へ構え直す。
ミアナを背に、庇うように。
盾は無いが、それでも。
彼は、少女を守ると決めたのだ。
「さて、どうするか……」
リコーはワニと睨み合う。
巨大なワニの背は結晶の装甲に覆われていて、それは腕も同じ。
水中での動きを阻害しないように流線型となっているのであろう結晶装甲は、結果的に銃弾や矢を通しにくい構造。
試していないが、拳銃もシェイの魔術砲弾も効かないか、効果が薄いはず。
「リコー! 食われたように見えたけど無事なの⁉︎」
と、少し離れた位置にいたシェイがリコーの元へと合流した。無言だがローメも一緒だ。
「ケガはしていないけど盾を失った。まだ試していないけどあのワニの装甲を見るに、外からの攻撃は効かないかもしれない」
リコーは焦らず、端的に情報を共有する。
「だが装甲は口の中には無い。ただこれだけ水がある場所で逃げるのも良い手とは思えない」
「じゃ、じゃあどうすんのよ」
「あいつの攻撃を引きつけてキミの魔術を撃ち込もう。俺が囮になるから、食われる前に攻撃できれば……」
「盾も無しに囮になるって、そんな無茶なこと承諾できるわけないでしょ⁉︎ もっといい方法があるに決まってる!」
「でも……!
「シェイの言う通り」
言い合いに割り込んだのは冷静な声。
リコーが振り向くとそこには、ローメが巨大な両刃斧を構えていた。
「もっと安全な方法がある」
「ちょっと待っ……⁉︎」
ウシ角の少女は、リコーが制止した時にはすでに動き出していた。
腰を落とした姿勢から一気に踏み込み、ワニの反応速度を上回る速さでその側面に駆け込んだ。
ローメは両脚で踏ん張って急停止し、行き場を失った慣性はそのまま両刃斧を高く振り上げる。
「むぅんっ」
そしてそれを、結晶に覆われたワニの腕めがけてそのまま振り下ろした。
結晶を砕く甲高い音と、それに続く肉が潰れる音。
岩を砕く音に、水と砂利が飛び散る音。
加えて、激痛に耐えられなかったワニ自身の咆哮とが入り混じった轟音が鳴り響く。
「シェイ、口だ!」
「そこねっ」
呆然としている暇はない。
すかさず叫んだリコーが指差す方向へ、学院のエリート魔術師少女は杖を差し向け詠唱する。
「『省略詠唱:結晶砲』!」
爆音の後、ズゥン、と。
上顎ごと頭を吹き飛ばされたワニがその巨体を横たえた。
動く者が居なくなり、川のせせらぎと荒い呼吸の音のみが仮初の静寂の中で響く。
「生き残った……?」
そしてエルフの少女の呟きでハッと我に返ったリコーは、その身を小脇に抱えて叫ぶ。
「よし、血の匂いで他の危険生物が集まる前に渡り切るぞ!」
「ちょっと旦那様! もう少しワニ皮を集めてからでも!」
「言ってる場合かよ! というか生存を確信した瞬間に強欲なやつだなオイ!」
—————
夕暮れ……と言うには少し明るい時間帯。
「ワニ肉って……焼き加減とか味とか、こんなんで良いんだろうか……」
「だいたいデスカギヅメトカゲと一緒ですよたぶん。おなじトカゲみたいなもんです。不安があるのでしたら旦那様、わたしが毒見しますよ」
パチパチと爆ぜるたき火の前でこんがりと焼けたワニ肉。
座ってその世話をするリコーにべったりと寄り添ったミアナは嬉しそうに進言した。
結局、川を渡り切った一行は浅い岸辺にキャンプを張っていた。
目的は休憩と、洗濯、そして水浴びだ。
「ミアナ! アンタもリコーにずっとくっついてないで、自分の服はちゃんと自分で洗濯しなさい!」
「分かってますよぉ。でもシェイはお母さんすぎます。いいお嫁さんというのは、さりげなく旦那様の分の洗濯物を済ませるんですよ?」
「ミアナ、そのカバンを放せ。さりげなく俺の下着を持って行こうとするな」
「バレましたか」
リコーは悪びれないミアナから自分の荷物を取り戻しつつ、少しだけシェイの方を見た。
魔術師少女はいつものローブを脱いだ薄着で自らの衣服やブーツを洗っている。
ただ洗濯をしているだけとは思えない、鼻歌交じりの上機嫌だ。
(やっぱりリフレッシュしたかったんだな。ここで休憩にして良かった)
魔術学院のエリートだと事あるごとにアピールするうえ何かと強がりなので忘れがちだが、シェイはまだ学生であるような齢の女の子だ。
服も身体も長期間洗えないような生活は本来したくないはず。
……きっと予備の服のストックもギリギリになってしまっていた事だろうし。
(その点ミアナは平気そうなんだよな……やっぱ浮浪児暮らしが長かったからかな?)
