三十六記_黒狼
…あぁ、重い!
俺は少女が走り去った方へと走りながら、ガシャガシャと揺れる剣と盾をカードにしまい、さらに速度を上げる。
路地に差し掛かると少女たちが目に入った。追尾することしばらく。
カッ…カッ
…床の材質が変わった?
『砦』の地面とは違う。明らかに人の手が入った感触が足元から立ち込める。少女と獣を視界の中心に置きながらも俺は辺りの情報の収集を開始した。
石造の建物。材質は…よく分からない。青黒く光る石だろうか。音は…よく響く。大きな空間が近くにあるのかもしれない。
そこで少女らとの距離が急激に縮まっていることに気づいた。
距離にしておおよそ百メートルほど。少女は四匹の獣…狼に囲われていた。その内の一匹が彼女に飛びかかろうとした瞬間。
俺はその際で彼らの間に割り込み、盾のみを顕現。飛び込む狼、その腹をかなぐった。
…かった
あまりの硬度に盾を払った左手がわなわなと震えている。遅れて剣を右手に携えて戦闘体勢をとる。そうするしじまに少女の状態を見やる。
…よかった。間に合った
洋服が汚れていたり破けていたり、所々擦り傷が見受けられたものの命に別状はなさそうだった。
遅れて、弱い力が俺の服の裾を引っ張った。振り返らなくても分かる。あの少女だろう。
「subvenio mihi…」
(私を助けて…)
そのか細い、祈りのようにも聞こえるその言葉を背中で受ける。聞きなれない言葉。でも、言いたいことは分かった。
「助けるよ、君を。だってそのために来たんだから」
確かな意志を込めた切先を四体の獣に向け、戦闘を開始した。
さっき吹っ飛ばした個体は地面に突っ伏しており、起き上がる様子もない。どうやら当たりどころがよかったらしい。
…残りがあと三体
少女を前に見えを切った手前、正直なところ勝算は五分といったところだ。
…それでもやるんだ。後ろには人命。退けるわけがない
自身を鼓舞しながら、連鎖的に飛びかかってくる黒狼を盾で弾き、その間に斬撃を与える。ひたすらこれを繰り返した。少女が後ろにいる以上、どうしても獣と少女に挟まれた体勢を維持せざるを得ない。ジリジリと相手の体力を削り、あわよくば逃亡してくれればいい。そんな希望的観測を抱いたまま防衛戦を強いられた。
しかし、この防衛戦は困難を極めた。相手もまた生命であり、学習能力がある。初めは順繰りだった攻撃が連携を初め、二頭が前方で飛び上がり陽動し、その最中に背後に回り込み最後の一頭が後方から攻撃する…彼らは戦いの中でそんなトリッキーな戦闘方法を編み出していた。
それに対応できたのはそれまでの斬撃の積み重ねのおかげだった。各個体に蓄積したダメージが行動を鈍らせていたため、何とか対応が効いたのだ。イデアによる攻撃予測能力だけでは数の暴力に膝をついていたに違いない。
——泥試合
本当にそれだった。どちらも息は上がっている。俺の体力もすでに底をついていた。
意地の張り合いだった。
俺は少女を守り切るという意地。
相手がどんな意地を張っていたのかは分からないが、「ここで引くわけにはいかない」というそういう意志を瞳孔から滲ませていた。
そして幾許かして決着はついた。おそらく差は俺が盾と鎧を持っていたことだろう。俺が強いられたのは純粋な体力勝負。あっちが強いられたのは生存競争だ。
眼前で息絶えた狼を背に、立ったり転けたりを繰り返していた四匹目の方へと向かう。まるで泥沼を進むような重い足取りで何とかそこまで辿り着くと、足で蹴って横倒しにして首の根元を左足で押さえる。手に握った剣を逆手に持ち変えるとその腹に叩きつけた。
その時に気がついた。
横腹に何らかの紋章が刻まれていることに。獣が自身の命より大切にするものなどそう多くはない。おそらく『隷属契約』を結ぶ紋章か何かだろう。
…周りは明らかな人工物。今思えば、町の中に敵対種の獣がいるのも変な話だ
戦いが終わり、余力ができたためかそんな懐疑を感じた。
念の為、その紋章の部分を剥ぎ取ると再び少女の方へと向かう。刹那、体が揺らめいた。剣が地面を転がる音が空間を木霊する。何とか起き上がると剣を拾い上げ、腰元の鞘を取り出し装着。それを支えに再度、少女の方へと歩を進めた。
——寝ていた
初め見た時はひどく焦った。口元に手をやると規則正しく呼吸をしていたので寝入っているのが分かった。あの服や傷を見ているとかなりの距離を走ってきたことは容易に想像できる。人にあって安心したのだろうか。
「何があったかは知らないけど、疲れたんなら寝ておけばいいよ」
そんな言葉が口を突いて出た。大分上から目線だななどと考えつつ、道の真ん中で寝入ってしまった少女を抱えて端の方へと移動する。
…水飲んだらすぐに移動しないと
この少女が何者かに追われているのは明らかだ。疲労困憊の体に鞭を打たねばならないのは心苦しいが、この少女が捕まってしまったら俺の努力も水の泡。
…あっちが入り口だよな
舌で指を濡らして空気の流れを確認する。戦闘の最中に右と左、どちらから来たのか分からなくなってしまったのだ。中がひんやりしていることを考えると空気の流れる方向がそのまま入り口を指す。
「行くよ、起きて」
少女の体を揺さぶっても起きる兆しがなかった。かなり深く眠ってしまっているらしい。追っ手もすぐには来なかったことから装備の大半をしまい、少女をおぶっていく事にした。




