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百五十六記_超越した才能

 「…警察だ。直ちに両手を上げて、その場で屈め」

 突然の来訪者の言葉に絶句する。有無を言わさぬ冷ややかな声。俺は言い表せぬ恐怖に襲われるまま両手を肩より上に上げ、膝をついた。半ば持ち上げていたリュックがドサリと音を立てる。

 …マズイ

 すり足で迫る足音に息を呑む。脳裏はすぐにこの場をどうするかという濁流に支配された。

 …素直に話すか

 否だ。この場にいる以上、密偵の可能性が高い。もしかしたら、工場内に小型カメラが仕掛けられていたのかもしれない。…いや、それにしては遅すぎるか。

 仮に偶然居合わせた警官だとしても、俺にはどうしようもない。この場にいるという事実が『不法侵入』の現行犯それにスタンガン所持で『軽犯罪法』も適用される。この場で抵抗すればさらに『公務執行妨害』も重なる。だが、俺自身が警察に勾留された時点でこの事件はほぼ終始する。この事件の迷宮入りを目論む組織…おそらく『警視庁公安部』により手の込んだ工作をされて、仕舞いだ。俺は新失踪の真実に辿り着けないまま、終わる。

 生きて…いや、死んでいるかもしれない。それでも何も知らずに終わるのは勘弁だった。

 歩夢ちゃんの時は『体調が悪い』の一点張りで新から彼女の容態については隠されていた。当時の俺はただ彼らの後ろをついて行くだけ。弟分のような立ち位置だった。だから、新は俺に気を遣って何も伝えなかったのだろう。俺も深くは踏み込まなかった。

 ただ歩夢ちゃんが死んだと知った時の無力感は想像を絶した。残された時間を幾重にも共有すればという後悔は今なお抱く。だから、知らず終わるのは、何もせずに終わるのは嫌だった。例え、それが最良の結果に終わらなかったとしても。

 足掻く。

 足掻かねばならない。何より自分自身のために。何もせず傍観を決め込んでしまった『僕』を払拭するために。そのためにここまで進んできたのだ。

 …何とかしてこの状況を打破しないと

 着実に近づく足音を背に耳で周囲を探る。音は幸い一つ。こちらを警戒するように一歩ずつ。リズムは不規則だ。常に同じ方の足を出しているのだろうか。それに音自体に若干の違いがある。それはやや変重心であることを示していた。

 …こちらに拳銃を構えながら、向かって来る

 俺が出した結論はそれだった。焦りから腰元に装着されているスタンガンに手が伸びそうになる。しかし、今ではない。至近距離ではなく、『超』至近距離まで引き付けなければ。素振りを見せようものなら万事休すだ。

 額を始めとして、全身に嫌な汗を掻く。極度の緊張状態。全身に糸が纏わりつき、体勢を固定されたような錯覚を覚える。ピンと張られた糸。指の一関節でも動けば、停滞はほどける。装備も技能もあちらが上。拘束は必至と言ってもいい。ただ一抹の勝機は残る。

 …タイミング

 針に糸を通すような絶妙な好機。それを逃さなければ万が一は有りうる。

 スチャ………

 その時だった。後頭部に何かが押し付けられた。ジャケットのフードを貫通して冷ややかな感覚を覚える。

 「何者だ。ここで何をしていた」

 「……。……。」

 その後、すぐに左後方から何かが近づく気配を感じとる。それがフードにかかった瞬間。

 …今

 俺は頭を僅か後方にずらして、振り抜いた。硬い感触が脳を震わせる。だが、俺はそれに構うことなく、腰元のスタンガンに手を伸ばし、逆手で引き抜いた。すぐさま体を反転して警官と相対。銃口が俺の方を向き、トリガーに指がかかっているのが見える。刹那湧いた逡巡を奥歯で噛み殺し、俺はその首元に電撃を叩きつけた。

 バチッ!

 痛烈な音と光が響く中、俺は相手に体を預けるようにして馬乗りになる。完全な無力化まではおおよそ『五秒』。当て続けることが何より重要だった。

 はぁ、はぁ、はぁ。

 五秒。いや、十秒は経ったのではなかろうか。分からない。相手は気絶し、目の前で伸びている。それを認識した瞬間、緊迫した雰囲気は急速に弛緩した。押し付けられた腕はだらりと下がり、どっと疲れが込み上げる。

 …帰ろう

 俺は足早にその場を後にした。相手がどれだけ行動不能になるのかは未知だ。それに事を起こしてしまった以上、俺には時間がなかった。


 *  *  *


 「ん、ああ…?」

 背中から伝わってくる冷たさで目を覚ます。ゆっくりと体を起こすと首筋にヒリリと嫌な感触がした。それを発端に次第に記憶が明瞭になり始める。即座に腕時計に目をやると突入から二時間も経っていた。空には夕焼けが広がっている事だろう。

 今から追った所でどうしようもない。おれは諦観を胸に大きく息を吐いた。

 …あの少年は一体

 電撃が走る最中、一瞬だけ目があった。その時、伝わった印象が『少年』を思わせただけだ。もしかしたら、少女かもしれない。年若いのは確かだった。

 …存外、肝が据わっている

 ここを基地にしていた人間か、部外者か。それは断定できない。ただ『警察だ』という言葉に反応したのを見るに何かやましい事がある人物には違いなかった。

 それにしてもあの動きだ。動作自体は明快なもので何の捻りもない。普段なら確実にこちらが拘束出来ている手合いだ。

 …なぜおれは捕縛できなかった?

 確かに銃身を頭でかなぐったのには驚いたが、その一手で覆せるような差ではなかった。実際、銃を発砲しようと銃口を向けたのだ。スタンガンは脅威だ。ただ俺の目算では発砲の方が電撃より僅かに早く起こるはずだった。スタンガン自体の奪取も可能だった。

 心理的にも問題はない。人など何度も撃っている。迷いはなかった。

 だが、結果はどうだ?

 おれが倒れ、相手は逃げ延びた。

 刃傷沙汰にんじょうざたに慣れているようには見えなかった。瞬く間ではあったが、驚いたような表情をも見せた。技量、経験値。双方比べるまでもない。

 …いや、もっとシンプルに考えろ

 分析ではなく、直感だ。動きはどうだった?印象は?

 そう考えた時に出てきたのは『とにかく疾かった』という至極単純な回答だった。

 経験を超える速さ。おれも反射神経や動体視力は優れている方だ。それに加えて各犯罪シンジケートに潜入、行動するうちに得た経験もある。

 それを上回る速さとはすなわち…。

 おれはそこで首を振った。あまりに荒唐無稽に過ぎる。それが本当なら相手は人型をした化け物だ。動体視力と反射神経。双方が医学的絶対値を超えているとしか考えられない。

 逸した動体視力とそれに対応する体。おおよそそれは人ではない。

 …お手上げだ

 匙を投げた。圧倒的な才能とは恐ろしい。人が泥水を啜るような努力の果てに得たものを始めから持ち得ている。おれは相手を追う立場でありながら、嫉妬を覚えていた。

 …さて、もぬけの殻だが

 おれの人物については後に捜査すると決め、その部屋の調査に着手した。

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