二十一記_ 招き猫
——上層域六層/纏白樹海
「なぁ、こっちで合ってんのかよ、岩谷」
「紋章があってんなら、間違いない」
仲間に岩谷さんはそう応答する。彼は『追跡の紋章』を手に持ち、左右に振って進行方向を確認していた。
…輝きが西の方が強い
随分前から新さまはある一点から動いておらず、私たちはそこを目指していた。数刻前、樹海に入ってからは霧の影響で『追跡の紋章』の立体マップが機能不全になった。今は、紋章の効力で方角だけを割り出して進んでいる。
「こっちだな」
彼はそう呟くとその方へと足を進めた。今のところ周囲に魔獣の気配はない。ここに生息する魔獣は霧に紛れるために体毛が白いものが多い。気を抜けば容易に接近を許してしまう。魔獣以外にも樹木の巨人(gigas arbor)が生息している。この辺りは白樺の種だったはずだ。最もこちらの警戒は容易い。動く時には根を引き摺る音が静かな森に鈍く響くからだった。
「ミャー」
その時、空間に鳴き声が響いた。
「っんだ、びっくりさせんじゃねぇよ。可愛い猫じゃねえか」
一瞬動揺するも岩谷さんはそう口にする。反して私は驚愕していた。
…いつの間に
芝を鳴らす音はもちろんのこと、息づかいさえ聞こえなかった。
…新手っ…!
私は剣の柄に手を掛け、いつでも踏み出せるように体をやや前傾にし臨戦体勢をとる。ただの猫。しかし、されど猫だ。ここは実世界ではない。姿が絶対な保険にはならない。
…しかし、この上層でファントムなんて存在するだろうか
その時、誰かの手が私の右手を包んだ。
「シャーロット、身構え過ぎだよ。深呼吸三回」
香織が耳元で囁いた。私はそれに従って深く呼吸をする。若干、体を引き結んでいた緊張が解れたような気がした。
「新くんがいなくなって焦るのも分かる。でも…だからこそちゃんとするんだ。常に気を張っていたんじゃしょうがない。ミイラ取りがミイラになるのは違うだろ?」
そう言われて、再度眼前に現れた白猫を注視する。
…ファントムの特徴は幻影。こうして直視し続けると——
——存在の不確実性が崩れ、本来の姿が露見する。
しかし、そうはならなかった。詰まるところ、ただの猫というわけである。目の前にいるのはただの利口な猫だった。おそらく香織はあの猫が出現した時にすでにファントムの可能性を疑ったのだ。そして猫だと確信した。
この体の年齢に精神性が引っ張られているのか、それとも十年以上も『ラビリンス』から離れていたせいか…勘が鈍っている。原因はともあれしっかりしないと。
そんな思いを胸に私は剣の柄から離した右手を力強く握った。
「シャーロットちゃん、大丈夫?」
横から岩谷さんのパーティメンバーの…来栖さんに声をかけられる。
「すいません、大丈夫です」
心配そうに見つめる彼に笑顔を返す。
「リーダー。シャーロットちゃん大丈夫だって〜!」
岩谷さんはそれに軽く手を挙げて反応すると、再び『追跡の紋章』で辺りを探り始めた。
「ミャーオ」
その時、またあの猫が鳴いた。スタスタと岩谷さんのところまで行くと前足でテシテシと彼の左足を何度も摩った。
「どうしたよ、猫さんや」
彼が自身に注意を向けたことを見るや否やその猫はある方向へと歩き出した。
霧で見えなくなる境界でぴたりと足を止めると再び、鳴いた。
「ミャー」
すると彼が考え込むように腕を組んだ。それを解くとパーティメンバーの一人を手招きして耳打ちするのが見えた。するとその人は自身のカードホルダーから一枚の紋章を取り出して猫に近づいた。猫もそれに気づくと数度鳴いた。
すると岩谷さんはその人に近づくとこちらに手招きをした。
私たちもそれに従うように彼の元へ向かう。
…会話系の紋章
おそらく使ったのはそれだろう。確かにあの猫の行動はこちらに何か意図を感じさせるものだった。
初めの鳴き声はこちらの注意を引いた。
二度目は岩谷さんのところに行って、彼の注意を引いた。
三度目は霧に紛れて鳴いた。
動作を振り返るとこちらをどこかに招こうとしているのは明らかだ。
そして、私は回された紋章に浮かび上がった記述を見て愕然とした。
『VENI HAC.』
『EGO PUERUM SCIO.』
「猫さん、これ本当ですか」
私はあの猫に近づき、恐る恐る聞いた。するとその猫は「ミャ」と短く返事をした。明らかに意思の疎通ができている。現に手に持ったまま紋章には『ITA』と浮かび上がった。
「シャーロットちゃん、これ見てくれ」
岩谷さんはそういうと『追跡の紋章』を左右に振った。すると驚いたことに先ほど猫が移動した方角で紋章の光が強くなった。
「俺はあん猫について行くのもありだと思うが…、どうする。シャーロットちゃん」
「そうしましょう…少なくとも紋章と反応が一致しているところまでは」
それを周りで聞いていたパーティメンバーもコクリと頷いた。
こちらから猫に目をやるとやはりそれとなく状況を理解しているようで、私たちから目を外しと霧の中へと歩いていった。
程なくして彼は見つかった。




