九十四記_法下の秩序
…はぁ…はぁ…はぁ
路地裏深く。どこかも分からないそこまで走り続けた俺たちは寂れたバーに身を隠していた。
「ここまで来りゃ、とりあえず大丈夫じゃない…?」
ここまで招いた当の本人が疑問形とはこれ如何に。一方で隷属者は振り切れたらしく追撃がないまま時間が過ぎていた。
「はぁ、はぁ。つーか、おっさん誰だよ」
息を切らせながら、楠木は彼を見やる。
「誰だよって…初対面の人に随分と痛烈だな、君は」
やるせない声色と共にため息をつくように言葉を並べる。巻毛でラウンドタイプのメガネをかけたその人は寄りかかるカウンターから離れると名を名乗った。
「僕はバロン。変わり者のバロン。みんなそう呼ぶよ」
「私はシャーロット・ローレンス」
「俺は楠木晴人」
「…山神新」
順繰りに自己紹介を終えたところで早速本題に入った。俺は疲労をそこそこに感じつつも項垂れる頭を上げて質問する。
「どうなってるんですか、バロンさん。この都市は黒バラ…、ロサイズムに侵略されていない都市。そうじゃなかったんですか」
それを聞くとバロンさんはカウンターに踏み入り、棚を吟味してから酒を一瓶、そしてロックグラス一つを手に取ると止まり木(カウンターの椅子)に座る。。
酒をグラスに注いでからひと含みすると話し始めた。
「新くん?だっけな。君の言った通りだよ。ちょっと前までこの都市はラビリンスにおいて最も安全な都市の一つに数えられてたんだ。ただ状況が二年前に変わった」
「バロンさん。それなら、状況が何処にも伝わってないのはおかしくはないですか」
シャーロットさんが訝しげに呟く。すると彼はグラスを持った手を宙で振りながら、ため息をつく。そして俺たちの方へ中指を指した。
「バロンだよ。それはもう君たちも知ってるさ。中に入れるけど、出られない。『突進の紋章』で都市の外周丸ごと包み込んで要塞化した結界『法下の秩序』。名前の通り本来は犯罪者を逃さないための防壁さ。…それが今は実質的な監獄になってしまっているんだけどね」
彼は加えて、外から見た風景が日常に見えるのは観光客をはじめ、この街を訪問する人へのカモフラージュだと説明する。
「と、なると紋章による転移、念話…外部への干渉は粗方無理か」
「鋭いね、楠木少年。その通りだよ」
いつの間にかカウンターにグラスを置いていたバロンは指を鳴らして楠木の言葉を肯定する。
「発生源は何処ですか」
シャーロットさんの言葉をきっかけに思考を働かせる。確かに。ここまで大規模な仕掛けなら何処かに制御装置があっても不思議ではない。
彼はグラスに視線を落としながらそれに答える。
「…この街中央の王宮だよ。ダメだね。散文的になってきた。長話になるけど、この都市の現状を聞いてもらえるかい?」
それから、バロンは二年前にこの都市で起きたことを話し始めた。
「そうだな。始まりは約二年前の七月。正確な日時はみんなバラバラだ。だから、某日とさせてくれ」
徐にバロンは止まり木を立つと長机のあるこちらに来て、複数枚のカードから地図やチェスの駒を出して机に置いた。地図はアガルタの文字を始め、『ヴィーザル』、『ニョルズ』、そして俺たちが入ってきた『ドヴェルグ』の各城門の名があることから都市『アガルタ』全体の地図だと言うことが分かる。
「その日突如として、住民や軍に何の通達もなく『法下の秩序』が発動した。鉱業、林業、商いその全てが中で成立しているような都市さ。外から入って来る人はいても、出る人は少ない。だから住民に本来来るはずの事前告知もなく、『法下の秩序』の無断使用がなされた事の発覚が遅れたんだとさ」
地図の上に白のポーンを三つ置く。それが住民という事のようだ。
「ただ、発覚したところで住民は特段慌てる様子を見せなかったみたいなんだ。誰が流したか、政府が極悪人を捉えるために使ったって好意的な解釈が住民の中で広まったらしい。…安心したかったんだろうね」
