第3話 息の詰まる街
「ハァ、ようやく森を抜けたか」
翌日、薄暗い森から街道に踏み出したリコーは足を止め、陽光に目を細める。
「そんであれが魔女サマの言う『街』だな。何が歩いたらすぐ、だ。まあまあ距離あるじゃんか、クソ」
悪態をつきつつ、リコーは遠くに見える城壁の他には草と空と土だけしかない野原を再び歩き出す。
慣れ親しんだ風景とは明らかに違う異世界。
ではリコー自身が慣れ親しんだ世界はどうだったのかと言えば、それが全く思い出せないのだ。
「元居た世界の事、知識はあるんだから風景くらい思い出せてもいいと思うんだけど……」
リコーは誰に聞かせるわけでもなくうーむ、と唸る。
例えば、ブーツを見れば名前が分かる。
スープもパンも分かるしガスマスクだって、一目見れば『それが何か』を思い出す。
要するに『知識』に関する記憶は比較的残っているのだ。
それでも、何かとっかかりが無ければ思い出せない。無から元居た世界を想起することはできない。
そして自分の本名や思い出などの『個人的な記憶』は、本当にひとつも思い出せなかった。
「ああ気持ち悪い。とっとと『おつかい』こなして記憶を返してもらわねえと」
声に出すと存外やる気も湧いてくるものだ。
リコーは街へ急いだ。
—————
「すみません、役所はどこ……」
「ヒィッ⁉︎ わ、私は何も知りませんっ!」
「いやあの俺はただ道をっ⁉︎」
リコーは声をかけた優しそうな中年の女性が逃げていくのをただ見つめることしかできなかった。
彼が声をかけた人物に逃げられるのはこれで三人目である。
「困ったな、役所の場所が分かればそれでいいんだけど。まあ、この格好じゃなあ……」
現在のリコーの恰好は口元を覆うゴツいガスマスクに真っ黒いフード付きのロングコート。
どう見たって不審者の装いだ。人々は距離を取り、遠巻きに彼を眺めている。
「魔女め、やっぱり悪目立ちしてるじゃないか」
リコーの服装を決めた魔女曰く「街中でそんな恰好しているやつなんか居ないけど『いかにも』感全開の方が、かえって目立たないってもんだよ」とのことだったが、彼は今のところ迷惑しかしていない。
「あの、もしかしてお兄さん、お困りですか」
と、悩めるリコーに話しかける声。
彼が振り向くと、一人の少女が立っていた。
(ボロ布のような服だな……浮浪者か?)
リコーはその見た目に身も蓋も無い印象を抱いた。
背丈的に十五、六歳くらいか。クリーム色のボサボサ髪は雑に散髪しているらしくあちこちで長さが違っている。前髪が片側だけ長くて右目が隠れているので、強いて言うなら長髪か。
そして気になるのはその耳の長さ。先端が尖った耳は横に垂れていて、髪色も相まってそういう種類のウサギに見える。
さらに、左耳には大きな穴が空いていた。
「あなた、この街は初めてですか? 迷っているようにお見受けしますが」
向けられた視線に先回りするように言う長耳少女。
リコーはその身格好からは想像できない丁寧な態度に面食らいつつも頷いた。
「実は役所を探しているんだけど、誰にも道を聞けなくて」
「なんだ、役所ですか。それならあそこの緑の壁の建物です。周囲のみすぼらしい家や酒場に比べて装飾が豪華でしょう?」
少女が指差す先を見ると、確かに周囲の建物に比べて比較的小奇麗で大きな建物が見えた。しかも壁が鮮やかな緑色なだけでなく、大きな木のような模様の描かれた旗も掲げられているではないか。
「本当だ、明らかにそれっぽいのに何で気がつかなかったんだろう」
「お兄さん、あんまり周りが見えてなさそうですもんね。物理的に」
言いつつ、長耳少女は伺うように首を傾げた。
「禁域探索用のマナマスクですよね、それ?」
「マナマスク……まあその、ちょっと事情があってな」
リコーは適当にはぐらかしつつ、少女の言った言葉を反芻する。
(禁域探索用のマナマスク、ね。魔女が後で説明すると言ったマスクの本来の役割か。なんとなく事情が見えてきた気がするな)
マスク無しでロクに呼吸もできない自分が召喚された意味。
帰ったら魔女のやつを問い詰めてやろう。
「ともかくありがとうお嬢さん。それじゃ、俺はこれで」
リコーは長耳少女に軽く会釈して、役所の方へと向かった。
—————
「あの、禁域の免許はここで?」
「え、ええ。こちらで受け付けております」
