四十八記_我儘幼女と彼の影
…何か機嫌を損ねるようなこと言ったかな
一直線に宿屋の中に消えていった後ろ姿に目をやりながら考える。しかし、歩夢や業平のように人の心情を読み取ることが得意ではない。あーでもない、こーでもないと頭の中でコネクリ回すが見当が着かなかった。
…こういう時、彼らだったら声をかけたりするんだろうか
真っ直ぐな人たちだ。彼らなら間違いなく問いかける。「どうしたんの(だ)?」と。わからない事は人に聞くこと。よく言われる事だが殊、人の事となるとどうしても気が引けてしまう。
「はい、お兄ちゃん」
考えに耽っていると近くからイブの声がした。鍛錬を宿の窓辺から見ていたはずの彼女がこちらへとやってきていたのだ。差し出されたタオルを受け取って、水気の強いところを拭う。
「にゃー」
足元を見ると猫さんもいる。イブにくっついてきたらしい。日向に出たからか、欠伸をしながら体を伸ばしていた。
「お姉ちゃんのことは気にしなくていいよ、お兄ちゃん」
「へ?」
突然、イブが言葉を発した。咄嗟の反応が喉元から溢れでる。
「きっと、虫の居所が悪いんだよ。そういう時は、ちょっと放っとくと機嫌が治るの」
おおよそ幼女とは思えない含蓄のある発言が飛び出す。驚きでタオルを取り落とし、それを拾いながら彼女に尋ねた。
「イブ、それ誰かが言ってた?」
そう聞くと彼女はスラスラと語り始めた。彼女がどこかに囚われていた時の話で、そこの看守は気分が悪いと人に当たる人物だったそうだ。そういう時、イブを庇うように暴行を受けていたアルバートが口癖のように言っていたらしい。
「アルバートお兄ちゃん、元気してるかなぁ…」
話をしていると彼の事を思い出したようで口を窄めて心配の色を見せた。
「どうだろうね。けど、無事だといいね」
彼女の背丈に合うように屈んでから視線を合わせて不安を共有する。それが俺にできる精一杯だった。
しばらくしてシャーロットさんの出かける支度が整うと玄関先でイブの相手をするよう頼まれる。始め、イブが「私も行きたい」とせがんだが、「明日ならいい」というシャーロットさんの言葉に了承する形で事なきを得た。
「ところで、イブさん」
「なぁに…」
少々、不機嫌そうに応答する。
「髪の色。変えるのでしたら、何色がいいでしょう」
「…お姉ちゃんと一緒」
…夜闇の色か
「そうですか、では行って参ります」
振り返りながらそういった彼女の表情は少しばかり和らいで見えた。
——同日、午後四時七分/宿屋
「フリフリ〜」
イブは急場凌ぎできていたTシャツを脱ぎ、逃亡時に着ていたのと同じようなワンピースに着替えて部屋の中をかけていた。無論、シャーロットさんが買ってきたものである。
彼女は外出中、買い物の他にオルトロスの売買契約。その最低保証を出してもらった上でリフォーム費用に達した事を確認し、三層のオルグの工房へ。『歪曲の紋章』の施工を頼むと彼の伝手でリフォーム業者を紹介してもらい、さらには大和支部長の堀田裕作氏とイブの今後の扱いについても詰めてきたらしい。
…とんでもないスケジュールだ
「でも、これやだー」
ソファに座ってシャーロットさんの話を聞いていると、新しい服を着て走り回っていたイブ足音が止まって何やらボヤくのが聞こえた。
振り向いてみると、ワンピースの肩口から肌着のシャツを引っ張り出している。それをみたシャーロットさんは彼女のところまで行くと注意を促していた。
「ダメですよ、イブさん。直接だと肌が傷つきますから」
「でも〜。なんか気持ち悪い。アルバートお兄ちゃんは良いって言ってたもん」
口では文句をいうもののすでに肌着を引っ張るのをやめ、言われるままになっている。
…別に嫌なら、着なくても良いんじゃないか
心中で呟くが口にはしない。大体、反する主張があると面倒なことになるからだ。それに幼児は主張の合ってる間違ってる以前に数が多い方を「是」とするところがある。イブの方に加勢して二対一の状況なんで作ったら事を拗らせて揉めること請け合いだ。
「ねぇねぇ、お兄ちゃんはどう思う?」
話を静観していると遠くからイブに声をかけられる。
「ほら、汗とかが服に滲むし。俺も着てるからさ」
そう言って首元から肌着を引っ張り出して見せる。
「ぶ〜」
イブは不貞腐れると食卓の方へ行ってしまった。椅子に座ると机の上に上体を投げ出す。すると足元で横たえていたマイヤが徐に転がっていた猫じゃらしを持ってイブの方へ歩いて行った。場の雰囲気を感じ取っているのかもしれない。
その後の明日の段取りを聞きながら、時々イブの様子を気に掛けていたのだが…彼女はシャーロットさんとの会話が一段落する頃には食卓で寝ていた。順序的にはマイヤに遊びをせがまれ、仕方なく遊び始め、次第に熱が入り、疲れて寝てしまったのだ。
しばらく放っておくと、シャーロットさんを夕方、仕事に送り出し、夕餉の支度をしているときに目を覚ました。
「お兄ちゃん、今日はなに〜」
匂いに釣られて起きたらしく、そう言って調理中のキッチンを覗く。
背伸びして鼻をヒクヒクさせている。あれ程拗ねていたのはどこへやら、すでに頭の中は夕食のことでいっぱいのようだった。
「今日は鶏肉のポアレとガーリックスープと…サラダかな」
手を止めずに答えると。
「ええ〜朝も昼も食べたよ。夜は私いらない」
…始まったか
大体、食前はゴネられる。朝はシャーロットさんがいたからかすんなり食べたが、昼の時も今もこうなった。
…さて、どうするかな
世の中の子育て中のお母さんたちはどうしているのだろうか、などと考えつつ頭を悩ませる。
そこで一つ閃いた。
…イブに選ばせてみるか
調理中の鍋を弱火にして食卓の方へと行って、野菜を並べて見せた。
「イブ、この中でどれなら食べられる?三つ選んでみようか」
苦い顔をしつつも机を一周して野菜をチョイスした。
…キャベツ、ブロッコリー、玉ねぎ
選ばれたのはその三種だった。逆に彼女が苦手な野菜も分かった。露骨に嫌がっていたからだ。ピーマン、ゴーヤ、トマト、小松菜、かぶ…要は癖が強いものが得意ではないのだ。しかし、昨日トマトソースのバゲットサンドを食べてくれたことを考えると、気にならないように調理すれば案外食べられるのかもしれない。
「じゃあ、今日はそれにしよう」
他の野菜をしまってサラダを作った。まあ、ブロッコリーの茎とは若干、格闘していたがそれ以外は概ね大丈夫だった。イブは食後の眠気に誘われるようにそのまま寝てしまったため、シャーロットさんが帰ってくる十時ごろには夢の中だった。
彼女からお金を短期的に貯める必要も無くなり『三毛猫』のアルバイトを今月いっぱいで辞めるという話を聞いた後、明日は早くから動くということで十二時前に就寝した。




