8話
「梅田さん!」
気がつけば俺は梅田さんを追いかけていた。
「杉原くん、どうしたの?何かあった?」
少し驚いた様子だった。走って追いかけられたら驚くのは当然か。
「いや、その、校門まで送ろうかと思って」
「えっと、部活は大丈夫なの?」
「大丈夫!ほら、すぐそこまでだし、女の子一人だと心配だし」
苦しすぎる言い訳だということは自分でも分かっている。まだ昼間だし、女の子一人でも危ないということはほぼないだろう。
彼女は、俺の気持ちを見透かしたかのように口元に手を当て笑った。
「そうだね、じゃあ送ってもらおうかな。校門まで」
下駄箱から門まで数十メートル。今日ほどこの距離が長くなって欲しいと願ったことはない。
「自己紹介のとき、読書が趣味って言ってたよね。どういう本を読むの?」
「色々読むけど、一番は純文学かな」
「純文学かあ。俺、あまり普段は本読まないからよかったら面白い本教えてよ」
「私が紹介するものでよかったら」
この短い間で大した話はできなかった。だが、仲良くなるきっかけぐらいにはなったはずだ。
「じゃあ、ここで。送ってくれてありがとう」
「うん、また明日。気をつけて帰ってね」
手を振りながら見送った。後ろ姿を見て少し寂しくなった。
欲を言ってしまえば、連絡先を交換したかった。
しかし、今日初めて話したばかりなのに、連絡先を聞くことは失礼なのではないかと思って聞けなかった。
気持ちを切り替えて部活に行こう。
きっとまた話せる機会は来る。きっと、来る。そう信じるしかない。
もう部活が始まって一時間ほど経っているか。委員会があったとはいえ、早く行かないとまた文句を言われてしまいそうだ。
「杉原くん!」
後ろから梅田さんの声が聞こえた気がした。
幻聴かと思った。だが、余りにも鮮明な幻聴だったため思わず振り返った。
そこには、息を切らした梅原さんがいた。
「え、梅原さんどうしたの。忘れ物?」
「ううん、えっとね」
梅原さんはカバンをゴソゴソと探り、携帯を出した。
「もし杉原くんが良かったら、私と連絡先交換してくれないかな」
その言葉を聞いて脳が止まった。何が起こっているのか全く分からない。
梅原さんと俺が連絡先を交換?夢か?
まさかそれを言うためにわざわざ走ってきてくれたのか?
ずっと俺の中はハテナで埋まっていた。
「杉原くん?」
驚いて何も言葉を発する事ができなかったが、梅田さんの声でハッとした。
「あ、も、もちろん。交換しようか、連絡先」
「よかった、ありがとう」
連絡先を交換している間も、自分の心臓の音がずっと聞こえていた。きっと顔も真っ赤だ。
「ごめんね、呼び止めてしまって。じゃあ、また明日」
「ああ、また明日」
梅原さんが立ち去っても、しばらく動けなかった。
まさか彼女の方から連絡先を聞いてくれるなんて、思ってもみなかったから。
どういう理由で連絡先を聞いてきたのかは分からないが、これまでにない好機だ。
ここから始まる。というか、ここから始める。
頭が少し冴えてきた頃、部活のことを思い出した。急いで向かわなければ。
どうせまた文句や嫌味を言われてしまうだろう。
まあ、どれだけ文句や嫌味を言われようと今の俺には何も聞こえないが。
「遅れました。すみません」
「遅いぞ杉原。そんなに保健委員は大変な仕事があるのか」
「そんなこと言わないでくださいよ、先輩」
「早く着替えて練習入れ」
「了解です」
同級生からの文句や嫌味には耐えられるが、先輩となると少し刺さる。
バスケ部は基本的に先輩も後輩も別け隔てなく仲がいいが、部活を休んだり、遅刻したりする人にはどこか厳しい。
練習着に着替えながら、今日は先輩の対応が厳しいことを覚悟した。