百七十五記_海竜
成果は上々だった。家屋や店の中には本、地図、武器や装備、そして魔法のトランプカードの数々があった。
『Mappa labyrinth unus 9stratum 』
地図の左上にはローマ字で大きくこう書かれていた。三宅さんの手書きのものと照らし合わせると部分的に酷似する部分があり、この辺りのものであることが分かった。
装備も元は売り物だったであろうものをいくつか拝借した。この世界の人はフルプレートの装備が一般的らしかったが、慣れないものをつけても支障が出るので体に合う胸当てと薄手の籠手、武器は予備の短剣を二本。
トランプカードは枚数にして二十枚ほど。遺品を漁るのは気が引けたのでこれまた売り物をいくつかといった具合だ。
そうこうして店や家、宿舎や教会、役所などを巡っていたその時。湖近くの倒壊した家屋の角で蠢く影に遭遇した。これまでの調査によって人がいないことはもはや確定的だ。
カンッ!コロコロ…
足元の小さな瓦礫に爪先が当たり、荒んだ道の上を転がっていく。
その時だった。その生き物は勢いよく振り返り、俺たちを見据えると飛びかかってきた。俺は反射的に腰の短刀に手をかけると自分と何かとの間に差し込んだ。
…重い
「三宅さん!」
俺は衝撃を跳ね返すようにして宙空にそれをかち上げる。すると三宅さんが拳銃と取り出し、二発見舞った。ドテッという重鈍な音と共に地に落ちたそれをまじまじと見つめる。
大きさは五十センチほど。ワニのように頭から尻尾にかけて鱗が生えており、爬虫類特有の鋭い爪を有している。
「こいつは…」
俺がそう呟いたとき、眼前の生物は溶けた。文字通り体が溶解した。そこに残ったのは粘性の液体とあの体の片面を覆う鱗だけだ。
「CYURUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA‼︎」
刹那、鼓膜を破るような高周波に襲われた。あまりの大きさに俺は耳を抑え、目を瞑る。次の瞬間、耳を劈くような叫びは衝撃波となり、身を襲った。俺は耳を塞いでいた腕を頭の前で交差させてそれに耐える。
程なくして轟音は止まり、目を開く。そして、俺は目の前の光景に絶句した。
「ドラ…ゴン」
全身に張り巡らされた鱗。ニ対の鋭い瞳に額の宝玉、ガゼルのような雄々しいツノが四本。体の中腹から下がる仰々しい腕はあの足跡の主であることを表していた。
——ギロ
二つの目と視線が合った。
何かが来る。そう直感した時には体は全速で駆け出していた。ヌッと体を逸らせたかと思うと顎門が大きく開かれ——次の瞬間、口から高圧の水を噴出させた。
俺は家や街路樹などより多くの遮蔽物を挟みながら、ひたすらに走る。ブレスはなんでもないように建造物を粉砕しながら迫ってくる。太ももはすでに悲鳴をあげている。ただ一方で足を止められないことも分かっていた。縺れそうになる足に鞭を打ち、走り続ける。
…動け、動け、動け…!
ただそんな根性虚しく、俺は躓いた。
無理もない。全力疾走なんていうものはそう長く続くものではない。俺は倒れる体を守るように身を屈めながら転がる。すぐに上体を起こして龍の吐くブレスを見上げた。
ガラクタを生み出しながら押し寄せる死の息吹。
…こりゃ、敵わねえな
目の前で起きていることはよもや天災だ。人の力の及ぶ領域を超越している。逃げる気力も迫力で失せていた。視界は真っ白に染め上がる。
死を覚悟した。脳裏で瞬時に自分が粉々になる想像が膨らむ。
だが、それは起きなかった。
運の良いことに眼前でその攻撃は急速に勢いを衰えさせたのだ。そしてたまたまあった家屋の壁を半分ほど削るとそれは完全に静止した。
「…っ。はぁ——。」
半ば無酸素状態になっていた俺は急いで呼吸を再開させ、立ち上がる。拾った命を無駄にするつもりはなかった。ふらつく体をどうにか支え、水龍の方を見る。
「SYUUUUUU…」
呼気か、威嚇か分からない音を発しながら、俺を見据えている。
感じる覇気が逃げきれない、と俺に悟らせた。
俺は背負うリュックを放り投げると徐に腰にかかる短刀を抜き放つ。そして、構えをとると巨大な龍を睨みつけた。
——来いよ、その体に深傷の一つつけてやる
その時、襟首に強い力を感じた。俺は思わず、尻餅をつく。
「空気に酔うな!逃げろ、相手は首長竜だ‼︎」
途轍もない気迫でそういったのは見失ったはずの三宅さんだった。