バロンはポーンの一つを盤上から取り上げるとそれで軽く机を叩きながら言う。彼はそうすると何か悔恨があるのか、眉を顰めた。
「悪いね。俺もここに来たのはこうなってからだからさ。しばらくは聞いた話になっちまう」
申し訳なさそうにそういうと話を再開する。
「ただ王宮からその後も全く何の発表もなくて、誰もが疑心を抱き始めた。そんでもって決定的になったのはアガルタの王宮から逃げ出してきたとかいう血だらけの軍人が現れた時だ」
机の上に転がっている白のルークとナイトを取り上げると、王宮にルークを市街地にナイトを置くとそれを指で弾いて転ばせる。
「保護した住民が話を聞くと国王襲名制を批判していた「左翼」のトップがクーデターを起こしたって話だった。『左大臣はロサイズムと手を組んだ』、その言葉を最後に軍人は息を引き取ったらしい」
バロンは黒のビショップを白のルークの近くに置く。
まあそうだろうと思う。あの隷属者の数を見て、乗っ取られていないと考える方が不自然だ。
それに丁度、その頃アルバートは『本部』の依頼で『元老院』に潜伏していた。だから、あの時俺たちにこの都市を薦めてしまったのだ。しかし、それから何の音沙汰もないことを考えるとまた『本部』とは違う派閥の犯行なのかもしれない。
「そんでもってそこからが問題さ。王宮から出てきた『隷属者』たちが住民を襲い始めたんだ。襲われた住民は新なる『隷属者』となる。それがさっきの惨状だよ」
曰く、傷口に種子のようなものを埋め込まれ、それに適応できたものは『隷属者』として覚醒する。脚部、前腕、顎、肩甲骨それらのどれかが強靭化したのが『第一種:エインヘリヤル』、全身適合したのが『第二種:ワルキューレ』。
あの王宮を死の館『ヴァルハラ』として見立てた皮肉の名称だそうだ。
それを聞いて俺は戦慄した。俺は人に剣を向けていたのか、と
「とはいえ、殺すことを躊躇ってはいけないよ。彼はすでに自我を失った生きる屍だ」
…嘘だろ、俺はさっきまで人に剣を
右手が震え出し、戦闘中の光景が想起される。自身の命を守るとはいえ、数々の人に剣を。さらには紋章術で拘束し、焼いたのだ。
…いや、違う
記憶の蓋が開く。そうだ。俺は見ていた。隷属者が纏うわずかな布切れを。初めから知る余地はあった。喉が渇き、頬には冷や汗が伝う。
「新くん、どうかしたかい」
「あ、大丈夫です。いや、都市の状況が思ったより深刻だったので…それで」
バロンに突然話しかけられて驚く。俺はなるべく平然を装ったが、心中穏やかではなかった。
ただ今はこの都市の情勢を詳しく知ることが優先だ。泥のように粘りが強いそれを感じながらも話に耳を向ける。
いつの間にかアガルタの地図の上には黒のポーンやナイトで覆われていた。先ほどまであった白のポーンは地図の外側へと押しやられている。
「続けるよ。でさ、生き残った奴らは鉱山都市ドヴェルグがまだ独立都市だった時に作られた大空洞。僕らそこに避難してるのよ。そこにこのクーデターを終わらせようとする組織『レジスタンス』があるんだ。君たち、運が良かったね『ヴィーザル』とか『ニョルズ』から入ってきてたら、早々に命が潰えていたかもしれない」
「そんでこっからはこっちからの依頼だ。君たち冒険者だよね」
それにシャーロットさんと共にこくりと頷きを返す。
「逃げ隠れるのに大半の軍人はやられた。この二年は外部から来る戦える人を囲い込んで兵力を貯めてきたんだ。どうだろう。新くんもシャーロットちゃんも年若い割に紋章術に精通してる、それに戦闘能力も高いし、僕としては加わってほしいんだけど」
王宮を奪還しなければ俺たちは外に出られない。選択肢などなかった。ただバロンが「依頼」という形にしてくれているのはこちらの要望を幾らか呑む用意があるからだと推察する。
シャーロットさん、楠木と目配せをして同意をとり、俺はバロンに返答する。
「よろしくお願いします、バロン…さん」
「バロンでいいよ。今から僕たちは運命共同体だからね」
差し出された右手に自分の右手を合わせて握手をした。




