九十八記_地下壕へのシラベ
——七月五日、路地裏のバー、早朝
「ありがとうございます、バロンさん。イブさんのお夜食作っていただいたみたいで」
大体イブは深夜に用事がある時は俺の誰かを叩き起こす。そうしなかったのに俺は一抹の不信感を抱いたが、それもすぐに霧散した。やはり、相当に機嫌を損ねていたのかもしれない。
「ありがとね、バロン」
「いーよ。別に気にしなくて。僕も夜のお供が増えて嬉しいよ」
どうやらバロンとは一夜でかなり打ち解けたらしい。彼に頭を撫でられるイブは嫌がる様子もない。彼自身、夜は眠れないタチらしく「今日はお嬢ちゃんのおかげで随分と夜が明けるのが早かったよ」と言っていた。
和やかな雰囲気もそこそこに俺たちは作戦会議を始める。
「バロンさん、道中隷属者は」
「まあ、多少はね。メインストリートはなるべく通らないようにするつもりだけど、なるべくだよ。ハグレはどうしようも無いから戦うつもりで準備はしておいてね」
彼は昨日も使ったアガルタの俯瞰図と。もう一枚、古書特有の古めかしい匂いのする地図を広げる。
「これは旧・ドヴェルグの地図。詳しい道筋は省くけど、行くところはココだ」
彼は現在地を人差し指で指してからその指をまっすぐ北西方向に引っ張る。
「ここに古い古民家がある。そこに『レジスタンス』の本拠の入り口が隠されているんだ」
曰く、アガルタになる前『ドヴェルグ』と『ニョルズ』と『ヴィーザル』は一時紛争状態になった時期があり、今から行く本拠地はその時に作られた地下壕らしい。アガルタに全ての国が併合されてからは入り口は全て閉鎖され、街として整備されたと言われていたが、用心な老人が密かに秘匿しており、そこに逃げ込んだということだった。
「よく二年も隠し通せましたね」
話を聞いたシャーロットさんが考え込むように腕を組んでいる。
「行ったら分かるよ」
バロンは思わせぶりにそういうと、地図をしまってしまう。
「それじゃあ行こうか。僕たち『レジスタンス』の本拠地へ」
「イブ」
「はーい」
イブは声をかけるとそれが何を意味しているか感じ取ったのか、マイペースに寛いでいたマイヤを両手で掴んで自発的に『部屋』の中へと入っていった。
バーを出てひたすらに路地裏を進む。前は俺とシャーロットさん。後ろには楠木とバロンが付いている。楠木は先ほどからバロンに熱心に話しかけ、今のアガルタやレジスタンスについての情報収集をしていた。彼は複雑な道筋を暗記しているらしく、後ろから路地の分岐に差し掛かると声をかけて進行方向を俺たちに伝えてくれる。
そうして歩き続けていると、ついにイデアが反応した。遅れて二体の隷属者が現れる。一体は右手が大きく発達した個体。もう一体は足が猛獣のように折れ曲がり、脚部が異常発達した個体だった。
「新さま」
「…分かってます」
…隷属者は発見次第、即時攻撃。仲間を呼ばれる前に処断する
それは楠木とバロンの会話から得た知識だった。路地を徘徊する隷属者は『はぐれ』と呼ばれ、集団行動に属していない。仮に個体が固まっていたとしてもそれは偶発的に起こることで大きな集団とは繋がっていないらしい。ただ深傷を負った時の叫び声には気をつけろとのことだった。その声は余りに大きく、他の隷属者の耳に入り寄って来る可能性は十二分にあるとのことだった。
自分の体の肥大した部位を引きずりながら、ずるずると歩いていた隷属者の一人が止まった。
完全な静止。そして訪れる胸中の騒めき。
それは戦闘開始の合図だった。




