四十六記_陽だまりのある所
幕間.平凡な日々
——二○二四年、八月十日、土曜日/ラビリンス一層『大和支部』宿屋
今日は事前に言った通り、探索は休み。弁当を作らなくていいからか、私は起床が朝の八時ごろに目が覚めた。いつもと比べると随分と遅い時間だ。横を見るとイブさん。ベッドを隔てると新が寝ていた。
…昨日は激戦だった
あのオルトロス戦だけでもかなりの戦闘量。新はそれに加えて黒狼——おそらく三層に生息するアントゥラム種。一体でも手に余るそれを数体相手獲ったのだ。昨日は大事なさそうだったが、身体には相当な負担が掛かっているはず。
…私は紋章ですから、二、三時間経てば元通りですが
人間の疲れというものは蓄積する。疲れを誤魔化し続けるとその内疲れが取れなくなる。それは今まで人に仕え続けたためによく知っていることだった。
…朝食ができたら起こしましょうか
そう考えると、イブさんを起こさないように床を後にした。顔を洗って、保湿だけするとキッチンに向かう。
「にゃーお」
「おはようございます、マイヤさん」
この時間に要求されているものは一つ。朝食だ。マイヤという名前はイブさんがつけたらしい。『お兄ちゃんが名前ないってゆってたから私がつけたの!』と昨晩聞かせてもらった。
「新さまはまだ就寝中なので、お静かにお願いします」
彼女はそれに尻尾を揺らして答えると、ソファ近くの定位置に身を置く。
…餌は上の戸棚ですね
食卓を囲む椅子の一脚を拝借して餌袋を取るとキッチンに立てかけてある皿をとって適量盛ると、餌台へと持っていく。その時飲み水の減りに気がついたので足しておく。
…イブさんはどのくらい食べるのでしょうか
いざ、朝食を作ろうと思ったタイミングで気に掛かった。それに何が好きか、嫌いかも知らない。後でイブさんの様子を新と共有しようと思っていたものの、昨日は彼女を寝かしつけている間に私も寝入ってしまった。
…まあ、無難に作りましょう
子供は野菜のエグ味や苦味に弱いことが多い。それを踏まえて食材を選択する。メインはクルミ入りのクッペ(フランスパンの種類の一つ。長方形の形をしている)。あとはベーコンエッグ、生野菜のサラダ、コーンスープ。あと、かぼちゃの素揚げ。これは以前、調理した時に半端に残してしまったものだ。
…後は昨日の残り物ですか
いつも調理の時に使う深底の鍋の中に若干トマトソースが残っている。
昨日、新が作ってくれたものだ。具沢山でいろいろ入れ込んだ割に味は整っていて、美味しかった。丁度、彼がうなされているとき私は夕食の最中だった。
…あれは本当になんだったのか
刹那、回顧する。新は、こちらに来てからはそこまで寝つきが悪くなくなった。考えられるのは『炎の紋章(山神新)』の影響。イデアの紋章は精神的な影響を代償に取ることもあるという。まあ、単純に悪夢を見ただけかもしれない。
そこで調理する手を止めて、後ろを見るも特に変わった様子もなく彼は気持ちよさそうに寝息を立てていた。
正直なところ、代償が明確に分かるまではおいそれと使わせたくはない。しかし、オルトロスとの時のように探索時にイレギュラーに巻き込まれる可能性はこれからも大いにある。
…とはいえ、彼が選んだ道。老婆心を働かせるのも良くありません
止めたいのは山々。されど、それを自重する。それからはなるべく考えないように料理に神経を集中させた。
「ふあぁ…。シャーロットさん、おはようございます」
ちょうど朝食が完成しようという頃合いで新が起きた。
「…っ。朝食、ありがとうございます」
彼は一度、居間の時計を見て驚いたような表情をしてから、瞼を下げる。いつもならとっくに探索に出ている時間だ。だから、一瞬驚いたのだろう。
「イブ、朝だから…」
「まだ…あと…五分」
彼はイブさんに声をかけながら、彼女の体を揺する。私はそれを見ながら、食時の準備をしていく。そうしているうちに自分の表情が弛緩していることに気づく。
…年の離れた兄妹なら、こうなのでしょうか
微笑ましい光景だった。朝日が窓辺からベッドに差しているもの相まったのかもしれない。なんともない普通。でも、それは彼からすると随分前から途絶していたもので——
…黒バラを倒したら、新をこういう日常に帰してあげたい
心にふつと湧いた欲求。使命感ではない願望。
…ああ、そうか。私は彼に幸せになって欲しいんだ
胸中でそれを自覚する。彼の人生はこれまで壮絶すぎた。幼い頃に両親を失い、親類にも見限られ、後見人にも愛を与えられず——唯一心を開いた子もすでに死んでしまった。
彼に与えられなかった「普通」を与えてあげたいとそう思ったのだ。
…もはや、親の心境ですね
彼女が長逝してからの彼を覗きすぎたのかもしれない。この欲求は私の押し売りなのかもしれない。それでも。
思ってしまったら止められない。これからは彼女の願い、それに私自身の願いを添えて彼に仕えよう。私はそう思って彼らの方を見やった。
「イブさ〜ん、起きてくださ〜い」
ホアホアと音のしそうな欠伸とともにイブさんは目を覚ますと、新に連れられて洗面所の方へと向かった。その際、新に洗面所に昨日、彼女が使った歯ブラシがあることを伝えておく。
「お兄ちゃん、仕上げして〜」
「はいはい」
しばらくすると、そんな掛け合いが聞こえた。




