第35話 渡る道
「シェイ、支えてやるから思いっきり跳べ!」
眼下の岩場からは先に渡った他の仲間たちが呼んでいる。
高さも幅もジャンプすれば問題は無いはず。あとは踏み切る勇気だけ。
「い、行くからねっ!」
魔術師少女は唾を呑み込み、助走をつけてジャンプ。
「うわわわっ!」
「おっと」
シェイは先に投げ渡していた杖を除いても大荷物なのが災いし着地で姿勢を崩すも、宣言通りにリコーがその身を抱き止めた。
「よし跳べたな、えらいぞ。足首とか挫いてないか?」
「こ、子ども扱いするな近寄るなぁっ!」
「あ、そうか匂いが。すまんすまん」
赤面したシェイにぐい、と押しのけられ、リコーは素直に離れた。
一方で押しのけた張本人はハッとなって、
「でも……受け止めてくれて、ありがとう」
と、一応素直に礼を言ったのは成長なのか、なんなのか。
「シェイエタはちょっと段差を跳んだだけで旦那様によしよしされて羨ましいです。わたしもやればよかったかな」
「よしよしされてないし! というかちょっと跳んだだけって、結構怖いのよあそこから跳ぶの! スルスル木登りして枝を伝ってひとりだけ安全に降りたアンタには分かんないかもしれないけど!」
「わ、わたしはただより安全な方法で先んじて偵察に向かっていただけですし。というわけで旦那様、あっちの茂みの向こうに危険そうな生物を見つけました。見たことないですけどシカみたいなのです」
「あ、ありがとう」
露骨に話題逸らしに使われた実感を得つつも、リコーは言われた方向に目を凝らす。
周囲と比べて少し開けた場所には確かにシカのような動物が草を食んでいた。立派な角を持っているから雄だろうか。
ただ普通のシカとは明らかに違う点として体毛が白銀色かつ、角を謎の結晶質が覆っている。
「ローメ」
「ああ、我にも見えている。アレは白いシカ」
「そりゃ見たら分かるけど」
「イラビルでの呼び名は確か……ハクギンボウギャクジカ?」
「やっぱそういうタイプかよ。暴虐って、手ごわそうな相手だな」
「いや、大丈夫。無駄に殺すことはない。それっ」
リコーが拳銃を抜く前にローメは足元の適当な石を拾い、白銀色のシカに投げつける。
すると石が身体に当たったシカはピィッと甲高い悲鳴を上げ、どこかに走り去ってしまった。
「おお~」
「白いシカは意外と臆病。遠くからこうやって脅かせば逃げてくれる」
「そうだったのか、助かったぞローメ」
「お安い御用。進もう」
ローメは特に誇ることもなく淡々と言うと、再び一行を先導して歩き出した。
そんな彼女の行動に、ミアナは人一倍感心していた。
「やっぱり詳しい人間がひとりいると安心感が違いますね! 死ぬ可能性がグッと低くなっている感じがします!」
「ありがとう。他にも分からないことがあれば我に聞いてほしい」
「じゃあさっそく。さっきのシカ、もし近づいてたらどうなってたんです?」
「我々みんなを殺すか自分が死ぬまで暴れまわるから、確実にけが人が出ていたと思う」
「あ、あっぶねえ! 旦那様、ローメちゃんだったら特別にお手伝いさんとしてわたしたちの家族に迎え入れてもいいと思うのですがいかがでしょうか!?」
「え、家族……?」
「ミアナ、わけわかんないことを口走ってローメを困らせるな」
「じゃあ私は家庭教師ってところかしらね……」
「シェイ、張り合わなくていいんだぞ」
危険を増しているはずの旅なのに、なんだか賑やかに進行している。
リコーは嬉しく思いつつも、集中しなければ、と心中で自分を戒めた。
どれだけ楽しくともここは禁域の深部。危険地帯である。
—————
「本当にこの川を渡るのか?」
「ああ」
「渡る、渡るねえ……」
リコーは思わずローメの言葉を反芻した。
ミアナもシェイも、抱いている思いは彼と同じ。
目の前に広がる『川』は、同じ距離を単純に歩くにしても向こう岸まで数十分はかかるかという巨大河川なのだ。
単に渡る、と言われても全くイメージが湧かない。
「流石にムリじゃない?」
冷静に口火を切ったのはシェイだ。
「まさか泳ぐわけじゃないわよね? そして歩くにしても、すぐそこですらかなり深くなってる。体力も使うし、ちょっと滑ったらあっという間に下流まで流されちゃうわ」
「ワー、透き通った水に泳ぐおさかなさんたちがきれいだなー」
「ほら。危険性が分かり切ってるからミアナなんか現実逃避を始めちゃってるわよ」
「大丈夫」
不安がる二人の少女に、ローメは冷静に右手側の岸を指差した。
「あそこから対岸まで続く道を使う。このあたりに住む白いビーバーが今も建造中の古いせき。少しだけ水に浸かっているけど浅いし、荷車を安全に引くこともできるくらいの幅がある。我がこっち側に来るのに使ったから安心」
