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紋章都市ラビュリントス *第四巻構想中  作者: 創作
第四幕_THE GIRL OF HOLY GRAIL

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八十二記_暗闇の先

 「新、あらた!」

 視界がぼやけていて、俺の名を呼ぶ誰かが誰なのかが分からない。近くにいるはずなのにその人の声はとてつもなく遠いところから発せられているように感じる。

 ただそれも数瞬だった。

 瞬きを繰り返すほどに感覚は鋭敏になっていき、遂に五感がひらく。

 「うぅぅ…」

 俺はうめき声を上げながら、上体を起こす。すると胸にどっと強い衝撃を感じた。

 楠木だった。

 服は擦り切れ、穴が空き、血や粘液に塗れてズタボロの状態。だが体の方は大丈夫そうだった。えぐられたはずの左肩はその痕跡も感じられないほど綺麗に治っている。『水の紋章』は正確に作動したようだった。そして俺は対価により気絶してしまっていたらしい。

 …これは使う時は注意しないとな

 俺は自分の左手でめ込まれた紋章を一瞥いちべつして、独りごちる。

 「生きてる…よな。起きたら、新が目の前でぶっ倒れてたからびっくりしたぜ」

 俺に抱きついていた楠木は肩を掴んで離れる。彼は瞼を下げ、口元を緩め安堵の表情を浮かべると、一息ついて鼻を鳴らした。

 そこでようやく頭が回り始めた。

 「楠木。ここの女王の力は奪った。先を急ごう」

 最低限ことを伝えると彼の表情が引き締まった。「女王の権能を手にする」という作戦上の山場を越えたものの未だ「大都市への救援要請——イングランド領グローリー支部へ行く」というゴールには達していない。

 「俺はお前に治してもらったから大丈夫だが。新、お前動けるのか」

 「どうこう言ってもいられないだろ」

 時間は差し迫っている。確かに全身キリキリと痛むものの堪えられないほどではない。そう言って立とうとして倒れた。右足の感覚がなかった。驚いて咄嗟に見やるが、そこにはきちんとそれがある。

 「楠木、手を貸してもらっていいか。右足が思うように動かない」

 「ほら見ろ。肩貸すぜ」

 彼は床に落ちている剣を右手に持ち、俺に自身の左肩を明け渡す。

 「…せーのっ!」

 楠木の掛け声で立つと俺たちは出口へと向かい始めた。


 出口へは思ったより早く着くことができた。俺たちが何処かへ向かっていることを察知した茫漠蛾たちが道を開けてくれたからだったのだ。

 「足治るのか」

 俺は十層に続く洞の中で楠木に話しかける。

 「大丈夫だ。多分、紋章の過剰使用で一時的に使えなくなってるだけだからな」

 曰く、紋章を急に使い始めた影響だそうだ。紋章は言わば、外部からの干渉。体がその力をうまく処理できず、一時的な機能不全になることも珍しくはないらしい。特に三日という急造だ。慣れていないのも道理だった。

 右足だけがそうなっているのは利き足だからだと思う。戦闘時に無意識に酷使していても不思議ではなかった。

 「…見えてきたぜ」

 先行して道を照らしていたルクス鉱石の光の先に一段明るい黒が見える。内心ほっとしていた。十層に出てしまえば、グローリー支部まではそう遠くない。…とはいえ、約十キロはあるのだが、それはこれまでの移動を比べると遥かに楽に感じられる。

 その時、耳が小さな音を捉えた。始めはノイズかと思った。ただ、十層に近づくにつれて、それは大きくなっていく。

 剣戟けんげき音だった。

 楠木と顔を見合わせる。

 「…急ぐか?」

 「いや、ゆっくり…なるべく音を立てずに」

 ルクス鉱石を消し、音を最小にする。呼吸の間隔をなるべくゆっくり。衣擦れや足音も限りなく小さく。引き摺る右足は体重を少しずつ移動しながら、引き付ける。

 そうして出口に着くと音の正体に至る。片や全身を鎧で固め、もう一方は胸当てすらなくズボンに七分袖、その上にケープといった装い。鎧の人物は激しい動きを、軽装の男はふらふらとつかみどころのない動きをしている。互いに剣を握る両者は拮抗しているように見えた。

 …シャーロットさん…⁉︎

 出口付近の空間に目が馴れるとすぐに分かった。

 なら、対峙しているのはロサイズムだろうか。辺りには死体と血液が散乱していた。

 「…楠木、剣を」

 彼にささやく。

 「無茶だ、新。満身創痍で片足碌に動かない奴が行って何になる。少しは冷静になれ」

 …っっ

 歯噛みする。確かに彼のいう通りだった。こんな自分が行っては却ってシャーロットさんの足を引っ張るだけだ。悔やみつつ、戦いを見やったその時。

 戦闘が止んだ。

 「あ、やっときた!新く〜ん」

 その男は片手でシャーロットさんの攻撃を受け止めて、場違いにもこちらに向かって手を振ってくる。しかし、面識がない。知らぬ顔だ。

 「僕だよー。アルバートだよー。イブから聞いてるだろうー」

 揶揄からかうような声は空間を反響する。

 …牢に閉じ込められてたんじゃなかったのか

 アルバートと名乗る人物の見なりは捕えられていたにして随分と綺麗だった。それに完全に暗闇に紛れていたこちらの存在をどう認識したのか。ただ人を感知したなのならまだ分かる。特定までされたのは不可思議極まりなかった。

 ただ陽気なその人からは敵意が感じられない。…隠してるのか。そう思い、イデアの予測を脳に負担のかからない限りで拡張する。そこまでして得られたのは、こちらに攻撃する意思がないという確証だけだった。

 …本当にアルバートなのかもしれない

 「…楠木、俺はあの人と話してみたい。イデアで見てもこっちに危害を加える気は無さそうだった」

 楠木と視線が交錯する。そのまま一時すると、彼は長いため息を吐いた。

 「…はぁ、お前は自分で決めると梃子てこでも動かないからな。しょうがねえ。俺も行く」

 「いや俺一人で——

 「俺もここは引かねえよ。傷だらけの友達一人行かせるわけねぇだろ」

 「…分かった」

 彼は自身のカードホルダーから『ヘクトルの紋章』を取り出し、冒頭のみを唱えて一時保持ストックする。楠木はそのカードを右袖に入れると、再び俺の腰にその手を回した。

 最悪、暴力沙汰になった時の予防だ。シャーロットさんが近くにいることも考えると『アトラスの紋章』での撤退も現実的な策だった。

 『ピーラ・ルカ』

 ルクス鉱石に光を灯し、ゆっくりと歩き出す。相変わらず鍔迫り合いの状態だが、目だけはあの男と共にこちらをじっと見つめている。

 やっとの事でそこまで着くとシャーロットさんが耳元で小声を発した。

 …大丈夫なのですか

 …イデアでました。こちらに危害を加えるつもりはないようです

 彼女の問いに首肯した後、目配せする。するとシャーロットさんは剣を下ろした。

 「っとっと…」

 急に支えが無くなったからなのか。アルバートと目される男はわざとらしく崩れるような動きをしてから前後の体重移動を繰り返して止まる。彼は大袈裟に剣を持ち上げるとそれを鞘にしまった。

 「改めまして…初めまして山神新くん。君を待ってたんだよ」

 そういうと眼前の人物は自らの左手を差し出してきた。

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