九十七記_守られ続けるということ
彼は使った調理器具を洗って片付けると椅子に座った。
「それでどうしたの、話してよ。おじさん誰にも言わないからさ」
彼は再びグラスを手にするとひと含みしてからそれを卓上に置く。それが合図になったのか、イブは手に持つスプーンを皿に置くと口を戦慄かせてから話し始めた。
「今日、お兄ちゃんたち敵と戦ってたでしょ。その時にお兄ちゃんに話しかけたら、怒られたの『出てくるな』って…」
それは当たり前じゃないの、とバロンは思いつつも口を閉ざす。
あの隷属者の数だ。新くんも余裕がなかったに違いない。アガルタがロサに侵略されない都市というバイアスがあったのなら、尚更だろう。だが、年若い彼らはその異常事態に即応した。彼はそれに驚嘆していた。故にバロンは彼らを『レジスタンス』に勧誘したのだ。
それはさておき、イブにはあの時の事について言い分があるらしく、彼は聞き耳を立てる。
「いつもそう。『イブは出て来るな』、『イブさんは隠れていてください』ってみんな私ばっかり守る」
イブの口がくの字に曲がる。しじまの間の後、彼女はポツポツと言葉を紡ぎ始める。
「旅が始まってからずっとだった。お姉ちゃんもお兄ちゃんも護身術は教えてくれても剣術は教えてくれないし、楠木に紋章の彫り方教えてもらおうとしても『イブには早い』って言われるし…」
「でも、それはお嬢ちゃんをみんなが気遣っているんじゃないのかな。君の年だとまだ家族に我儘放題で庇護…守られる側なんだよ、それがふ——」
「普通なんだよ」とバロンが続けようとしたその時、彼女は堰を切ったように声を荒げた。
「お兄ちゃんは!私を助けてくれたときボロボロだった。私知ってるの!お兄ちゃんが私のせいで楠木と大変な事になったこと…」
イブはバロンに事の仔細を話した。
自分がロサイズムの施設から新によって助け出されたこと。
イブを巡ってロサと交戦し、六層から十一層に転落。新と楠木が奇跡的に生還したこと。
本来、彼女に隠されているはずのそれをイブが知ったのは偶然だった。中層域ニ層にあった砦。そこで転がっていた新聞紙を拾い上げ、それを読んで事の全貌を知ってしまったのだ。
イブは歯痒そうに表情を歪める。この一年半、彼女は守られ続けた。自分が重荷になっていることに気づいてしまっていた。
「私は守られるだけじゃなくて、守りたい。背中に隠れるんじゃなくて、預けて合いたい。…見てるだけなのはもう嫌なの」
それは悲痛な叫びだった。彼女は大粒の涙を丸めた手で拭う。嗚咽で喋ることもままならない。バロンは何も言えなかった。これほど理知的な子に慰みなんて通用しない。彼にできるのはこれまで通りただ彼女の鏡に徹することだけだった。
待つこと数分。イブの咽び泣きは収まり、口が聞けるようになった彼女は言った。
「おじさん、私に戦い方を教えて」
イブはバロンの方を向いて徐に一点を指差す。
その先にあったのは彼の武器だ。丁度、彼の右横に銃身が異様に長い奇妙な形の銃があった。
彼女の目は謳っていた。
『あなたの戦い方は知っている。だから、私にやり方を教えてくれ』、と。
紋章の中からでも外部の状況はそれとなく分かるらしかった。
バロンは口を開く最中、二の字を踏んだ。「ダメだ」と一言告げようとした。
正直、こんな幼い子に戦い方を教えるのは正気ではない。ただ彼女の背景を知ってしまった彼に断ることは出来なかった。
何もせず手遅れになってから、後悔の末の自己嫌悪に陥ってほしくなかった。
彼は息を吸ってゆっくりと吐く。それから目を閉じて少し考えを巡らせる。そうして落ち着き、バロンはそれを自身が冷静である証左とした。
「わかったよ。君に戦い方を教える。始めるのは明日の夜中からになるかな」
「ありがと、おじさん」
イブは泣き腫らし、やつれた顔に微笑を浮かべた。