「そのビーバーっていうのはやっぱり危険生物なんですか?」
「……夜行性だから、日が高いうちに渡ってしまえば大丈夫」
「やっぱり危険生物なんですね……」
死の危険を感じ取ったミアナは落ち込んでしまった。
リコーはその肩に手を置いて慰めつつ「行こう」と決断する。
「どうせもっと大きく回り道するとしてもリスクはあるんだ。ローメが通ったことがある道を使う方が最終的にはいちばん安全だろう」
「そうね。私も今から引き返して回り道するのは無茶だと思う。つり橋と違って落ちる心配も無いのだし、日が高いうちに渡りきっちゃえばいいんだったらそうしましょ。さ、ローメ、先導して」
「任せて」
「うう、そんなんじゃ皆さんいつか死んじゃいますよ……?」
というわけで、一行は向こう岸へ続く長い道を進み始めた。
先頭にローメ、二番目にシェイ、三番目にミアナ。
そして最後が、たびたび立ち止まって引き返そうとするエルフ少女の背中を押して歩かせるリコーだ。
少しだけ水に浸かった砂利っぽい地面は歩くたびにちゃぷ、ちゃぷと音を立てる。
「ホントに水が澄んでるわねしかし……」
足元に視線を落としたシェイが呟く。
「ちょっとブーツを脱いで足を晒したら気持ちよさそうね……」
「シェイ、それはおすすめしない。我らは靴を履いているから大丈夫なだけ。裸足になれば、石が刺さって痛いと思う」
「い、言ってみただけよ。流石に。危険な事くらいは分かってるわ、うん。魔術学院の席次一位なのよ。気分を優先してリスクを冒したりはしないわ」
ローメに注意されたのが恥ずかしかったのか、シェイは自分自身に言い聞かせるように弁明する。
それを後ろから見ていた青年が、
(渡りきったら休憩がてら、この川の水で身体を洗ってもいいかもな……)
などと考えていると、前を歩く長耳エルフ少女の足が再び止まった。
「ミアナ、立ち止まるな。ここまで来ちまったら引き返す方が危険だぞ」
「はーい……わかってますけどぉ」
とぼとぼと歩き出したミアナは「ねえ旦那様」と切り出した。
「旦那様はどうして死ぬかもしれないって分かっていても前に進めるんですか?」
「そうだな、あんまり真剣に考えたことが無かったけど」
リコーは首を傾げて思案する。
自分の目的は記憶を取り戻すこと。リスクを冒すのもそのためだ。
ではなぜ記憶を取り戻したいのか。
「……いまが死んでいるようなものだから、とか?」
「えっ!? そ、それはどういう……」
「ああいや、ヘンな意味じゃなくてだな」
リコーは思い付きをそのまま口にしたせいでミアナを動揺させたことを反省しつつ、慎重に言葉を選び直す。
「いまの俺には魔女から与えられた目的以外には何もない。ただ生きるだけならそれでもいいんだろうけど……どうせいつかは死ぬ命、もっと世の中に役立てたいというか」
「なんか意外と殊勝なコト考えてるんですね、旦那様は」
「俺自身も正直意外だ。正義感というか、どこから湧いてくるか分からない感情がある。いまは何もないけど……もっとちゃんとした夢が抱けたら、この感情にも納得できるのかなぁ」
「ふぅん。じゃあ、わたしと二人っきりで暮らすのは特に夢ではないと」
「そ、そういうコトが言いたいのではなく」
「いいですよ。旦那様がちょっと浮気性なのはいまに始まったことではありませんし」
ミアナは振り向き、久しぶりに見る気がする笑顔を見せて言った。
「でもわたしのことはちゃんと守ってくださいね?」
「もちろん。命を賭けて守らせてもらうよ」
「頼りにし……っ! 旦那様、みんなっ」
ぴくり、と耳を動かしたエルフ少女の声色が明らかに警告に切り替わった。
「上流の方、何か来ます!」
「水の中か! シェイ、ローメ! 構えろっ」
一行はそれぞれの武器を構えるが、肝心の敵の姿が見えない。
「何かって何!? 『結晶砲』の準備はしておくけど、どこを狙えば……」
「わたしにも分かりませんが、何か大きなのが近づいてくる音がします!」
「大きなって、水中には何も……」
水は限りなく透明だ。
シェイが言うように、リコーの目にも敵らしき姿は映らない。
いや、違う。
青年が水中に光のゆらぎのようなものを目撃したのと、巨大な影が水面から飛び出すのはほぼ同時。
「なぁっ!?」
それは巨大なワニだった。
背中に背負った結晶質の装甲が、水中で光を屈折し偽装の役割を果たしていたのだ。
だが水から出た今となっては、もはやその役割も終了。
大口を開けただ真っすぐに、狙いを定めたエルフ少女を呑まんと突進するのみだ。
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