六十二記_滝の底
——???
パチッ…!パチッ…!
暗闇の中で不規則に音が鳴る。それを発端にふわりとしていた意識が明瞭になっていく。数度瞬きをすると視界が闇になれ、安定していった。
「…起きたか」
声の方に視線を向けると、少し離れたところで焚き火に照らされる人影に辿り着く。
「楠木…」
そう言って毛皮の敷かれた床から彼の方に近付こうとした時、体が痛みを訴えてきた。
…ッッ!
その痛撃が記憶を呼び起こす。
…そうだ。俺はあのロサの大男に負けて
決死の猛攻。一縷の奇跡を幾度も結びつけて俺は男の喉元まで迫った。
『一人殺したら、戻れなくなるよ。僕』
あの時、脳裏を突いた言葉が再生される。それとなく、聞き覚えはあるのだがどこで聞いたのかは思い出せない。
「動けねぇなら、大人しく寝とけ」
再び焚き火の方から楠木の声が響く。大人しく忠告を聞き、横になった。
「一応、軟膏塗って包帯巻いといたが、二日はそのままにしとけよ」
……。
しばしの沈黙。楠木が何やら敷物をいじる音だけが空間を木霊する。
「…なぁ、楠木。ここはどこだ」
なんとなく検討は付いていた。あの滝の近くだ。先ほどからドドドと重低音がかすかにし、近くからは水が緩やかに流れる音がしていた。問題はどこにいるか、だった。
「…双竜の滝。その滝壺だ。正確にはラビリンスの洞窟地帯に繋がる横穴だけどな」
…そうか
最悪だった。話によると下る時に横に広がる地形を楠木は見なかったらしい。いつか冒険者が丸一日下っても底に着かなかった場所。俺たちはどうやらそこにいるらしかった。
「ただマシなのはここが完全な閉鎖空間じゃねえってことだ。横穴を抜ければラビリンスに出られる。…最もここが何層かはわかんねえけどな」
……。
再び訪れる沈黙。俺としては少し前と同様のものだったが、楠木にとっては違和感だったようで一人話し出した。
「こっちが素なんだ。じいちゃんに言われててな。『あんま生意気だと冒険者に煙たがれるぞ。始めは犬っころみてえにハイハイ言って気に入られねえとな』ってな。わりぃな」
彼はこちらに背中を向けたままそう言う。ただ、後ろ姿だけでも楠木の肩の荷が降りたのが分かった。どうやら昼間はかなり気を張っていたらしい。確かに意識して聞けば、ラビリンス探索時に聞いていた声より声色は数トーン落ちていて、リラックスしているように感じられた。
「そういえば、だけど。楠木はこんな底までどうやって無傷で降りたんだ?」
すると彼は膝に広げている布製のものを取り上げて口を開いた。
「パラシュート。今、こっちでやってんのは点検だ。大事な時に使えなかったら困るからな」
そう言う彼の近くに転がっているリュックからは紐がいくつも這い出ていた。朝、やけに荷物が多いと思ったが、背負っていたのがパラシュートのバックパックだったらしい。
「ほらな。案外、ラビリンスって高低差多いだろ?どうしても魔物から距離をとって離脱しなきゃいけない時に使うんだ…と。じいちゃんが言っていた。いつも『こんな重いもん持ってられっか』ってキレそうだったけど、…まさかホントに使うことになるとはな」
楠木は悪態をつきながら、物笑をする。ただ一方で『おじいちゃん』に関心を寄せているようにも見えた。
「意外とすげえんだよ、あのクソジジイ。あの…いるだろ。黒バラと戦ってる義勇兵団。あの団長『刈谷優樹』の発掘屋なんだよ。周りからは『じいちゃんは立派』なんて言われるけどな、俺から言わせれば、孫イジメるサディスト頑固ジジイだって——」
楠木の言葉はそこで閉じた。それは俺が思わず立ち上がってしまったからだった。
刈谷優樹。
歩夢の父親の名だ。こんなところで名前が出てくるとは思わなかった。遅れて全身の裂傷から痛みが伝播して膝をつく。楠木はそれに気づくと俺の方に近づき『話しやすいだろ』と気を利かせて、壁に持たれられるようにしてくれた。
「どうした、新」
「悪い、楠木。その刈谷優樹っていう人、友達の父親と同じ名前で…思わず体が、ね」
するとそれを聞いた楠木が自分のカードホルダーを漁り始め、その中の一枚から革で製本され、明らかに使い古された何かを手にする。それは付箋や挟まれた紙ではち切れんあまりに膨れ上がっていた。
「それは…」
「じいちゃんの日記。役に立つかもって渡されたんだ、発掘屋になる時にな。じいちゃんなんでもこれに入れてたからな。地図やら、探索ルートのメモとかな。『酒場の女の口説き方』なんてしょうもないのもあるくらいだ」
楠木はその日記帳をざっと開いてから、ペラペラと数枚めくる。
「なんだ、お前の友達の名前は」
「歩夢…だけど」
それを聞きながら、開いた日記の文章を指で追って…瞬間、目を見開いた。
「ビンゴ。間違いなく、その友達の父親だ」
『2007/07/16優樹の娘が生まれた。めでてえこった!何買ってやるかな…』
…誕生日まで一緒だと疑いようもないな
しかし、楠木が見せたかったページはそこでは無いようでこちらに向けた日記をさっと引くと再び捲り始める。
「…なら、これも。間違いねえな」
『2011/10/29優樹が美人な姉ちゃんを連れてた。俺が「新しい嫁さんか?」って聞いたらあいつ「こいつはシャーロット・ローレンス。白騎士だ」なんてぬかしやがる。…ただトランプカードを見せられちゃ認めるしかねえ。『白騎士』は『星々の大遠征』を生き抜いたらしい。運のいいやつだ。『白騎士』も優樹も』
楠木はそう書かれたページを無言で俺に提示してくる。
——お前の指南役は『白騎士』だ
それはあまりに唐突な暴露だった。




