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紋章都市ラビュリントス *第四巻構想中  作者: 創作
幕間_平凡な日々

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五十三記_表出と焦燥

 「美味しかったねー、お姉ちゃん」

 「ええ、まさか昔より美味しくなっているとは思いませんでした」

 時刻は二時過ぎ。腹を満たした人も増え、程々に人の滞留は減っていた。

 帰る頃には午後六時を回っていた。服飾産業の区画は外食区画の横だったのだが、服や椅子、食器その他諸々を選ぶのに時間がかかったのだ。イブは思いの外こだわりが強いタイプらしく「何か違う」と首をひねり、納得のいくまで商品を吟味する。それを続けていたらこんな時間になってしまったのだ。

 …好みがはっきりしてるのはよくわかったけど

 夕食を考えながら、今日の買い物を思い出す。イブといえば、宿に着いた瞬間にスイッチが切れたらしくソファに身を放り出して寝入っていた。シャーロットさんは帰るや否や慌ただしく準備をしてから『三毛猫』へと出かけていった。

 「ごろごろ〜。にゃーお」

 「ご飯ね、ちょっと待ってて」

 戸棚からキャットフードを取り出して、餌皿に装ってから、ソファ横まで運ぶ。すると猫さんはカリカリと音を立てながら食べ始めた。

 …今日は和食にしようか

 昼に美味しすぎるボロネーゼを食べたせいで、その後に洋食を調理する気にはなれなかった。

 …魚なんかあったっけ

 魚の類を入れている『回収の紋章』、それに浮かび上がっている魚を見ながら大きめのものを取り出す。これは依頼ついでにシャーロットさんに連れられて川のかなり上流で取ったものだ。

 …鮎みたいだけと何なんだろうな、こいつ

 塩焼きが美味しいらしいということは以前、彼女から聞いていたため素直にそうするようにした。下処理をしている間にグリルを予熱する。その後、アルミホイルを敷いてからそれに油を塗って川魚に塩を振って焼き始めた。

 …後はほうれん草のお浸しと厚揚げの煮物でいいかな

 そうして食事ができたタイミングでイブを起こして食べ上げてから彼女を風呂に送る。三日目にして慣れたもので脱衣所で資料を読み通すことに違和感を感じなくなっていた。

 「お兄ちゃ〜ん。泡落ちたか見て〜」

 「わかったよ、タオル巻いた?」

 「巻いた〜」

 「はいはい」

 六層の資料をしまうと風呂場を開けて、確認をする。

 「大丈夫だ——」

 その時、背中に違和感を覚えた。反射的に口をつぐむ。イブが首を傾げるが「何でもない」と取り繕って、髪を漉きながら水を流す。

 しかし、その間も脳裏で違和感はくすぶり続けた。念の為と思い、彼女の許可を取ってから背中をめくり上げた。

 ——紋章だった

 昨日まではなかったはずのそれが背中全体に表出していた。円形の中に途轍とてつもない精緻な紋章が描かれている。ただその上に別の紋章が幾重にも加筆されたような跡があり、全体は雑然としていた。

 …まさかこれがイブが追われていた理由

 「お兄ちゃん、出てきちゃったんだね」

 イブは眉を顰めてか細い声を震わせた。

 「アルバートお兄ちゃんも言っていたもん。三日経ったら、背中の元に戻るって。お兄ちゃんは痛いことしないでね」

 …痛いこと?

 一瞬、疑問を抱いてから理解する。多分、囚われていた時のことだ。何かに紋章を利用されていたことは明白だった。

「大丈夫。俺は君を守るだけだから」

 膝をついて抱き寄せると、安心したのかしばらくそのまま泣いていた。余程、辛いことがあったらしい。普通なら、慰みの一つも言えるのだろう。そう、普通なら(・・・・)

 …知ったフリするのも良くない、それは俺がよく知っている

 痛い、辛い、悲しい

 そんな感情は時に他人には理解し得ない領域に到達する。誰かが完全な善意でかけた言葉を激情で突っぱねてしまうほどに。俺はよく知っている。…僕はよく知っている。

 負の感情をきちんと吐き出すには準備が必要だ。それも数え切れないほどの準備が。

 …俺だって、まだ折り合いをつけられていない

 彼女の死は分かっている。理解している。ただそれに納得(・・)ができないんだ。

 だから、今でもIFを求めて彷徨っている。これがあったら、もしくはなかったら彼女は生きていた。それを目指して。


 イブがひとしきり泣いて感情の激流が収まったところで、いつものように髪を乾かしてシャーロットさんの見様見真似で緩めの三つ編みを作る。暗い気持ちに向き合うその時。いつもなら体が何らかの不調を訴えるが、今日はまだ平然としていた。

 …お兄ちゃん、やろうとしてるのかな

 「それじゃ、お休み」

 イブの足元に顔を擦り付けるマイヤにも向けて言葉を発す。一人になりたかったのかもしれない。自然とソファに向いた俺の体が刹那、静止した。

 誰が何をしたかはすぐに気がついた。

 「…今日はお兄ちゃんも一緒に寝る」

 服の袖を引っ張ったまま、ぼそりと呟いた。

「分かったよ」

 その言葉は即座に出た。自分でも耳を疑うような声色と共に。

 「お休み、お兄ちゃん」

 「お休み」

 彼女は胸の内に収まるように丸くなって動かなくなる。

 「…お兄ちゃん、手ぇ貸して」

 しばらくすると、イブはそう呟いた。言われるままに空いている左腕を彼女の方に伸ばす。 

 …多分、イブは不安なんだ

 人が無性に人肌を求める時、それは不安な時とか寂しい時だったりする。これまでは背中の紋章が何らかの紋章術によって消えていた。その魔法が薄れて、どっと過去が走馬灯のように過ぎり、これからに漠然と恐怖を感じたのかもしれない。

 …不安なんて大人でもそう切り捨てられるものじゃない。ましてや子供なら尚更だ

 眼前で寝息を立て始めた少女を見やる。

 …お兄ちゃん、頑張らないとな

 この人が居れば、大丈夫。そういう信頼が勝ち取れれば、心理状態に幾許いくばくかの余裕を与えてあげられるかもしれない。

 …アルバート、お前はどこで何してる

 眠る最中、姿なき彼女の世話係に思いを馳せた。


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