百五十三記_廃工場探索②
——廃工場内部
視界は一歩、また一歩と進むうちに順応し、俺は工場内を目視した。所々穴の空いた天井のトタンから木漏れ日のように陽が差し、建物内で光と闇が交錯している。一見しただけでも床が抜けていたり、階段が朽ち落ちていたりと劣化は甚だしいものだった。
…相変わらず、というか前よりもひどくなってるな
何せ内部を見るのは五年、いや六年ぶりになる。ここまで滅多な障害もなく進んでこれたのはこの近辺の住宅街、引いてはこの工場跡地に土地勘があったからだ。小学生の頃、公園での遊びの他に街中を使った隠れん坊や鬼ごっこに使われ、工場跡地はそれらの他に少年少女たちの冒険ごっこの舞台となっていた。斯くいう俺たちもここを探検し、何ヶ月もかけて踏破したのだ。
今思えば、いつ崩れるかもしれない古い建物に危機感もなく踏み込むことは正気の沙汰とは思えない。だが、当時は勘定にも入っていなかっただろう。ただ楽しんでいたという記憶だけがある。子供というのは良くも悪くも常識に疎い。いや、「疎かった」だろうか。最近はどうなのだろう。心なしか今時の小学生は大人びていて、聞き分けのいいイメージがある。
…まあ、そんなことはどうでもいい
大事なのはここからだ。新に繋がる手掛かりを得ることができるのか。俺は懐かしさから散漫としていた頭を引き締める。俺は右腰に吊るしていた薄手のグローブに手をかけ、装着し、これまた腰元にぶら下げている四角い懐中電灯のスイッチを入れた。
薄暗闇を光が遠ざける。外縁部は窓枠からの光で照らされているが、中心に近づくに連れて暗闇は深くなっている。場所によっては割れた天井から陽が差し込んでいるが、その光も深くなるにつれて減衰している。
…この様子だと地下は真っ暗だな
俺は思わず後頭部を掻いた。この廃工場は地上一階、地下二階の三階層。上層階から下を見て探索の当たりをつけようと考えていたが、それは出来そうにない。地道にしらみ潰しの形になりそうだった。
…仕方ない
現状に不平を漏らしてもしょうがない。それは俺の手で変えられることではないからだ。
出来ることを着実に。
俺は胸中でそう唱えると、徐に天井に目をやった。瞳に映る視覚情報を元に古の記憶を引っ張り出す。それは新や歩夢ちゃんとここを探検した時のものだった。
…あそこは、ここで。ここは…ああこんな感じだった
俺はジャケットのポケットから手のひら大のメモ帳を取り出すとそれに簡易的な地図を書き起こしていく。しかし、空白も多い。当時は歩夢ちゃんが隊長、新が記録係、俺はと言えば彼らの追っかけをしていただけだ。確か、何処を歩いているのかも覚束なかったと思う。
…ひとまずはこんな感じか
だが、最低限上下階へ続く階段の場所は覚えていた。それを元にルートを組み、下からでも見えそうな場所…主には天井の穴とその方角を地図に書き込む。ここまですれば、現在地に迷うことはないはずだ。
俺はメモを四つ折りにして胸ポケットにしまうと本格的に廃工場探索へと乗り出した。
一階におかしな場所が一ヶ所あった。工場を四分割するとちょうど左上の当たり。そこは周囲より床の鉄板の錆が酷くなっていたり、細かい傷がついていた。傷の方は新しいようでライトで照らすと白銀の反射が返ってきた。踵を中心に擦ったようなそんな傷だ。
中には鉄板を踏み抜いたように凹んでいるところもあった。このような表現をしたのは傷から想定できる靴底とおおよそ似た形をしていたからである。鉄板を踏み抜くなど人の所業ではない。ただ『これが靴の痕である』という俺の読みが正しければ、あるいは。
『警察が規制を実施する少し前、住宅街で金属がぶつかるような甲高い音を聞いた』
俺は辺りを探りながら、近隣の人々の証言を思い出す。もしかしたら、ここを舞台に戦闘が起こったのかもしれない。敵同士の仲違いか、それとも新に助太刀が入ったのか。そこは定かでないが。最も近隣の子どもたちがここで遊んでいた、なんて可能性も捨てきれないが。
…下に行こう。時間は限られてる
俺は腕時計を見るとその場を後にした。俺は今日中に工場内全体を見て回ろうと考えていた。そう何度もここに出入りはできない。どうしても足がつくからだ。良くて後一回か。だが、事件現場は時を経るごとに風化していく。二度目がないほどの手かがりを得ることが理想だった。