十七記_異世界の日常
——二○二四年、七月十一日、木曜日
この世界に来て、一ヶ月ほどが経った。
最近のスケジュールは早朝にシャーロットさんとの稽古、それから朝食を食べて冒険者組合へ行って依頼を受ける。ラビリンスの上層、一〜二層で素材を採集、または目標の討伐。戻ってきて、依頼証明が終わるのが午後の六時ごろ。俺はここで家に帰るが、シャーロットさんはそこからこの街で繁盛している居酒屋『三毛猫』でアルバイトが始まる。容姿が整っていること、対応力も高いことから、店先からは「シャーロットちゃんはもう立派な看板娘よ」なんて言われていたりする。
情けないことに俺は依頼を終える頃にはフラフラでご飯も食べずに寝てしまう。彼女は「明日に備えて休むのも立派な仕事です」と言うが、経済的な比重が彼女に傾いていることに引け目を常々感じていた。
…とはいっても、体力は一朝一夕じゃつかないしなぁ
俺は薬草の探索をしながら、そんなことを考えていた。
「あらたさまー。調子はどうですか」
足元に袋を置いたシャーロットさんが遠くに見える。
「いまいちでーす」
そう返して、作業に戻る。今採集している薬草は農園でも栽培できるようだが、天然物の方が加工した際に効果が強く出るらしく組合からの依頼が絶えることがない。これをシャーロットさんは『慣れて、鑑定眼が優れてくると早く終わる』という利点があるとしており、毎日受ける三つの依頼のうちの一つは必ず『薬草採集』をすることになっていた。
実際、シャーロットさんは俺の四倍近くの速さで規定量を見つけ出す。だから、同じような依頼を複数請け負うのが常だ。今日も確か、掲示板から三枚ほど引き剥がしていた。
…う〜ん、これ薬草か…
腰に取り付けてあるホルダーから簡易的な図鑑を取り出す。薬草は、そこらの雑草と大差ない見た目をしていて、複数種類がある。自分の目当てのそれを得るためには葉の作りや根の生え方、花びらの形などのわずかな違いを見抜かなければならない。俺は図鑑でそれを確かめていた。
初日はシャーロットさんと一緒にやり、意外とできるかもしれないなんて淡い期待を抱いたが、一人でやってみると本当に難しい。
…葉のうらが紫だ。これは違う
めくった葉を元に戻すと、姿勢を立てる。
…必要数三十のうち、今十四。ペースとしては上々だな
昇る途中の太陽もどきを見ながら息をつく。昼過ぎからは別の依頼に移る。それまでには『薬草採集』の依頼はけりをつけたかった。
ざざと音をたて揺らめく木の下。ちょうど良い岩のあるそこで俺は革製の水筒を呷り、深呼吸をする。
『黒バラの討伐』
それを掲げるのは変わらないが、まずは地盤固めからという事で細々とした生活を送っている。特段、問題なのは俺の運動能力だった。ここ数年勉学に重きを置いていたからか、体はガタガタ。『俺も行く』などと息巻いてはいたものの世話がない。
「今日もいい天気ですね」
靡く横髪を右手で押さえながら、シャーロットさんは近くの岩場に座る。
「新さま、どうぞ」
「いつもありがと、シャーロットさん」
そう言葉を返しながら差し出されたのはバゲットサンドを受け取る。ここ四週間の昼食は決まってこれだった。彼女が自炊するのはもちろん節約が理由だ。一般的に冒険者は露店で昼食を買うようだが、シャーロットさん曰くそんな余裕はないらしい。それに『大和』にある刈谷家を拠点として使用するための資金も貯めなくてはならない。
以前、なぜバゲットサンドなのかと聞いたら『パンはまとめて買うと安く済みますし、中身を変えれば飽きません』と口にしていた。
今日はレタスにトマト、玉ねぎのスライスに牛肉。ソースは野外活動をする前提で少し濃い目の味付けとなっている。使用されている牛は…確か、ボス・プラートゥム。『大和』近郊の草原でよく見る牛だ。
赤い目に深い青の毛皮を持った種で上層では牛肉の定番だと街の人に聞いた。薬草と同じく依頼が途切れることがないことで冒険者に重宝されている。この世界の動物は総じて凶暴で実世界のように調教して家畜化することが難しい。だから、ラビリンスでは畜産業が全くといって発展していない。
絶え間まく依頼がある理由の一つは間違いなくこの影響だろう。
さらにこいつには変異体としてボス・プラートゥム・ニゲルと呼ばれる種が存在する。『ニゲル(ラテン語で黒)』の名前からも分かるように毛皮が黒で、プラートゥムのメラニズムである。肉は通常種と比べて柔らかく、毛皮の希少価値も高いため高値で取引される。
価値はシャーロットさん曰く、『ニゲルが狩れたら、刈谷家が今すぐにでも使えるようになる』そうだ。…ということは一頭の相場は約二百万円、この世界の貨幣価値だと2000ラピス。
…これ、家の補修いつになるんだ。でも、月々の固定費って案外ばかにならないしな
それは一人暮らしで得た教訓だった。
「新さま、早く食べてください」
食べながら思考に耽っていたからか、思ったよりも手元には食べかけのサンドが残っている。対して彼女は既に食べ終わり、剰え依頼の確認、薬草を十本ごとに縄で縛り、納品形式に整えている。ちょうど懐からブランクカードを取り出し、それらをしまうところだった。
「ごめん、シャーロットさん。ちょっと待って」
そう言って彼女から了解を得ると、手元のバゲットに齧り付く。なるべく早く、けれど消化不良の起こすことのないギリギリの速さで咀嚼し、胃へと送る。しっかりと口の中のものがなくなってから、皮袋をとって水を呷る。
それを見てとったのか、同時にシャーロットさんから呼びかけられた。
「さあ、行きますよ。午後は『トカゲ狩り』です」
…トカゲ…蜥蜴かあ。あいつらすばしっこくて苦手なんだよなあ
そうボヤキながら、ウエストポーチの中から依頼書を引っ張り出す。
『甘口蜥蜴の捕獲』
元気してるか、冒険者ども!
