八記_新の真意
幾分が経ったのだろうか。キリキリという音で目が覚めた。しかし、一面は暗闇に染まっている。そこが現実から生じるものではないことは本能的にわかった。その中で、桃色で細長い何かが真っ直ぐに伸びている。
糸だった。
繊維が張り、限界を迎えた外側から一本ずつ切れている。俺はただそれを観測していた。それは一定間隔で裁たれ続け、あっという間に元の半分の細さになる。
それが切れたとき、意識がなくなるのはすぐにわかった。もしかしたら、この糸は死までのカウントダウンなのかもしれない。
すると、どこからともなく俺のこれまでが映像として映し出された。
中には解像度が高いものが幾つかある。
・小学二年の頃、先生に言われて歩夢の病室に連絡帳を届けに行った初日の記憶
初対面でたどたどしかったが、歩夢は話を引き出すように優しく聞いてくれた。
・歩夢の病状がよくなって学校に来れるようになった日の記憶
確か、小四の頃だったか。仲のいい友達と学校で会えると色めいた覚えがある。
・同年、歩夢と海に行った時の記憶。
逆に映像自体が焼かれ、ほぼ真っ黒な記憶もあった。
歩夢が死んだ時から、その後三ヶ月の記憶である。写真が部分的に焦がされたような感じだ。僅かに見えるところもあるが、それが何なのか判別が効かない。
…あいつばっかりじゃないか。歩夢大好きかよ、俺
そんな言葉が口から溢れた。いつの間にか頬を涙が伝っていた。歩夢のことはどれだけ考えないようにしていても、ふとした時に考えていた。彼女が今居たら、何をしているだろうか、と。その度に胸が締め付けられ、「前に進まないと」と想像のイフを否定した。
こんなの友達の範疇じゃない、もはや「恋慕」だ。そう思った時、彼女に抱く感情にこれまで抱いていた違和感がすんと消え、理解する。俺が彼女に抱いていたのは友情でもあり、恋慕でもあったのだと。死地にして分かることもあるというが、これがそれなのかもしれない。でも、それなら——
「歩夢が生きてるうちに知りたかったなぁ」
そんなどうしようもない後悔が湧いた。顔が歪み、手で拭っても拭っても拭いきれないほどの滂沱の涙が頬を伝った。多分、これは俺の深層心理でずっと存在していたのだ。今まで「より多くを救うため」なんて大層な理由を付けて努力してはきたが、実際のところ「大切な人を理不尽に失う」という体験をさせたくなかっただけなのだ。
仮に歩夢が死んでいなければ、俺はいつか自身の気持ちに気づき、告白の一つもできたのかもしれない。だから、人を生かすことに固執しているのだ。
矮小なる我儘があんな大層な夢になっていたらしい。俺は自身の欲を再認識して、馬鹿だなあ…と鼻を鳴らす。今の自分の表情は分からないが、おそらく泣き笑いしている事は想像に難くなかった。
——その時だった。
『あなたは…其れほどまでに…。いいでしょう』
俺が歩夢への思いを理解した刹那、何処からか凛々しい声が響いた。瞬間、はるか先の暗闇で光が瞬き、俺のそばまで直進する。あまりの明るさに俺は目を瞑る。
やがて光に慣れ、瞳を開くと背の高い女性のシルエットが目に入った。目先の其れは淡い光を放っており、全身は黄色がかった白一面。故にシルエットとしか形容しようがない。女性だと判断できたのは胸部に其れらしい影が入っていたからだった。
そして、俺の前に立った彼女は頷きを一つくれると再び飛び立つ。
するとあっという間に高度を上げ、その刹那。天上の光に差し掛かった光が黒で染まる空間を白一面に染め上げた。またも訪れた眼を劈くような光の嵐に俺は眼前を手で覆った。