リコーが役所に入って正面の受付らしきカウンターで問いかけると、窓口の女性がひきつった笑顔で応えた。逃げ出されないだけマシだが、リコーは少し悲しくなった。
(まるで化け物扱い……仕方ないけどさぁ)
酒場や簡易的な教会、裁判所、商工会などが複合しているらしい役所内。
様々な人間が入り乱れているここなら自分と似たようなやつもいるかと考えたリコーだったが、向けられたのは相変わらず奇異の目だけだった。
「えっと、マナマスクはお持ちのようですね。口頭で身元等を確認させてください」
リコーにとってありがたいことに、窓口の女性は早くも気まずさを感じさせない仕事モードに切り替わっていた。
「お名前は?」
「リコー」
「名字は無し、と。身元の引受人は居ますか?」
「身元ね……一応、禁域の魔女に言われてここに来たんだけど」
ぴた、と女性の手が止まった。
「……失礼、免許情報の刻印のため、マスクを取って下さりますか?」
「えっ⁉︎」
「すぐ済みますので」
窓口の女性は顔を上げ、リコーに冷たい視線を向ける。
事情を正直に話してはならない。
何かを疑うような彼女の目にリコーはそう直感し、素早くマスクの留め紐に手をかける。
(短時間なら息を止めていられるはず)
リコーは自分を励ましつつ、すぅ、と大きく息を吸い込んだ。
ミントのような香りが胸いっぱいに広がる。
これが、自分に許された呼吸の残量。
リコーは意を決して息を止め、カウンターにマスクを置いた。
「ありがとうございます。では少々お待ちを」
窓口の女性は藍色に煌めく不思議な石でできたナイフでマスクの表面に文字を刻みつけていく。文字はナイフ同様箔押ししたように藍色に煌めいている。おそらく免許の偽造を防止するための措置だろう。
(これ、他にも作業があったりしないよな)
そして浮かんだ不安に、リコーの心臓が早鐘を打ち始める。
『すぐ』の感覚が極めて個人的であると、街に来るまでに痛感したばかりだったから尚更だ。
「これでよし」
だがリコーの心配に反し、女性は文字を刻み終わるとすぐにマスクを差し出した。
「お、終わった? じゃあマスクを……」
「一つだけ、質問があります」
「っ!」
差し出されたマスクをさっと引っ込められ、リコーは息を詰まらせた。
早く渡せと迫りたいが、ここで事を荒立ててマスクを没収されたら死んでしまう。
リコーは何とか平静を装いつつ「いいけど、何」と返答を絞り出す。
「あなた……本当に『リコー』さん、ですか?」
顔を正面から見据えた、核心を突く質問。
窓口の女性はどうしてか、目の前の男が『リコー』ではない可能性を疑った。
(そんなの俺が知りてえよ……!)
出かかった声を喉奥に押し留め、男は必死に首肯する。
本当なら質問の意図を根掘り葉掘り聞きたいところだったが、今の彼には事情を話す余裕すらない。
女性はしばらく黙っていたが、ふぅ、とため息を吐いて再びマスクを差し出した。
「……すみません、変なことを聞きました。これはお返しします」
「ありがとうっ」
リコーはマスクをひったくるように受け取った。
(流石に苦しくなってきたけど、いきなり着けたら不自然だよな……!)
ただでさえ何かを疑われている状況。これ以上この街での信頼を損なうのは悪手。
窒息の恐怖が迫る中、リコーは魔女に渡された銀貨を何枚か掴み出してカウンターに置いた。
そんなつもりはなかったが、叩きつけられた銀貨がガチャン! と音を立てる。
「手数料はそれで足りるはずっ! ありがとうございましたっ!」
「え⁉︎ いやあのリコーさんこれ多すぎ……」
「おつりいらないですっ」
リコーは女性の制止を振り払い、役所の窓口に突進する。
(マスクを着けるのは外に出てから……!)
呼吸を求める生存本能を理性で抑圧し、リコーはドアを乱暴に開けて役所の外へ。
(よし、ようやく呼吸ができ)
ぱしっ、と。
それはもう、あっけなく。
リコーが着けようとした瞬間、彼の生命線そのものとも言えるガスマスクは待ち構えていた『誰か』に奪い取られた。
「ひゅっ」
突然の出来事に驚き、リコーはマスク無しで息を吸ってしまった。
肺の空気を入れ替えても楽にならない異常事態に脳が混乱し、過呼吸が始まった。
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