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百六十三記_交錯

 ——ニ〇ニ四年、七月二十五日、ラビリンス『???』

 地を踏みしめると土の匂いが香る。俺は低木を越えると身を隠せるほどの太い木の幹に身を隠す。それを背に顔を覗かせると目線の先では茂みが倒され、巨大な蛇が現れる。

 …くそ

 コブラのような見た目をしているがその体長は十メートルを優に超える。全体的に動きはノロノロとしているが、攻撃範囲内に入った時の瞬発的な速さは脅威だ。実際、不用意に索敵範囲に入ってしまったために今、追われる状況になっていた。

 初撃を避けられたのは勘だった。ただ一口に勘とは言い切れない。『ラビリンス』で戦闘経験を重ねるごとに確かに鋭敏になっている気がするのだ。

 俺は屈み、ゆっくりと呼吸し全身を限りなく弛緩させて息を潜める。手には初戦時に手に入れたリザードマンの尾椎を加工した短刀。切れ味は折り紙つきだ。あの日以降、硬い皮膚をもつ甲虫との戦闘があったが、その時は装甲ごと紙切れの如く切り裂いてくれた。純粋に使い勝手もいい。金属ではないため、軽いのだ。

 刹那、黒い影が差した。…頃合いだ。

 俺は隠れていた木から飛び出し、巨大コブラの目に身を晒す。すると怪物の顎門があんぐりと口を開け、視界がブレた。瞬間、俺があった木の裏に大穴が作られる。

 驚異的な膂力。しかし、その巨体が仇となった。見えてさえいれば動きの予想は容易い。攻撃地点から半歩横に陣取って最小の動きで回避した俺は跳躍。大蛇の丸太のような首に骨刀を突き刺し、巨体を足場に飛び降りる。着地して振り向くとドスンという衝撃が足を震わせた。丁度、円を描く要領で肉を断ち切られた頭が自重に耐えかねて落ちたのだ。

 俺はコブラの絶命を確認すると左腰に武器を納刀し、一息ついた。

 …随分と手慣れてきたな

 あの時からすでに一週間が立った。学校から帰るや否や、この世界の探索に漕ぎ出す。土日はほぼ一日中だ。おかげで分かったことも多い。

 一つ、『扉』は双方向ランダムの場所に開かれること。

 初めての時は碌に知らず、この世界に踏み入れてしまったが、ある日、いつもの洞窟地帯ではなく木漏れ日が差す森に繋がり…もしやと思ったのだ。それを機に調べてみると洞窟の割合が多いが、時折『森』や『湖』、『山岳地帯』や『砂漠』に開くことが分かった。

 それからは明るい場所を優先的に探索するようにしている。やはり、視界が効くというのは勝手がいい。

 一方家に帰るときは自宅から四十キロ圏内の何処かに転移する。一番遠かったのは初めの『霞市』。真反対に当たる『弥生市』に飛ばされたこともある。ただ関東圏の外に開くようなことはない。

 この世界に帰ってくる時、誤差程度で済んでいるのは『扉を開く場所の具体的な地理が分かっているかどうか』というのが一つの仮説だ。ラビリンスも解像度が上がると同様の転移が可能になるかもしれない。

 …最も、あの世界がどれほど広いか見当もつかないんだが

 この世界と同程度であるならば、人一人の測量で全容を知ることは事実上不可能だ。

 ただそこを俺は問題にしてはいなかった。

 『ラビリンスには人類がいる』

 それは日記から推察できることだった。日記のラテン文字。『ロサイズム』という組織、加えてあの隠し部屋の装飾。文字に集団、文明。人類を提起する基礎だ。どのような形かは不明だが、人類は確かに存在する。

 俺の目的はそれらに邂逅することだった。故に地理的云々は二の次なのだ。一度、元の世界に戻るとリセットがかかるのは痛手だが、一度でも接触しこの世界のことを深める。それがロサイズムを知り、延いては新の行方を知ることにも繋がる。俺はそう考えていた。

 …今日はもう時間か

 俺は残りの活動時間を確認しようとスマートウォッチをタップする。この世界に太陽の運行はない。明るいところは白夜のように明るいし、暗い場所は常に暗い。洞窟になってくると言わずもがな。もしかしたら昼夜の概念がある領域もあるのかもしれないが、俺は生憎、遭遇したことがない。また、時間感覚が当てにならないのでこうして電子機器に頼ることになる。

 俺はいつものように口上を唱えると『扉』を潜って元の世界に戻った。


 …今日は——っと

 出たのは人通りの少ない歩道脇だった。横には四車線もある道路。乗用車やトラックが忙しそうに往来している。

 スマホを起動しなくても現在地はすぐに分かった。そこはよく行くショッピングモールの近くだったからだ。併設された駅で電車に乗って二駅もすれば、家の最寄り駅である。

 …今日はラッキーだな

 俺は人目に付かないところへ行くと探索用の装備…サバイバルナイフやリザードマンの骨刀、懐中電灯など一式をリュックの中に放り込む。防具として重宝しているテックジャケットの腕を腰で結ぶとショッピングモールへ向かって歩き出した。

 この時、俺は忘れていた。いや、忘却していた。それはどうしようもないことだったからだ。

 そして、その瞬間は突如としてやってきた。

 電車を降り、最寄り駅から住宅街に至る唯一の道に差し掛かった——その時。

 「安藤業平だな」

 その声を聞いた瞬間、怖気が走った。一週間と少し前、廃工場で聞いたあの声だった。

 ありありと蘇るのは隠し部屋での出来事。銃を構える警官相手に不意を突き、這々《ほうほう》の体で逃げ出したあの出来事だった。

 足が(すく)む。背で一歩一歩迫る気配を感じる。動かない。動けない。ただ絶望感だけが加速度的に増していく。


 ——終わった


 これまでが走馬灯のように過ぎる。何の情報もない所から始まった。先生の協力や周囲の聞き込みで事件現場の『廃工場』にたどり着いた。そこで手に入れた手記を元に異世界『ラビリンス』とこちらとの往来を開始。最近は、ようやく人を恐れない化け物どもとの駆け引きにもなれ始め、いよいよ本格的に探査開始という頃合いだった。

 …くそ

 名前が露呈している以上、身辺情報は洗われていると思った方がいい。裏どりが出来たからこうして直接、現れたのだろう。それに間も悪い。今は異世界帰り。リュックの中には骨刀を始めとした異界の採集物、ナイフや電灯、ロープなどの必需品。物証も揃ってしまっている。

 脳裏は錯乱し、思考は身を結ばない。逃げるという選択肢すらすでに失われていた。

 トン。

 よく鍛えられた人特有の皮の厚い手が肩に触れる。万事休す——。

 しかし、彼の口を突いて出た言葉は予想だにしないものだった。

 「この後、時間あるか?駅前のファミレスで話をしたい」

 それに対しての俺の答えはこうだった。今思えば、動揺が一周回ってまともになっていたのだと思う。

 「ええ、わかりました。その前にシャワーを浴びてもいいですか」


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