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紋章都市ラビュリントス *第四巻構想中  作者: 創作
第四幕_THE GIRL OF HOLY GRAIL

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七十三記_純朴な少年

 ——同日、昼。『ダグラス大森林』南部

 『ウォクス・ドラコニス』を出てから二日がたった。ここに近づくにつれ、森は荒廃し今はポツポツとした緑があるばかりだ。しかし、それも数歩先で途切れ、その先は地面が禿げている。奥には一層深く冷たい雰囲気を醸し出すゴツゴツとした岩場が連なっていた。

 …この先が『茫漠蛾の巣窟』

 動植物の生活音が絶えず鳴り響いていた森とは一転。そこから先は静寂に包まれ、光を拒む暗闇が広がっている。生物の類はまるで寄り付かない。暗闇を好む生物さえだ。それがここの異様さを際立てていた。

 冷や汗が頬を伝う。

 …行くぞ

 恐怖を飲み込むように喉を鳴らす。横にいる楠木と目を合わせると双方頷いて、むき出しの地面に歩を踏み出した。

 ……。

 ……。

 言葉を交わさぬまま、ひたすら歩き続ける。そうするうちに辺りは急速に光を失っていく。しかし、視力という面においては俺たちに問題はなかった。ここに来る途中にあった中規模の洞窟で二つの生物を紋章化していたからだ。

 一つは、オオコオモリ属の蝙蝠の目を紋章化した『夜目の紋章』。

 もう一つは大土蜘蛛属の蜘蛛自体を紋章化した『感知の紋章』。

 どちらも常時発動型の紋章だ。それぞれ闇を見通す力と、振動で一帯の動植物の動きを感知することができる力を持っている。これは『巣窟』内でルクス鉱石が使えないための処置だ。

 蛾は光に寄ってたかる。数では圧倒的に相手側に利があるのだ。自ら姿を現すのは得策とはいえない。楠木ともなるべく会敵しないようにと算段を立てていた。

 ザザッ、ザザッ、ザザッ…

 俺たちの足音だけが空間を虚しく響かせる。そのまま歩き続けることしばらく。前方にはあたりより一段と暗い大穴が現れた。その先は茫漠蛾、サクスムエディット・マヌステロリス。人の体長を優に凌駕りょうがする蛾の怪物。そしてその幼虫が跋扈ばっこする彼らの領域だ。

 そして、それを目にした俺たちはほとんど同時に足を止めた。

 「…新、手筈は分かってるよな」

 楠木が空間に伝わらない最小限の声で口を開いた。

 「…ああ」

 俺は詳しい確認は不要だという意を込めて最も短い返事をする。

 「…なら、行くぞ。準備はいいな」

 楠木が淡白な声を発する。僅かに後方に動かした首を前に戻すと、すぐさま歩き始めた。

 ただそれを追う足音はなかった。俺はそこで足を止めていた。

 「…どうした、新」

 楠木の体が止まる。俺は彼にどうしても聞いておきたいことがあった。

 最大の疑問。この二週間抱き続けてきた最大の謎。

 「楠木、聞かせてくれ。どうして俺にここまでしてくれる」

 その言葉が唐突に口からこぼれた。小さな声だったが、しじまを煮詰めたような洞窟の中ではよく響き、明確に言の葉が伝播でんぱする。

 よく考えれば不思議なことだ。会ってすぐの人間の命を救うのに自らの身を投げ撃てるのはあまりに不自然。気の知れた仲。時を経て信頼関係を築いた友人でもなければ、恋人でもないし、血のつながった家族というわけでもない。

 言わば、赤の他人にも近しい人間のために自らの命を天秤にかけたのだ。しかし、当の本人はあまりにも平然としていた。それが俺には不気味に映っていた。

 この先は総力戦。どうしても命を預ける相手があの時何を考えていたのか俺は知りたくなっていた。ふとした瞬間に浮かぶこの疑念を払拭しておきたかった。

 「どうして…、どうして、か」

 振り向いた楠木は肘に手を添え考え込むような仕草をする。

 「別に、特段理由なんてねぇけどな。強いていうなら、あん時ああしなかったら後になって後悔しそうだから、それとまあ——」

 彼はそこで言葉を止めると照れくさそうに視線を背け、口元を緩めて呟いた。

 「お前とシャーロットの作る弁当が美味かったからかもな…そういやじいちゃんも言ってた。美味い飯を作れる冒険者は信頼できるってな。…どうだこれが答えになってるか」

 俺はそれに頷いた。言葉と仕草が答えになっていた。

 楠木は純粋でまっすぐな人間なんだろう。少なからず、彼の祖父の影響はあるだろうが、元々、楠木は多くの人が何故と疑惑を抱く行動を自己理念に沿って行える側なのだろう。

 「…そっか」

 彼の答えは物語の主人公のように煌めいて見えた。

 『困ってる人がいたら、助けるの。それが普通でしょ』

 ふと脳裏によく知る声が響いた。考えなしで面倒ごとに首を突っ込む彼女の顔が目の裏にチラついた。いつも巻き込まれて勘定をとるは俺の役割だった。

 …歩夢。俺は君がいなくなってから随分と疑り深くなってしまったみたいだ

 記憶の中の君に呟く。その時、ふと背中に熱が宿った。その熱に押されるようにして楠木のいる方に一歩を踏み出す。

 『いってらっしゃい。頑張ってね』

 空耳だろうか。耳元で囁くように言の葉が響く。反射的にその方を向くが何があるわけでもない。ただただ暗闇が広がっているだけだった。



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