「ん、なんですか旦那様。わたしが可愛すぎて見惚れているのですか?」
「あ、いや、えっと……」
君はあんまりお風呂に入らなくても平気そうだね、なんて言ったら泣き出してしまうかもしれない。
常識的なデリカシーくらいは持ち合わせているリコーは首を傾げるミアナの機嫌を損ねないよう、頭の中で咄嗟に質問を考え出す。
「……よく水辺でキャンプするのを許してくれたね。君のことだから、またあのワニが出てくるのを恐れて嫌がるかと思ったのに。なんかいつの間にかワニの肉片も拾ってきてたし」
「それはわたしがビビリで生き汚いって言いたいんですか? まあそうですね、寿命以外で死にたくないのは今も変わりませんよ。知ってますか? エルフは寿命を全うすると一本の樹になると言われています。わたしはしわくちゃの樹になって、旦那様の子々孫々まで未来永劫見守るのが夢です」
「そ、それはありがとう……?」
正直かなり重たい告白だが、リコーは一応調子を合わせて頷く。
「けど、死ぬのを怖がってばかりもいられないなって、あなたを見ていて思いました。旦那様」
「俺を?」
ゆっくり頷くミアナ。
「旦那様が守ってくれたから、いまここにわたしがいる。そのことの意味を考えたら……きっとわたしの長いなが~い命も、もっと役立てられる日が来るのかなって」
「……俺のために死ぬとか言い出さないよな?」
「言いませんよ。死ぬのはイヤだって言っているでしょう」
エルフの少女は恥じらいを隠すように髪をかき上げ、にっ、と笑った。
「だからわたしがどんなに危険な目に遭っても、絶対に守り抜いてくださいね。そう信じておきます。その代わり、時が来たら……わたしはいつまでも生きて、旦那様の生きた証を繋ぎますから。ずっと、ずっと先まで」
「っ……!」
迷いのない少女の言葉に、リコーは思わず顔を逸らしてしまった。
これは、どうなんだろう。
勘違いかもしれないが……すごく恥ずかしいことを宣言されてしまったような気がする。
(た、単に信頼してくれているって、言ってくれた。そういうことだよな……)
リコーは息を深く吸って、吐く。
マスク越しに吸い込んだハーブの香りの空気は、いつもより乾いている感じがした。
「そ、そういえばローメも洗濯してたよな。あの子は一体どこに……」
「きゃあっ! ちょっと、ローメ!」
気を紛らわせようと視線を泳がせたリコーは、シェイの声に思わず視線を向けてしまった。
「ん、どうしたの。シェイ」
「どうしたじゃないでしょ!? アンタそんなウシみたいなのにそんな裸で良いワケないんだから!?」
そこには洗濯を終えた……着ているモノを文字通り全て洗い終わって全裸のローメが、その肌を必死に隠そうとするシェイを前に首を傾げていた。
身につけているものといえば呼吸用のマナマスクくらいで、各部位のボリュームと背の高さが災いしてシェイ一人では隠しきれておらず色々はみ出ている。
(まあ、確かにウシって感じだったな……?)
リコーはミアナによって目を覆い隠された暗闇の中でぼんやりと思う。
そう、非常に残念で、失礼で、アホなことに。
シェイの混乱に引っ張られ、リコーの思考もまた、ほとんど麻痺してしまっていた。
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