百九十記_ヤマト機関②
「ごめんねー。二人犬猿なの。川端くんは感情論。反面、黒瀬くんは論理的で隙がない感じだから、終始一貫してないと気に食わないみたいで。何でかここの班員は凸凹したのが集まるのよね、私も含めて…」
いつの間にか反対の席から移動して来ていた片峰さんが肩を落とす。
「まあ、ここの概要も連れてきた理由も話し終わったからいいんだけどね。何か質問ある?」
彼女は後ろで軽く腕を組み、俺たちの方を覗き込むようにしなやかに姿勢を傾ける。
『コミュニケーションに秀でている』
黒瀬さんの言葉の意味はすぐに分かった。踏み込む間や人懐こい仕草。意図してやっているのか天然なのかは定かでないが、これはあまりにも蠱惑的だ。
「…ではいくつか。警察内の『対L班』との違いは何でしょうか」
三宅さんは腕を組みながら、淡々と問いを口にする。俺と違って、彼女の一挙手一投足に息を呑んだり、釘付けにされたりといった事はないらしい。
「ああ、それね。分かりにくいんだけど…対L班は『個人がラビリンスに干渉するのを阻止する組織』。ヤマト機関は国益のために対外的に諜報活動を行う組織。その中にラビリンス担当があって、彼らの仕事は『ラビリンスからの漂流物の事後処理』。魔物とか、突如発生した天然の門とか、あっちから迷い出てしまった人の保護とか、まあ色々」
片峰さんは指折りながら、時々こちらに目配せして俺たちが話について来れている事を確認しながら、言の葉を紡ぐ。
「ってことは『花葬』。えっとこの班はラビリンス担当をさらに細分化した組織という事ですか」
「そ、業平くん。話が早くて助かる」
確認を取ると彼女は口角と眉根を上げながら、笑顔を湛える。つまりは…。
ヤマト機関→ラビリンス担当→花葬。この三レイヤーの構造だ。
すると三宅さんが人差し指を立てて更なる質問を連ねた。
「それともう一つ、『ロサイズム』とは何ですか。自分たちの捜査の過程で名前こそ浮上しましたが、どう言った組織なのか分かりませんでした」
俺はそこで「確かに」と思う。例の日記の持ち主がそういった組織と関わりがあり、また公安がこれをマークしていた事も知っているが、どういった団体なのかは認知していなかった。
「アレ?山本くんから聞いてない?」
驚いたような声を出す片峰さん。その時、出てきた名前に俺たちははたと目配せする。
「片峰さん、問いを重ねる形で申し訳ないのですが、山本は捕縛された後、どうなったのでしょうか」
それを聞いてポカンとする彼女。視線が天井を巡り、戻ってくるとちょいと舌を出して、戯けた。
「…ありゃ、また何も言ってなかったや。彼もあなた達と同じように刑罰を言い渡された後、この班に編入したのよ。少し早かったから先にラビリンスの拠点に行ってもらったんだけど…引き籠っちゃって」
曰く、山本さんはプログラムの解析屋の性分のままに紋章の仕組みにお熱になってしまったようで街と拠点を行ったり来たりしているらしい。
「あいつらしい。公安にいた時も興味が高じて仕事になっていたタイプだった」
三宅さんは思い出すように微笑を浮かべる。だが、その中には僅かに陰りが見えたような気がした。もしかしたら、同僚を引き込んでしまったことを憂いているのかもしれない。
「え〜っと、確かロサイズムについてだったよね?」
片峰さんが脱線した会話を引き戻す。俺たちもその声を端緒に思考を切り替えた。
「ええ」「はい」
「じゃあ、ちょっとこっち来て」
言われるままに後ろをついていくと会議室の最奥——スパコンが聳える場所に案内され、申し訳程度に置かれているキーボードに片峰さんが手をつけた。
マウスやスイッチを幾らか動かし調整すると一番手前のモニターが点灯した。
「ロサイズムっていうのはね、『黒バラ』が現れてから急速に発達した宗教団体。説明するにはまずこの『黒バラ——rosa peccatum』についてからじゃないと」
それから片峰さんはパソコンを用いながら、ロサイズムの概要と黒バラとの関係を事細かに語り始めた。
まず、黒バラと呼ばれる怪物について。ラビリンスのモンスターの一種で二〇一一(公式記録:二〇一二)年に突如発生。その後、『強制的に願いを叶え、命を吸い取る』能力を拡大。瞬く間にラビリンスを席巻する未曾有の災害となったらしい。
