第1話 そのくちびるは蜜の味
新連載始めました。
暗闇と焦熱。
まるで身体が火にくべられているかのよう。
「おーい。えっと……リコー? リコーくん?」
やや低めの女の声がして、リコーと呼ばれた青年は考えを巡らせる。
(死ぬ時、最後まで残るのは聴覚、なんだっけ。だったらここは死後の世界? いや、違うな)
頭に浮かんだ俗説を、リコーは即座に否定した。
「ふむ、そろそろ定着するはずなんだけどな……」
聞こえてくる女の声に緊迫感はなく、死後の世界にしてはあまりにものんきな雰囲気だ。
冷静になった途端、リコーは下腹部から胸元にかけてが温かい事に気がついた。
背中には硬い感触。床か何かに寝かされている。
そしてこの暗闇は、なんのことはない、自分が目を閉じているだけらしかった。
「リコーくぅん、もしボクの声が聞こえているなら目を開けて欲しいんだが、できるかな?」
だらけきった低い声は言う。
(ああ、聞こえているとも。誰かさん)
リコーは口を開く代わりに、静かに目を開けた。
「っ……!」
リコーは息を呑んだ。文字通り。
目を開けた彼を覗き込むふたつの大きな瞳は深緑色。
長いまつ毛に、すっと伸びた鼻筋。色白の肌に、薄いくちびる。
目の下にドス黒いクマがあったり、瞳と同じく深緑色の髪の毛はところどころはねていたり、その髪を後頭部で乱暴にまとめていたりと、他にも詳細に言おうと思えばいくらでも言えるが。
つまるところ、女はリコーの好みのど真ん中。
呼吸も忘れ、その瞳に見入った。
「おお、起きた。おはよう、気分はどうかな?」
言いつつ、彼の骨盤の辺りに跨っていた女は彼を寝かせている台から降りた。
なるほど、感じていたぬるい温もりは、彼女にのしかかられていたからか。
「さて、調子はどうかな? 何か話せる?」
「……」
リコーは女の問いかけに返事をしようと試みたが、うまく言葉にできない。
モヤがかかったように考えがまとまらず、ただ息苦しさだけが募っていく。
「……?」
いや、というか。
なんか、呼吸ができない。
「……っ⁉︎ こひゅ、ひゅっ」
パニックに陥ったリコーは頭が発する危険信号のままに空気を吸うが、いくら吸っても苦しくなるばかりで全く楽にならない。
何が起きているのか。
ここはどこなのか、女は誰なのか。
というか『リコー』って、俺のことなのか。
おもちゃ箱をひっくり返したみたいに色とりどりの疑問がぶちまけられた青年の脳内でただひとつ、ハッキリとした存在感を放つもの。
死。
「がはっ……」
呼吸をしようともがく途中、リコーの背中に痛みが走った。
乗せられていた台から落下したのだ。
肺に残されていたわずかな空気すら、衝撃で叩き出されてしまった。
「おっとそうだった! ボクとしたことが」
リコーの危機に女が素早く動く。
落下の痛みでもがくことすらできない彼に再びのしかかり叫ぶ。
「いいか、落ち着いて深呼吸だぞ! たぶん楽になるから!」
「⁉︎」
そして女は、リコーにそっとくちびるを重ねた。
一切の躊躇なく。
(こっちは生命の危機だというのに何してるんだこの女は……?)
もう意味が分からなかったが、混沌とした状況は逆にリコーを真の意味で冷静にさせた。
半信半疑ながら、リコーは女にキスされたまま、少しだけ息を吸って、吐いてみる。
すると(信じがたいことに)やや息苦しさはあるものの普通に呼吸ができた。
(これは、循環呼吸法?)
リコーが一応の結論に達したちょうどその時、女はそっとくちびるを離した。
「すぐ呼吸できるようにするから、息を止めて待っててくれ」
リコーが言われるがままに息を止めて頷くと、女は満足げに笑い、部屋の隅へ駆けて行った。
(で、ここは……)
リコーは息を止めたまま身を起こして周囲を見渡してみた。
女は一見ドレスに見えるシルエットのワンピースのような黒い服にややくすんだ白の上着を羽織っていた。まるで白衣を着た科学研究員のようだ。とすると、女が使っている机の上にあるのは実験道具か。
部屋の床には、台を中心にチョークか何かで大きな円形の幾何学模様が描かれている。
女は研究者のような雰囲気だが、部屋は研究室というよりは魔術師のアトリエと言うに相応しい。
考えがまとまっていく途中、リコーはそっと口元に手をやった。
甘い。
砂糖とは違う、控えめで儚い蜜のような。
あの女の唾液、唐突で甘いキスの味。
(……命の恩人相手に何考えてんだ俺は)
「やあやあお待たせ。コレでもう大丈夫」
リコーが煩悩を振り払おうとしていると女が戻ってきて、手にした何かを彼の口元に押し付けた。
お面の下半分のような形状だが、特筆すべきは二つの円筒。
正面と左側面に円筒が飛び出しているそのシルエットに、リコーは見覚えがあった。
(ガスマスク、だよな?)
「さあ吸って、吐いて……」
再び指示通りに呼吸すると、リコーの肺にミント系のハーブのような香りのする空気がなだれ込み、今度こそ通常の呼吸ができるようになった。
「大丈夫そうだね。頭の後ろで紐を留めて固定してくれ。キミはそれをつけてれば呼吸できるはず」
「……ありがとう。あんたは、魔女、なのか?」
「おや、やっぱりそう見える? ならこうしちゃおう。もっとそれっぽくなるし」
女はおどけて言うと、近くのイスに引っ掛けてあったいかにもすぎる大きなとんがり帽子をかぶってニヤリと笑った。
「異世界からはるばるようこそリコーくん。ボクはリオ・ヘプロート。人呼んで『禁域の魔女』。キミを召喚した女さ」
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