八十九記_食卓
「お姉ちゃん、何か手伝うことある?」
イブは近くの水場で手を洗ってくるとシャーロットさんにそう尋ねる。
「では、食卓を整えていただけますか」
「うん。あ、お姉ちゃん。ちょっと待って」
すると彼女は駆け足でこちらへとやってくる。その勢いで耳元の三角の形をしたピアスが揺れ、拠点を照らすルクス光の灯りを反射した。
「マイヤ、ご飯しよっか」
彼女は調理場の近くまでやってくると屈んで白の毛玉に声をかけた。その声を聞くと毛玉はもぞもぞと動き出し、前足を支えに伸びをする。
「ミャーオ」
遅ればせながら可愛らしい声が辺りに響く。
猫さんことマイヤだ。猫さんは賢い。料理を作り始めると焚き火でここが暖かくなることを知っているのだ。だから、先ほどまで丸まってここに鎮座していた。ただ、大好きなご飯の誘惑には勝てなかったのか、イブの呼び声に応じてテーブルのある方へと向かっていった。
その先ではイブが餌台を取り出し、皿にキャットフードを慣れた手つきで盛り付けている。猫さんがテーブルに着く頃には万事、準備は終わっていた。
『苦しゅうない』
とでも言いそうな悠然な足取りでそこまで向かうと当然のようにカリカリに手をつける。まるで爵位の得た貴族さまのようだ。
因みにマイヤの序列によると
シャーロットさん→従わなきゃやばい人
イブ→友達
俺→手下
楠木→眼中にない。もはや敵。
と言った感じである。会ってから一年半経つが楠木には全く懐かない。それはもう可哀想なほどに。触ろうとすれば、毛を逆立て引っ掛かれるわ。顔に向かって飛び蹴りされるわ。散々である。ただ何故そこまで毛嫌いされるのかは誰も見当がついていなかった。
その時、ふと思う。
…そっか。もう一年半か
この世界、ラビリンスに来てからの激動の三ヶ月が少し懐かしく感じる。それから第一層の都市『大和』を離れて探索地帯を転々としながら、中層域まで下ってきた。あの『十一層からの脱出』以降は特段、異常事態には出会していない。ただ少しずつ積み上げて来ただけだ。俺の冒険者スコアはあの激戦で200の大台を突破。1年半たった現在は312。300に到達してからは一週間に一上がるかどうかと言った具合になっていた。
…さ、そろそろやろうか
感慨もほどほどに調理を始める。寸胴の中に油を引いて鶏肉を投入。それに火が通ると塩、胡椒、人参、じゃがいも、玉ねぎを加えてさらに炒め、頃合いを見て小麦粉を入れる。そのままダマにならないようにヘラで具材と共に転がし、全体に火が通るのを確認すると水とコンソメを入れて煮込み始める。その間にシャーロットさんが後ろに置いてくれた輸送缶から必要な分の牛乳を取り出しておき、少し待つ。全体にテリが出てきたらその牛乳を流し入れる。
それからは味見の時間だ。
ここが料理で一番楽しいところだと思う。ここでのハーブやスパイス、調味料の使い方で個性が出てくる。つまり「俺の」料理になるのだ。個人的にはシチューのぼんやりとした味をまとめるためにほんの少しの唐辛子を入れ、その後、オレガノと塩で味を調節する。今日はこれで終わりだが、唐辛子の代わりに醤油などの「和」でまとめることもできる。
脳裏で「空想クッキング番組」を流すことしばらく、今日のメインディッシュが完成した。
「どうだ、新。出来たか」
後ろから声がかかる。楠木も解体を終えてすぐらしく手には水に濡れた大振りのナイフとタオルが握られている。
「丁度だよ、楠木。味見する?」
大さじを取り出して、シチューを掬うと楠の方へ。彼はナイフを腰元の鞘にしまい、タオルを首筋にかけると匙を受け取り口に含む。
「うまっ」
「あっ、楠木が食べてる!ずるい」
後ろを向くとイブが指差しながら、楠木を糾弾する。どうやら食卓も整ったようで机の上にはサラダとパン、全員分の食器類そしてカトラリーが並べられている。
俺は最後に『回収の紋章』から火消し壺を取り出すと火バサミを使ってまだ熱を帯びている薪をその中に入れる。火事にならないようの処置だ。
「じゃあ、ご飯にしようか」
その呼びかけと共にシチューを皿に装い、食事を始めた。




