五十九記_溢れ出す炎
闖入した大男を前に思考する。
…そういうことか
おそらく攻撃予測の欠点を突かれたのだろう。遮蔽物越しの予測は精度が大幅に落ちる。現に崩壊した岩壁の裏には集団が隠れられるだけの狭い空洞が広がっていた。
スゥー。
半ば無意識で構えられた剣と盾。長い息を吐きながら半身の姿勢を意識下に置き、相手の出方を見る。
空間に響いた爆発による衝撃音はすでに失せ、双竜の滝がシャーロットさんたちの剣戟を遮断し、滝の轟音だけが俺たちを包む。
…ジリ……ザザッ!
男は足を大きく開き、上体を下げ…しじまを破壊した。こちらに突貫する僅かの間、感覚より早く提示された未来に向かって体が自動的に動き、鉈を盾で受け止める。
なんとか拮抗状態に持ち込んだ。しかし、ギリギリというせめぎ合いの最中、遅れてくる感覚情報に頭が混乱する。
盾と鉈の交差による高周波、ゼロコンマで処理した視覚情報、筋肉の膨張する確かな触覚、焦げ臭さと地から舞う石片の匂いに苦い味。
この刹那の五感の刺激。それが今になって同時多発的に脳を襲ったのだ。奥歯に力を入れて情報の激流に耐えながら、相手を見据える。
…完全に人の動きじゃない。しかも、オルトロスの蛇より断然速い
シャーロットさんでも勝てるかどうか。
「なぁ、お前『山神新』、で間違いねぇよな」
「…。そういうあんたは何者だ?」
いきなり名前を看板されたことに驚きつつも、相手に言葉を返す。
「『ロサイズム』ってたら、分かるか」
その瞬間、強く押し出された鉈に合わせて盾で弾き、沸々と沸いた感情を右手に込めて剣を薙ぎ払った。相手も即座に飛び退いたが僅かに掠っていたようで腹部に切り傷が見えた。
…イブを捕らえていた連中。追手か
「ちっ!一張羅に傷つけやがって…」
悪態をつくと男は再び構えた。
「にしても行儀のいい剣を使う割に物騒なモンぶら下げてるじゃねえか」
…物騒?何が——
そこで右手に熱源を感じた。手元を一瞥して驚愕する。詠唱もしていない『炎の紋章』から手を伝い、炎が伝播していたのだ。驚くべきはその色。黒を基調とした白と青の燃焼。オルトロスの時は真っ赤な赤だった。正直意味が分からない。しかし、それをおくびにも出さずさも当然のように言葉を返す。
「これがどうかしたか?それよりアルバートはどうした」
…頼む、生きていてくれ
一縷の希望を胸に相手にそう問うた。しかし…
「んああ、アルバート?ああ、あいつな。…今頃牢屋でくたばってるんじゃねえか」
眼前の大男は皮肉るようにそう口にした。刹那、激情が込み上げそれに呼応するように黒い炎が勢いを増す。…善人を貶める人間に生きる資格はない。
『憎むべき相手に鉄槌を。悪しきこの世界に審判を』
突然、脳裏に響いた悪魔的な囁き。悉くを嘲るようなその声は瞬く間に脳に浸透。思考はそれに埋め尽くされていった。
『…Ace of spades』
何かに急かされるように『白騎士』の身体能力強化の口上を口にする。瞬間、白の虹彩が体を包み、燐光を放ち始める。強化した身体で踏み込み、男との間に空いた空間を一足で詰めて重心を下へ。自身の体の死角になるように構えた剣を横凪にする。振り切ったそれを切り返して、もう一撃。さらに左手に宿る円盾で敵の腹部を打ち据える。
しかしどれも決定打には至らず、大男は二筋の剣を僅かな足運びで、円盾の打撃は鉈の柄で器用に塞ぐ。
「おうおう、猛ってるなぁ!けど、そんな素人丸出しの鈍ら俺には届かんぜぇ!」
勢いに任せて相手を後退させつつもそんな言葉を浴びせられる。迫る左拳を剣身で受け、数度目の拮抗状態が訪れる。
…先が見えても優勢を勝ち取れない
押し合いへし合いの状況下、思考する。今、拮抗に持ち込めているのは相手がこちらを舐めているからにすぎない。眼前に立ち塞がるのは圧倒的な技量さと経験値。どんなに策を弄そうとも逡巡の間で対応される。目の前の大男にとって俺は子供同然。だが、そんな状況でも俺は彼を下さなくてはならない。
ロサイズムがイブのことをどこまで知っているのか。
どれだけの追手が控えているのか。
彼女の安全を保証するため、目下の男は倒さなければならなかった。
…約束したんだ、あの子を守るって
僅かにも満たないその時間の中で、浮かんだ数々の思考を否定し一点のみが表出する。今度は自分から拮抗状態を破り、その場を飛び退く。しかし、相手はそれを無策の後退と見てとったのかすぐさま距離を詰めてくる。
もっとよく見ろ…!
