百六十四記_ファミレス談合①
俺は図々しくも警官を家の前に立たせたまま、荷物を置いて、シャワーを浴び、普段着に着替える。両親には『友達とメシに行くから遅くなる』とメールしておいた。
そうして、俺たちはファミレスに来た。駅から家までは二十分弱あるがその間、会話はなかった。俺には刻々と空気が鉛のようになって重くのしかかっているように感じられた。
「いらっしゃいませ〜、何名さまでいらっしゃいますか」
「二人で」
「どうぞ〜。窓際の彼方の席をご利用くださ〜い」
店員さんは腕をピンと張って座席を指しながら、案内を始める。警官が平手で前を歩くことを勧めてくる。おそらく逃走を加味してのことだろう。俺は促されるまま進み、おずおずと奥側に座る。すると警官が真反対に陣取った。妙に圧を感じる。
直視することが怖くて、目を泳がせていると店員さんと目があった。視線に気づいたその人は俺に笑顔を向けてくる。
「ご注文が決まりましたら、お呼びください」
そう言ってはにかむと店員さんは入口の方へと去り、次のお客の相手をし始めた。
入口の方まで追った視線を戻すと俺は深く呼吸した。あまりの閉塞感にどうにかなってしまいそうだったからだ。
「何か頼むか」
俺の心境は他所に警官はズイとメニュー表を差し出す。警官はもう決まっているのか、それともメニューをサイドから出しただけなのかも分からない。今は自分の視界がきゅうと狭まっていて周りのことに気にする余裕がなかった。
…今、そんな気分じゃないんだけどなぁ
しかし、相手から勧められたものを無碍にするのも良くない。俺はトマトパスタとサイドメニューのキャロットラペに決めた。いつもなら、迷わずグリル系統を攻めるのだが、今は喉を通りそうにない。
警官は俺からメニューを回収すると店員を呼んで注文をする。それが終わると口を開いた。
「随分、警戒しているな」
精悍な男の声に全身が震え始める。それは悟られないように筋肉を収縮させて、それを最小限に止める。すると俺は猫背になっていた姿勢を正した。それはまさしく虚勢だった。
俺は怯えを隠すようにしてから、相手の視線に自分のものを交錯させる。
「…なるほど。この間のことを気にしているのか」
どうやら取り繕えていなかったらしい。態度から半ば確信に至られ、手には無意識に力が籠り汗が滲む。半ば、というのは俺は『この事件を追っていることが警察に露呈した時点で終わり』と思っていたからだった。だが、それにしては心なしか声音が少し優しいように感じられた。
「そうだな、先に言っておこう」
警官は俺の前で机の上に肘を突き、腕を組むと言葉を続けた。
「俺は君を罪に問うつもりはない。…そもそも謹慎中の身だ。事件捜査をしていたなどと知られようものなら、俺のクビが飛ぶ」
「…謹慎中…?」
彼の言動で僅かに気が緩んだからか、呟きが零れていた。ハッとして口を引き結ぶ。職務に関わることの仔細を詮索するのは良くないと思ったからだ。
しかし、警官は特に気にする様子もなく話し出す。
「ああ、少し前の任務で越権を働いてしまってな。九月まで謹慎。そこから地方に異動だ」
何らかの任務で失敗したことは分かった。ただ失態を犯したにしては目の前の警官はどこかスッキリした様子で鼻をフッと鳴らしていた。
「だが、そんな身の上話は今度でいい。吾は君に謝りたくてここに来た。…この間は悪かった。突然、銃を突きつけてしまった。完全な吾の早とちりだった」
警官は先ほどまであった僅かな朗らかさの代わりに顔を引き締めると、両手を机に突いて深々と首を垂れた。
俺は口を戦慄かせつつも声を出す。一方的に彼が悪いわけではない。あの場に居合わせた俺にも非はあった。
