六十六記_白夜の森
——同日、夕方、十一層「とある洞穴」
「おっしゃ、終わり!」
薄暗闇の中、楠木が声を上げた。カンカンッという金属音が止んだのを見るに天幕のペグ、その最後の一本をハンマーで打ち据えたのだろう。調理場を整えていた俺は大仕事を終えた彼を労いに水袋片手に近づく。
「お疲れ」
「おう」
楠木は地面に大の字になっていた。額には汗が滲んでいる。彼が設置していたのは三、四人は優に寝そべられるくらいのテント。一人でやるにはかなり大変な大きさをしている。
俺も手伝おうとしたのだが、かなりの力仕事らしく「傷が開くかもしれないから」という理由で断られた。
「新の方はどうだ?順調か」
水を呷って多少は疲労が拭えたのか、楠木は上体を起こすと話し出す。
「まあ、それなりに。ただ変に明るいから感覚が狂いそうだよ」
それに俺は空洞の入り口を指しながら、不平を零した。
今は俺たちが掛けた布で覆われていてその先は見えない。しかし、布の先には時刻の上では夕方だというのに青々とした自然が広がっているのだ。そう、あのなんらかの原理でこの空間を照らしている白色光は太陽のように沈まない。探索中に正体が気になり真上を見上げたが、あまりの光量に視界が安定する間もなく目を背けてしまった。
「案外、ラビリンスなんてこんなもんだぜ。ずっと暗いところもあれはずっと明るいところだってある。燃える草木が支配する『焦源』に…お前も行ったことあるだろ、濃霧に光が遮られて人を惑わす『纏白樹海』。まだ探索とか健康に害がない分いい方だぜ」
曰く、中層や下層になってくると層ごとの変化が小さいとはいえ局地的な環境変化や時差などあるらしく探索前に体を馴らす人も一定数いるのだとか。俺たちのような緊急的に時差の異なるところに来た時は『普段の時刻通りに寝る』のがセオリーらしい。
それが先ほどまで『浅くて暗さの確保できる穴探し』をやっていた理由のようだった。
…もっと勉強しないとな
ひとしきり楠木の解説を聞きながら、自分の至らなさを痛感する。圧倒的にこのラビリンスについての教養が不足している。そう考えていると喉に何かが支えているような感覚に襲われ、それを押し込めるように喉が鳴った。
「別に深刻そうにしなくていいって。こんな異常事態巻き込まれるほうが珍しいんだ。お前、探索始めてまだ二ヶ月そこらだろ…正直良くやってるくらいだぜ。シャーロットに聞いたんだが、お前ちょっと前まで学者目指してたらしいじゃねぇか」
そこで彼はあぐらを解いて立ち上がり、俺の肩に手を掛けた。
「あんまり思い詰めんなよ。…まあ、お前みたいなタイプは『一人反省会』なんてやりそうだけどな。友達でいるんだよ、お前みたいな生真面目なやつ。そいつが言ってた。でも、今は目先の事だけ考えろ——少なくとも十一層から抜けるまではな」
ちょっと外見てくる、耳元でそう口にした楠木は片手をひらひらとこちらの方に振りながら、入り口に向かって歩き去っていった。
それからしばらくして楠木が洞穴に帰ってきた。どうやら周囲の獣道やそれに準ずる痕跡を見て回ってきたらしい。枝か何かに引っ掛けたようで左足に軽い引っ掻き傷を負っていた。
「あれ?まだ料理してなかったのか」
腰元まである机の上に二枚のまな板、片方には肉もう一方には野菜。それに近くには手頃な岩で組んだ即席のコンロがある。
「いや、気になってさ。煙とか焚いても大丈夫なのかなって」
野生動物が匂いに釣られてここにやってくるのではないかという疑念が咄嗟に湧いたのだ。彼らの嗅覚は人のそれを遥かに凌ぎ、ただそれだけで人の五感に迫る膨大な情報と得るという話を何かの本で読んだことがあった。
「ああ、その辺は考えなくて大丈夫だ。入り口にかけてある布は特別製で煙とか臭いとかはチャラにできる」
曰く、換気扇と消臭フィルターの役割を持つ紋章が刻まれているらしい。つまりはここはあの布で比較的安全性が担保されているのだ。
「さっ、飯にしようぜ。っても俺料理できねぇけど」
布がひらりと舞い、ゆらゆらとしてから静止する。
「任せてくれ。一人が長いから料理は得意なんだ」
今日の献立は『しょうが焼き』とかき玉汁、それと四分の一のカンパーニュ。脳裏でメニューを浮かべた俺は早速調理に入った。