目を見開きひたすら攻撃予測のみに注力すると、眼前には男の何手も先の動き、そしてさらに注視するとそうなる未来で自分が取るはずの行動が何重にも重なり始めた。ただ、手数が現在から遠のけば遠のくほど複数の手にわかれ、未来が新たな可能性へと分岐、予測精度が落ちていく。敵が追いつき、縦続きに起こる攻撃を防御、反撃しながらなお予測を並列で続ける。瞬く間に脳は処理限界を迎えたが、なおも続け提示されるそれを読み続ける。
「お?急に動きが良くなりやがった」
眼球が目まぐるしく動き、脳内に降りかかるとてつもない視覚情報を咀嚼する。体の動きはすでに意識の制御下から抜けていた。まるで予測を忠実に守る機械のように半ば自動的反応している。俺は体に身を任せ、ひたすら思考に時間を費やす。
そして、その瞬間は訪れた。何十手、いや何百手だろうか。とにかく遥か先の未来で起こる事象が一点に絞られた。どの選択を取ってもこうなる未来が決定づけられた。
刹那、思考に費やしていた意識を身体に戻し、攻勢に転じる。足を踏み出し、盾を構え、剣を振るう。イデアが導き出した自身の動きを一寸の狂いもなく、再現していく。相手は次第に後退し、遥か先にあったように防戦一方に至る。剣と鉈が交差し、黒炎が宙を舞う。体は際限なく早く、一方で頭は冴えていく。そして約束されたその時に至った。
後傾した大男。首筋に迫る刃で黒炎が烈火する。決定的瞬間、しかしその刹那はあまりにも長く感じられる。
…死を持って贖え
『一人殺したら、戻れなくなるよ。僕』
ある種、超集中に浸る世界の中で聞き覚えのある声が脳裏に響いた。
何処かで聞いたはずの幼い声。瞬間、軌道をなぞる剣身から黒き炎はふつと消え、その男の薄皮一枚で剣は止まった。動かそうとしても腕がびくともしない。
百分の一秒にも満たない間。ただ戦況がひっくり返るのには十分すぎる時間だった。
男の目がギラつき、口角が楽しげに上がる。それは勝利の確信を意味していた。
『閃光の紋章よ。光の力、その一端を我が身も齎さん』
気づいた時には体が宙を舞い、碌に受け身も取れずに地に伏していた。全身から、そして右肩から腰にかけて一層強い痛みを感じる。地を伝う生暖かい感触がそれを現実であると肯定していた。
「死ぬ覚悟はあっても殺す覚悟はねぇってか…」
ボヤけた視界に男の姿が映る。何か呟いているようだが、耳がおかしくなったのかこんなにも近いのに聞こえない。瞬きをする間に視野を暗闇が覆い、思考は微睡の中に落ちていく。意識が薄れゆく中、最後に感じたのは地面からの鋭い振動だった。




