六十一記_埒外の結末
「シャーロットさん、逃げてください。…イブを頼みます」
眼前にあったのは血に塗れた新の姿。信じられない距離の跳躍。彼は再び限界突破のあの言葉を口にしたのだろう。仮想体でも耐えきれないそれがなぜ正常に発動しているのかは分からない。
「あら——」
新さま。
そう口にしようとした時、私の体は洞窟側の入り口に向かって力任せに投げ飛ばされた。
私は何とか受け身を取って宙を見上げる。
彼は再び気を失ったのか、体を広げることもなく垂直に落下して——縦穴の暗闇に姿を消した。地面の淵から下を見やる。その瞬間、自発的に穴の中に飛び込んでいく人の姿が目に映った。
…楠木さん⁉︎
後方に控えていたはずの彼は戦線を離脱することなく、今までいたらしい。
「シャーーロット!」
「新は俺に任せてさっさと逃げろ!」
彼は私に向かってそう伝えると新と同じ姿勢になって闇の中に身を溶け込ませていった。
そこでふと我に帰る。頭に自然とやるべきことが列挙された。
・この場から逃げる
・岬姉弟にイブさんの所在が割れたことを伝える
・冒険者組合に現状の報告、新の捜索隊の編成依頼
…今は信じるしかない
私はすぐさま紋章を唱えた。
『アトラスの紋章よ、天と地を支えしかの巨人の力をもって異界へと続きし扉を開かん』
刹那現れた虚空に私は身を投じ、六層から姿を消した。
* * *
「なあ、どうするよ。アウレア」
「流石にこれを想定しろ…とは言いませんよね。この高さ降りる紋章なんてありませんよ。そもそもこの下はどこに繋がってるかも知れない探索不可領域ですよ」
アウレアという名の部下からの不平にバルバロイは頭を掻きながら答える。
「『アンブロシア』のジジイ共にどう説明すっかね。とりあえず、シャーロット・ローレンスの捜索。山神新は生きている前提で動け。…倒れてる奴ら起こして帰るぞ」
舌打ちをしながらも彼は冷静に指示を出す。そしてしばらくして彼らもこの階層から姿を消した。洞窟の中で束の間の喧騒は落ち着き、風穴を通る風と双竜の滝の轟音だけが再び空間を支配する。それはまるで硬く閉ざされた超自然が人の存在を否定するかのようだった。
* * *
…ぜっっぜん見えねぇ
落下による逆風でなかなか開かない目をすぼめながら暗闇を見やる。
「あっち!」
「こっち!」
俺は落下の最中、二つのルクス鉱石に刻まれた紋章に指示を飛ばしながら、縦穴の中で新を捜索していた。もう一つはもしもの予備だ。
…意識がねえから、多分落下も早えんだ
弧を描くように広範囲の視野を確保するも新の姿は見えない。岩壁、もしくはそこから流れ落ちる多量の水にぶつかれば命はない。緊迫した状況からか、喉が渇きを訴えてくる。
そこで風の力に逆らいガチャガチャと動かしていた手が首元に垂れ下がるゴーグルを掴んだ。それを頭まで引き上げて何とか装着することに成功する。
…待ってろよ
『旋風の紋章よ、姿なき風の魔物のその力。我、刹那借り受けん』
口上を述べ、靴に刻印された紋章を起動させる。瞬間、足元から強い力を受けて落ちる速度がぐんと早くなった。
なるべく空気抵抗の少なくなるよう四肢を体に密着させることしばらく。
前方を照らしていたルクス光が人影を捉えた。
…見つけた
ほぼ垂直方向に落下していた俺自身の姿勢を調整、再び『旋風の紋章』を唱えてあいつの方へ近づいていく。手の届きそうなところまで来ると腰元のカードケースから『回収の紋章』を取り出す。表裏を注意深く確認すると新の手を取り、手の甲に押し付けた。
『回収の紋章よ、余剰の時空より来たれり超常の存在よ。我が意に応え、かの存在をその境界に囚えん』
すると瞬間的に新の体が量子と化す。俺は紋章に吸い込まれるのを見守るとそれを再びカードケースにしまい、リュックから伸びる取っ手を右手で勢いよく引っ張った。
バフッ…!
柔らかい音と共に急速的に落下速度が緩くなる。どうやらパラシュートが無事に開いたらしい。そこでひとまず安堵する。しかし、第一の関門は踏破しただけだ。まだ『着地』の段階が控えている。その時には減速用のパラシュートを展開しなければならない。俺はいずれ来るはずのその時にために再度、気を引き締めた。