「それで、歩夢ちゃん。新くんと業平くんの共通のお友達。彼女もこの怪物の毒牙に掛かって他界してる。新くんがラビリンスに行ったのは恐らく黒バラを倒すためだろうね」
…そういう事か
俺は話を聞いて腑に落ちた。今のあいつが動くことと言えば、歩夢ちゃんに関することと危機に瀕している人を救う人の二択。その両方を孕む状況であれば動かないはずがないのだ。
「それじゃあ次はロサイズムね。さっきも言った通り、黒バラが出現以降突如として表舞台に姿を現して、瞬く間に拡大した宗教団体。『黒バラの王によって世界は再び浄化へと向かい、偽りの繁栄は崩れ去り、原初の楽園に至る』この予言を教義として活動しているの」
「…つまり、世界の崩壊を自ら進んで行なっている?考え方だけならインドの輪廻に近いものがあったはず——」
三宅さんはそれを聞いて訝しむような表情を貼り付け、独り言を呟く。それを聞いた片峰さんはパソコンを弄るのを止めて、振り返った。
「三宅くんの言う通りカルトに近い。けど、この集団の怖いところは実行力にある。こちらではまだ少ないけど、あっちじゃ市民を拉致して無理やり呪いを写したり、黒バラを敵視する団体にテロを仕掛けたり、とにかく迷惑なのよ。さらに特出すべき所は——」
「富裕層や政治家、挙句は法曹界まで浸透している事です。一般にはそれほどですが、上層部はかなり呑まれてしまっている。出所不明の未来予測を授け、彼らの安泰を約束する。そして見返りを求める。彼らのニーズとロサイズムの思惑がギブアンドテイクなわけです」
突然、気配を感じたかと思うとドスの聞いた低音が響き渡る。振り向きと黒瀬さんの姿があった。
「祐人くんはどうしたの」
「いつも通り詰めますと、拗ねて何処かに消えました。後で菓子でも用意しておきます」
「そ。黒瀬。程々に、ね」
「……」
熟れた会話をする二人。黒瀬の顔には不満の色が見えるがそれを言語化する節はない。先ほどの「ポンコツ」から始めるやり取り然り、もしかしたら関係がかなり長いのかもしれない。だから、互いの間合いをよく知っている。
黒瀬は会話を区切りとばかりに咳を一つすると、再び口を開いた。
「先ほども話しましたが、脅威的なのは確度の高い未来予測です。そういった紋章にはいくつか心当たりがありますが、あくまでその日一日目、長くても一週間ほどが限度。しかし、彼らの行動から類推するにそれ以上の遥かに先の未来を知っている。…手を引く黒幕は相当厄介です」
彼はロサイズムの徽章が写されてされたモニターに鋭い視線を浴びせながら、深刻そうな声を発する。
「だから、私たちがいるんでしょ。ヤマト機関内に『花葬』が創設されたのは、この部隊が元々クローズドだったから。国内外含めて、ね。どこに敵がいるか分からない状況で動ける人は限られるから」
片峰さんがあっけらかんと言う。それは最もな理由だった。
「それに班員はロサと繋がっていないという身の潔白も必要です」
「「だから、あなた(君)たちが選ばれ(まし)た」」
二人の視線が俺たちへと注がれる。なるほど。人員は増やしたいが、ロサイズムに関係する人を入れるのは困る。それで俺たちに当たりをつけたわけだ。そもそも自衛隊ですらない俺たちを。
「それで、拒否権は無いんだけど。一応聞くね。勝手な都合で『花葬』に入ってもらう形になったけど、大丈夫?」
片峰さんは申し訳なさそうにやや眉を顰める。その瞳には居た堪れなさを滲ませる。本当に人が良いのだろう。逃れられないとしてもこちらへの気遣いを感じる。
「吾は問題ありません。元は所轄に異動になる身。国のために働けるなら、これ以上の誉はありません」
三宅さんは即座に返事をし、俺の方を見る。
…俺は
ぶら下がる右手を強く握り込む。答えは決まっていた。
…もう全てが手遅れになるのは嫌なんだ
「俺も問題ないです。ロサイズムを抑える事はきっと新の役にも立つはずだから」
あいつを一人死地に踏み込ませるような事はしない。たった一人で世界の趨勢を相手取る決断を下せる尊敬に値すべき友。今度こそ俺はあいつと共にある。
「二人とも後悔が無さそうでよかった。これからよろしく」
片峰さんから差し出された手を順に握る。
その日は『ヤマト機関』の拠点の場所や動き、禁足事項について。主に業務事項の確認を受けての解散となった。