いつもサンキューな!
今回は甘口蜥蜴の依頼だよ。最近、市場が品薄でね。ちょいと依頼を出してみたんだ。
他にも出してるが…とりあえず二十匹お願いね
あとウチの店、贔屓にね。
よろしく頼むよ。
個体名:エウメセス・ルブス(亜種可)の捕獲。
体数:二十
報酬:三ラピス五十ペトラ
依頼人:居酒屋『三毛猫』、店主「柊真由美」 『受領印』
いつも通り、依頼書には依頼者本人の文とそれを依頼書の体裁に整えたものが並んでいた。
…日本円だと三千五百円くらいだな
依頼内容の確認を終えた俺はそれを丸めてポーチに戻そうとした——その時、頭上から声がかかった。
「それ、ウチの依頼ですね」
見上げるとシャーロットさんの顔があった。いつの間にかこっちに移動してきたらしい。
「……直接言ってくだされば、冒険者組合の仲介分懐に入りましたのに」
彼女は耳元でそう呟いた。なるほどそういう事もあるのか、と感心する俺だった。
* * *
…まじで捕まんねぇ
俺は眼前で甘口蜥蜴こと、エウメセス・ルブスと格闘していた。
…これで十四連敗
体長は平均四十センチ程度、横幅もそこそこあるので特段、掴みにくいということはない。しかし、馬鹿みたいに早いのだ。目と鼻の先、済んでの所で掴みかかったとしても捕まえられるかは怪しい。森の茂みの中を捜索し始めて二十ちょっとだろうか。そのうち捕まえられたのは三匹ほど。さっき、逃げたので十四連敗だ。
…これホントに今日中に終わるかな
そんなことを考えながら、木々の隙間から顔を覗かせる太陽もどきを見やる。
視線を下ろすと、その辺で拾った枝に糸をくくりつけ餌となる木苺を引っ提げたシャーロットさんの姿が映った。
…あれが正攻法なんだよなあ
そう。あれが正攻法なのである。しかし、俺は足腰の鍛錬の一環で素手で捕獲するよう言い付けられていた。腰を低く保ち接近。後ろから掴むといった具合だ。
シャーロットさんも俺にそういう手前、一枚目の依頼書は同じ方法でやって手解きをしてくれるのだが、二枚目以降は釣り方式で行なっている。律儀に依頼がある日は一枚目だけ付き合ってくれるのは彼女らしいと言えばそうだ。ここ一ヶ月だが、シャーロットさんの指導には一貫したものがあった。
——まずは自分がやって見せるということ
やはりこのタイプの指導者は教わる側に安心感を齎してくれる。できる人に教えてもらっているんだな、というあの安心感だ。
そんなことを考えながら腰に下げた皮袋に手をやり、水を呷る。
…とは言ってもなあ、難しんだよ。物理的に
脳裏でボヤきながら、数日前にシャーロットさんに言われたことを反芻する。
『蜥蜴の捕獲依頼の時は原則的に素手で行なってもらいます。目的は新さま自身の瞬発力の強化と感覚の鋭敏化ですね。森に生息する蜥蜴は総じて素早いですが、捕獲範囲まで近づいた後、蜥蜴より早く動けば捕獲は可能です。頑張ってください』
…今思えば、言ってることが大分「脳筋」じゃないか?
どうでもいい疑問が頭に浮かぶ。しかし、シャーロットさんの話によれば一層、二層と階層は下れば下る程人を意に返さぬ獣も増えていくという。それが確かなら自力を上げるのも重要なことだ。そう思い直して、蜥蜴狩りに戻った。
* * *
…疲れたぁ
結局、今日の蜥蜴捕獲数は『十』。依頼の二十には半数足りなかったので、シャーロットさんが大量に捕獲していた一部で補ってもらった。
「それでは私はアルバイトに行って参ります」
「いってらっしゃい、シャーロットさん」
ベッドに倒れ込んだ疲労困憊の体。その腕をなんとか持ち上げて宿の入り口に向かって手を振る。そしてドアの閉まるバタンとした音が部屋に響くと重力に従ってそれを下ろした。
…あっ、そうだ。鎧脱がないと
ふと浮かんだ思考そのままに体を起こそうとして気づく。
…そういえば、さっき脱いだんだった
再び体をベッドに埋めてふつふつと浮かんでくる思考に身を委ねる。
…ほんと、あっちで運動しとけばよかったなぁ。そうすれば大分違かっただろうに
ほぼ毎日だ。家…というか宿に戻る度にそう思う。まあ、まさか世界を隔てて『人を救おうとする』なんて実世界にいた時には露とも思わなかったのだ。なるようにしかならない。
…ああ、眠い
いつものようベッドに沈み込むような感覚を経て、俺は眠りへと落ちていく。
だがその日は何か妙だった。意識を失う直前、場違いにも「ミャー」という可愛らしい猫の鳴き声が聞こえたような気がした。




