二十記_忘失された聖堂
俺は霧の中で一匹の白猫と相対していた。しかし、警戒する俺を他所にその猫は俺の方へと近づいてくる。まるでなんでもないように横を通り過ぎていった。
…危険性はない?
半ば緊張を解きかけた時、後ろから声が響いた。
「ミャアー」
目をやるとその猫は後ろ足を畳んで座り、ゆらゆらと尻尾を振っていた。
その猫は俺の注意が向いたことを確かめると、再び立って霧の中へと姿を消した。
…なんだったんだ
刹那、緊張の糸が切れ、地面に倒れ込んだ。
…待つにしても、動くにしても食料問題はどうにかしないと
ここがどこかも分からない。冒険者組合が捜索に動き出すにしても明日だ。
…とりあえず、水源だ
水があるとないとでは生存率が明らかに違う。
…近くにあればいいけど
耳をそば立てて、辺りを行ったり来たりする。その時、耳が異音を捉えた。
…ザザッ、ザザッ
足を止めて、音のする方を注視する。
「ミャーオ」
現れたのは先の猫だった。先ほどのように後ろ足を畳み、何度も鳴き声を発する。泣き止んだかと思うとその猫は立ち上がった。後ろ向きになるとそのまま姿勢でこちらに顔を覗かせて、尻尾を靡かせた。
…こっちに来いってことか
動作の機微からなんとなくそう感じとった俺は、猫の方へと歩を踏み出した。
「んニャ」
それを見ると猫は「そうだ。ついて来い」といった具合の短い声を発した。
…猫を追いながらでも水源は探せる
それに行かなくて、先のように何度も鳴かれては返って獰猛な獣に出くわすリスクが上がる。そう結論に至ると俺はその猫の後を追った。
白猫は霧の中でもしっかりとした足取りで進んだ。猫は人より何倍も感覚が優れている。それゆえだろうか。どこかを目指しているのは明らかだった。
何度か猫を見失ったが、そういう時には決まって戻ってきて俺を先導した。薮だったり、木の根が地面からせり出していると「にゃ≒この先には段差があるぞ」と短く鳴く。かなり知能が高いことが伺えた。
…っ。霧が
わずかではあるが霧が晴れてきた。歩を進めるごとにそれを確信する。僥倖だった。相変わらず、一帯は森だ。視界が開ければ、水源・食糧の問題解決に一気に近づく。
刹那、眩い光が目を刺した。次第に目が慣れてきて一帯を視認する。
そこには一つの建物が侘びそうに佇んでいた。
…教会
外壁は灰色だ。見た感じかなり古びている。元は綺麗な白い聖堂だったに違いない。辺りは芝草が茂っていて、手入れの名残りか教会の周りは歩きやすかった。
「ミャー」
惚けているとあの猫の鳴き声がした。足元を見やるがいない。周辺を探るとちょうど教会に入っていくのが見えた。
…来いってことだよな
周囲を警戒しながら、移動。半ば外れた扉に手をかける。ギシッと嫌な音がしたが外れることはなかった。扉を傷めないように慎重に閉めてから内装に目をやった。
中は思っていたより簡素だった。大聖堂のように豪奢なステンドグラスもなく、床も身廊と側廊を区別するために黒いタイルが貼られているだけだ。長椅子の数も少なく、祭壇も近かった。
すると説教壇といったか。それにあの猫が飛び乗るのが見えた。気になってそちらの方へ進むことにする。その途中で奇妙なものが現れた。
…牛の頭
ちょうど長椅子がなくなり、説教壇との間にできる洗礼をする場所?そこにそれは描かれていた。迷路だった。ちょうど七周分。その中央に牛の頭が描いてある。
教会。確かキリスト教はローマ帝国の分裂によって宗派も別れたはずだ。ローマの前はミケーネ、その前はクレタ。
文明を遡り一つの考えに至る。七周回路に牛の頭…ミノタウロスの迷宮か。
ただそれが何を示すのかは見当もつかない。のちの文明にクレタ文明が吸収された影響か、はたまたこの世界の信仰か。
「ミャーオ」
その時、猫の鳴き声が建物を反響した。実を結ばない思考を切り上げて、迷宮図から目を上げる。白猫が教壇にある一冊の本を爪研ぎする容量で何度も引っ掻いているのが見えた。しかし、それもすぐに止んだ。多分、俺が気づいたからだ。目が合うとその猫は教壇から降りた。
…これを俺に読ませたかったのか
教壇の前に移動した俺はそう思う。一連のあの猫の行動がそれを示していた。
その本は革製だった。おそらく羊に準ずるものだろう。年季が入っているからか、少々ベタ付きを感じる。本がバラけないように背をしっかりと左で持ち、中を開いた。
中身は紋章だらけだった。ページいっぱいに一つの紋章が描かれ、それが連なっている。しかし、経年劣化からか薄れているものが大半で読み取れるものはわずかだった。物理的に破られたような箇所もある。
…なんだこれは
パラパラと一通り捲り終えた俺は本を閉じて裏表紙に目をやった。
——arata yamagami
その瞬間、激しい頭痛に見舞われた。反射的に両手で頭を抑える。本を取り落とし、それが石床を滑る音がした。
…ッ⁉︎
頭の痛みは加速度的に強くなり、呼吸が荒くなる。視界が白け、仕舞いには立っていることも難しくなり地に転がった。体感覚すらも鈍くなっていく。
…がっ。あがっ
息苦しさが胸中に広がる。まるで肺を炎で焼かれているかのような感覚だ。
刹那、目の前が真っ暗になった。




