七十記_こっちの面倒はあっちの面倒
早々に食事を終えると、俺を待っていた楠木に連れられて洞穴後方の机へ。そこまで行くと彼はウエストポーチに入れていた祖父の日記を取り出し、その中から四つ折りの紙を卓上に放る。
「ピーラ・ルカ」
彼の呼び声に応じて、ルクス鉱石がウエストポーチから浮遊し、青の薄暗闇を遠ざける。再び楠木は机の上にある紙を取り上げるとそれを拡げた。
それは地図だった。ローマ字で『silva・douglas』の綴が確認できることから十一層のものだということは即座に分かった。
「さ、始めるか」
楠木がこちらをちらりと見てくるので、「準備はできている」との意を込めて頷く。
「さっきの話の続きをすんぜ。新、さっき『なんでこんな面倒なところに?』って聞いたよな。こっちにとって、『面倒』ってことはあっちにとっても『面倒』ってことだ」
楠木は地図に向き直ると右端の方を指差す。
「ここが一番近い大都市ベトナム領レ支部。そこから南東に三十キロ離れたところが森最短の人里だ。…ロサイズムはここまではおそらく『アトラスの紋章』で転移してくる」
「俺たちが落ちた滝壺は?」
すると楠木は地図の南西方向、その端に指を添えた。そこには小さく点が打たれている。
…なるほど、街からはかなり距離があるのか
「続けるぞ。新との戦闘であっちも疲弊してる。あの様子じゃ俺たちの捜索開始まで最低三日。…辺境の村から滝の近辺に到達するまでおそらく十日。あいつらが俺たちに関して持ってるヒントは大穴に落ちたことだけだ。滝壺に通じる空洞は外からじゃ分かり難いが、多分一日…二日もしたらバレる。そしたら…」
「他の層に割いている分の人が十一層。それもダクラス大森林に充填される、か」
滝壺は誰も知らない。故にここまでは追手が少ない。しかし、暴かれてしまえばそれまでだ。
確認の意を込めて、目配せすると肯定の頷きが帰ってくる。
「ああ。だから、ここ『ウォクス・ドラコニス』に一刻も早く移動したかった。『アトラス』での転移には明確なイメージが必要だ。ここなら、撹乱できる」
「なるほど」
確か、楠木が言うにはここも秘境スポットだ。それに滝壺より街から離れている。
そこでやっとここに退避した理由が分かった。ただこれは計画の途中。未だ解決策は示されていない。ここまでは前座のはずだ。
「それで、楠木。これからどうするんだ」
脳裏で話の整理をしつつ、進行を促すと彼は一呼吸置いてから再び言葉を紡ぎ始める。
「こっからが本題だ。俺たちに提示された帰還ルートは三つ」
一つ、ロサイズムの裏をとって、メキシコ領レ支部への到達を計ること
「でも、それだと道中にロサイズムと鉢合わせになる可能性ある…」
「ああ、それにレ支部近郊で少数でも包囲網を敷かれてたら終わりだ。なしだな」
一つ、ダグラス大森林北東に位置する階層間から十二層に下り、近くのアメリカ領ロブル支部に救援を求めること
「これは現実的だな。最低で見積もってもアイツらにバレるまで五日ある。それまでに階層間を下って、十二層に行く。…新、イデアはもう使えるよな」
「ああ」
「…なら、新頼りになるけど、強引に階層間からロブル支部の間に広がる『天蓋の森』を突破することもできるはずだ。紋章を使った戦闘術に慣れてもらうなんて話を滝壺でしたが、その必要もなさそうだな」
「そっか」
楠木の提案に首肯する。念の為にとイデア境界に意識を向ける。念の為というやつだ。思った通り、怪我の影響はほとんど回復していた。するとなぜだか、地図を片付け始める楠木の姿が目に映った。…確か、彼は『三つ』と言ったはずだ。
「なあ、楠木。三つって言わなかったっけか」
予測通り、地図の端に伸ばされた彼の手がぴくりと止まる。答えはすぐに返ってこず、不自然な間が俺たちの中で広がる。
「あ、ああ。そうだったな。ま、一応言っとくか。非現実的な妄言だけどな」
彼は後頭部を掻きながら、最後の提案を口にする。
一つ、ダグラス大森林南部に位置する探索不可領域『茫漠蛾の巣窟』を抜けて十層へ。近隣のイングランド領グローリー支部で保護してもらう。
「『探索不可領域を超える』だってよ。冷静になってみると大分とち狂ってるぜ」
楠木は自分で言ってから、自虐するように鼻を鳴らす。確かに彼の言う通り、リスクは高い。だが、そこで妙な違和感を覚えた。半ば直感に近しいものだとそう認識する。
「ちょっと待ってくれ、楠木。三つ目もう一度現実的に考えてみないか」
それを聞いた楠木は呆れた表情をしながら、首を傾げる。しかし、まるで決まったことだというように机の上を片付ける手を止めない。
彼は極めて、理性的だ。それはよく分かっている。ただ、俺の中で生じた小さなズレは胸の内で伝播し、大きなそれへと姿を変えていく。
刹那、俺は机の上で忙しなく動く彼の手を掴んだ。
「こっちにとっての面倒はあっちにとっても面倒」
口を突いて出た言葉。瞬間、違和感は明瞭となり、言葉が溢れ出る。
「楠木、君が言った言葉だ。相手は手強い。数の差は絶望的。それは君も俺もよく知ってるはずだ。…俺たちもリスクを取るべきなんじゃないか」
楠木の手が止まった。彼はゆっくりと視点をあげ、俺を訝しげに見据える。
「…本気か、新」
「…ああ。十二層に下る作戦もロサイズムとバッタリ出くわさない保証はない。なら、相手が捨てる可能性を俺たちが汲み取る。蛾の巣窟を越えるのも妙案だ…と思う」
俺はそう言いながら、楠木から視線を逸らす。正直、饒舌で捲し立てたものの自分の意見に自信がなかった。探索者としては確実に楠木よりは若輩。ただ、自分が抱いた違和感を口にできたことでこの後の彼の決断がどう転ぼうと納得できるはずだ。
そう思う。
すると虚を突かれたように硬直していた彼が口を開いた。
「…三日、三日だ。新は紋章術を磨け。三日経った時にお前がどうなってるかで作戦を決める。俺のにするか、新のにするか」




