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百五十八記_大鼠

 …なんだあれ

 虚空に近づいた刹那、その穴の中から何かが飛来した。反射的に体との間に腕を差し込むと、脳にチリリと痛みが走った。思わず俺は顔を歪ませる。何とか開いていた右目に映ったのは体長二十センチはありそうな鼠だった。分厚い前歯がジャケットに深く食い込んでいる。運が良かった。『日記』の解析にかまけるあまりに上着を脱ぎ忘れていたのが幸いした。

 …どこから入った

 それは明白だった。しかし、問わずにはいられなかった。部屋に突如として現れた虚。その中からこいつはやってきたのだ。脳裏で状況を理解しても因果は不明だ。

 幸い、俺の体は適切に動いていた。こうして思考にける間に壁に勢いよく突進し、前腕と壁面でもってラットを圧する。闖入ちんにゅう者はそれに耐えかねたのか、俺の腕から口を離すとストンと床に落ち、その四足で素早く動き始める。

 部屋にある家具に飛び移るごとにガシャンガシャンと物の落ちる音が響く。窓を開けたが逃げる様子はない。縦横無尽に動く小動物とことある毎に双眸が交錯する。

 なるほど。俺はあいつの獲物というわけだ。

 状況はともかくやるべきことができた。そう、アレの拘束、もしくは殺害だ。いや、殺害だ。今の俺に捕えるほどの技量も設備もない。結果的に虫の息での捕獲はできるかもしれないが、殺す気でいかないとやられる。

 脳裏で考えがまとまると俺は一息ついた。半自動的に迎撃していた体と意識が一体となる。俺はラットに視線をやりながら、目端であるものの場所を確認する。それはこの部屋唯一の武器だった。

 …。 ………。  …。

 目まぐるしく眼球を動かし、ラットを注視する。そうして数瞬、いや数分だろうか。ラットの攻撃を受け続けるうちにリズムが掴めた。それに確実に死角から突貫してくる癖があることも分かった。

 …今!

 相手の行動のリズムに従い、意図的に死角を作ると、ここぞとばかりにラットはすっ飛んできた。

 だが、それは俺の間合い。近くのペン立てからカッターナイフを引き抜き、即座にネジを回してブレードを煌めかせる。床に叩きつけながら、刃を深く突き立てる。

 初めこそ、キーキーと鳴き声を発していたが、やがてそれもなくなり倒れた。

 「はぁ…はぁ」

 息が荒い。余程、集中していたのだろう。全身が弛緩していくのを感じる。俺はその場で座り込んだ。すると部屋の外からドタバタと音がした。扉が勢いよく開け放たれ、両親が入ってくる。

 「…窓からでかいネズミが入ってきたんだ」

 あの歪みのことは隠し、それ以外は事細かに話す。不幸中の幸いか。ラットが暴れ回ったおかげで捜査資料はぐちゃぐちゃになり、部屋の様子に関しては『ここ最近、調べ物をしていた』という一言で両親は納得して寝室へと戻っていった。

 …これは認めなくちゃいけないな

 徐に部屋の端に目を向ける。そこにあったはずの『虚』は無くなっていた。だが、部屋の様子がこれまでが現実であることを肯定する。

 あの『日記』は嘘じゃない。異界『ラビリンス』は存在する。

 俺はすぐに試した。

 『アトラスの紋章よ、天と地を支えし巨人の力を持って他の世界へ続きし扉を開け』

 机の上からトランプカードを手に取ると宙を差し、詠唱。すると人差し指と中指で挟み持つカードから少し離れたところに黒い点が現れる。それはみるみると大きくなり直径二メートル大になった。

 穴から見える景色は先ほどより鮮明だ。濃紺のゴツゴツとした岩肌が広がっている。しかし、見渡せるというほどではない。中は相当に暗いようで部屋の明かりは周囲を僅かに照らすだけに留まっている。

 だが、それ以上に危惧すべき事態があった。

 …さっきとスケールが違う

 ラットが飛び出てきた時は直径四十五センチくらいだったはずだ。正直、怖い。鬼が出るか、蛇が出るか。何も予想がつかない。不足の事態に対応する用意もない。

 …閉じろ、閉じろ、閉じろ、閉じろ…!

 アトラスのカードを挟み持つ手にどんどん力が篭っていく。それは腕から逆流するように全身を駆け巡り、全身を床面に固定する。

 …閉まれ、閉まれ!

 その時だった。眼前に広がる穴の外縁部と手を中心とした力の奔流が一体と化すような錯覚を覚えた。何を思ったのか俺は突き出した腕を右方向に捻り始める。すると急速に『扉』が小さくなり始めた。そのまましばらくすると元の俺の部屋に戻る。

 「ふー…、ふー…」

 体を地面に伏せ、肩で息をする。全身は汗に塗れていた。

 …焦ったぁ

 今回はラットのような動物と鉢合わせなかったが、『門』を開けた時に近くに猛獣でもいれば俺は万事休すだ。

 俺は再び扉を開けるのは用意が整ってからと決め、部屋の片付けを始めた。このままでは寝れやしない。最早、使い物にならなくなった紙の束をゴミ袋に入れていく。粗方整理がつくと一つの問題に当たった。あのラットの死体だ。困ったが、どうやら家庭ごみで出せるようで事なきを得る。そうして一帯を片付ける頃には朝日が登り始めていた。

 …まいったなぁ

 俺はため息を溢す。今日は…いや昨日は日曜日。すなわち今日は学校だ。

 …あと二時間は寝れるか

 スマホの画面を見てそう判断した俺はベッドに突っ伏した。廃工場の探索に、警察官との遭遇。『日記』の解読にラットとの戦闘。壮絶な日曜日はかくして幕を下ろした。

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