「あ、頭を上げてください。お、俺も悪いんですから。廃工場に無断で入って…奥の方まで行って…。あの状況だと首謀者と思われても不思議じゃありません。それにスタンガンも使ってしまいましたし…」
初めこそ口角が強張っていたが、言葉を紡ぎ始めるとそれは緩やかに動き始める。相手の態度を見て、話し合いになりそうだと感じたことも大きく貢献したかもしれない。
「いや…。それに、君も調べていたのだろう。あの事件…『山神新失踪事件』を」
その単語に息を呑む。『山神新失踪事件』。きちんと命名されている。それは警察が新が行方知れずになったことを認知していることに他ならなかった。
…なら、彼の所属は何処だろう
内側の人間か、外側の人間か。この場合、内側というのは隠蔽に関わったと思しき『公安総務課』と『公安部外事四課』。それ以外の所属なら、外側ということになる。
「すいません。初対面で不躾な問いとは思いますが…あなたの所属はどちらでしょうか」
俺は深呼吸をして気を落ち着けてから、意を決して聞く。もっとも、これは確認だ。俺に寛大な処置をしている以上、隠蔽を計る組織に属してはいないだろう。
「警視庁、公安部、外事二課。だが、さっきも言ったが、『謹慎中』だ。直に所轄に送られることを考えると今は『無所属』というのが妥当だろう。後輩からこの事件のことを聞いて独自に調査をしている」
俺は彼自身の身元を得ると警戒を緩めた。そして、俺の中で一つ辻褄が合う。あの廃工場で起こった一瞬の…されど致命的な認識のズレだ。俺は頭で内容を纏めると口を開いた。
「一つ確認を。あの廃工場で起こったことです」
警官はまだ話を続けるつもりのようで口を開きかけていたが…察しがいいのだろうか。すぐに口を噤むと頷きだけを返してくる。
「あの隠し部屋で出会った時、俺は『警官』という言葉から『事件の隠蔽を目論む公安調査員』と推察し、あなたは『俺が部屋にいた』という事実から『山神新の拉致を計画した首謀者』と疑った。——この認識で間違いないでしょうか」
「ああ。結果、互いに誤解したまま戦闘になった。そして、吾は後日の調査によって業平くんが独自に事件を追っていたことを知り、君は吾が今ここで語ったことによって真実を知った」
男は俺の説明を補足するようにして言葉を紡ぎ、俺たちの誤謬を詳らかにする。
「つまりは俺たちは同志だ。これまで互いに独自調査を今日日まで積み上げてきたこともある。業平くんの時間さえいいなら、軽く情報を共有しないか」
警官は腕を顔の前にやって腕時計を見るとこちらに視線を送る。
思わぬ提案だった。警察だからこそ入手できる情報と俺の手持ちを吟味すれば、新たに判明することもあるかもしれない。ただ『共有』というのが一方的な調査協力になっては俺に実りがない。そこで一つの条件を提示することにした。
「分かりました。『そちらの内部情報のほぼをこちらに開示する』。これが飲まれるのであれば、俺は全面的に協力します」
男が不敵な笑みを湛えた。それは不気味なものではない。捜査の進展を期待する純粋な感情がありありと映されていた。この事件は隠されていた。いくら警察と言えど、調査が立ち行かなくなることは容易に想像できた。
その時だ。
「お待たせいたしました〜。こちらクリームグラタン。こちらはトマトパスタ、最後にキャロットラペとなります。ご注文はお揃いでしょうか。では、ごゆっくりどうぞ」
本格的に話に入る間際、初めに注文しておいた料理が卓に届いた。店員といくらかやり取りをした後、会話を再開しようとする。
しかし、不可抗力とはいえ話の腰を折られた俺は口篭った。どのように話を始めたものかと逡巡する。目上の人と話すのはいつまでも苦手だ。取り繕うことも出来るが、ふとした時にボロが出る。昔より交友関係は広くなったが案外、根っこの部分は『根暗少年』のままなのだった。