百五十記_山神新行方不明事件①
——三日後、三宅宅
ピーン、ポーン
それとなく引越しの準備をし始めたマンションの一室にインターフォンが鳴り響く。
モニターを覗くと体の線が細く、シワの入り乱れたTシャツ、着古されたカーゴパンツにサンダルという野暮ったい格好を絵に描いたような男が立っているのが見えた。
三宅は『通話』ボタンを押し、
「入ってくれ」
一言だけそういうとロビーの開錠を行い、『通話』を切る。
しばらくすると、再びインターフォンの音が鳴った。三宅は念の為とモニターを確認してから、来客を迎え入れた。
「久しぶりだな、山本」
「…入んぞ、三宅」
山本と呼ばれた男はぶっきら棒な調子とともに扉に手をかけ、スタスタとリビングへと歩いていく。その先で部屋を見渡し、ある物を見つけるとそこで胡座を組んだ。
彼の前にあるのは家庭用プリンター。
山本は慣れた手つきで配線や設定を確認。持ち込んだリュックの中からノートパソコンを取り出し、外部記憶媒体を取り付けると早速、印刷を開始した。
家主はそんな彼の無遠慮な行動を咎める様子一つない。それは彼らが見知った間柄であることを示していた。
その時、山本は独りごちた。
「…はぁ。今のご時世に紙たぁな」
「悪いな山本。俺はこっちの方が性に合う」
三宅は手早く準備した紅茶を茶菓子と共に近くのローテーブルに置く。
「知ってんよ。ただのボヤきだ。一々反応すんじゃねえ」
山本が茶器に手をつけながら、一点を見据える。視線の先にあったのは脚付のホワイトボード。それが二台。大きなボードの左端には『山神新行方不明事件』と書かれている。
捜査資料のコピーや写真がマグネットで貼られ、その横には事実や類推、可能性などがびっしりと連なっていた。
…よくもまあ、少ない資料でここまで当たれるもんだ
山本にとっては見慣れた光景だが、それでもなお舌を巻く。警察官は本来、捜査本部で多くの仕事を行う。仕事が過多なら泊まり込みが普通だ。なら、何故わざわざ自宅にこんな設備があるのか。
それは『捜査本部の指針では棄却された小さな可能性さえも考慮に入れた捜査』をするためだ。組織である以上決まった方針に逆らうことは不可能に近い。だから、三宅は帰るふりをして別の線の捜査をする。知る人ぞ知ることだが、この個人主義が三宅を『探りの三宅』たらしめていた。
「おい、急に黙ってどうした?山本。印刷はとっくに済んでるぞ」
山本の頭の上ポスッと紙の束が落ちる。彼がそれをズラすとはにかむ三宅の顔が視界に入った。普段は冗談混じりでもこのような行動に出ることはないため、少し気恥ずかしさが表情に籠っていることが山本にはわかった。
…恥ずかしがるくらいならやんなよ
山本は鬱陶しさを感じながらも吝かであるように感じ、短く息を吐いて意識を切り替える。
「情報共有さっさとな。あんまり居座ると公安警察に怪しまれる」
彼はノートパソコンをプリンターから外すと三宅と共にリビングテーブルについた。
* * *
「まあ、大方予想がついてるとは思うが、この捜査にあたったのは公安だ。担当は『公総』と『外四』の合同部隊。初動の速さも気掛かりだが、配備された人数も常軌を逸してる。たかが少年一人の失踪でこれだけの規模となるとマフィア化しつつある暴力団の息子か、新興宗教とか過激派環境団体とかに深く関わりがあるとかが常套だが…」
「ことはそう単純じゃない」
「…そうだ」
吾は山本の説明に反応する。それは確信できることだった。後輩はわざわざ閉鎖的な空間に呼び出し、紙に印刷して渡してきた。さらには山本も持ち込んだパソコンとプリンターとを『有線』で繋いでいた。…内内で動いているのだ。
「山神新が白なら、他はどうだ。どうやら彼自身は交友関係が狭い。現在は昔馴染みの安藤くん、引き取った政治家の叔母。あの子を含めると三人か。刈谷歩夢。四年前に友人が一人亡くなっているが…」
吾は思わず、口走る。それはここ数日で知り得た情報だった。彼の通っている学校近辺で聞き込みを行ったのだ。市街の学生アンケートや地域の清掃員などを騙り、たわいない会話から少しずつ件の少年のことを聞き出した。
曰く、彼は長期の体調不良ということになっていた。行方知れずということは秘匿されていた。初めは生徒たちへの配慮か、と思っていた。しかし教員に対して話題を振ると露骨にこちらを訝しんできたことから、何らかの圧力が働いていることが容易に想像できた。
「…ビンゴだ、三宅」
いつの間にか立ち上がっていた山本がホワイトボードから写真を取り外すと、机の上を滑らせてきた。それ指で受け止めると一人の少女の顔が現れた。
刈谷歩夢。故人の少女。
「何故かは不明だが、その少女は公安に徹底マークされていた。中を調べたらかなりの量の『秘撮』や『秘聴』のデータが見つかった。死後は世話係だった外国人『シャーロット』、緊密な関係を築いていた『山神新』もその対象になっている。…それが初動から警視庁の公安が入り込めた理由だろうな」
…なるほど
吾は納得する。それなら、事件が起きて現場に急行できてもおかしくはない。おそらく交代の監視係が現地の…千葉県の公安課に連絡をとり、一帯を封鎖。その後に腕ききの捜査員たちが導入されたであろうことは想像に難くなかった。
…いや、それはおかしい
そこで吾は思い至る。山神新が雲隠れしたにしても、何らかの事件に巻き込まれたとしても監視している公安職員が動き出すはずだ、と。少なくとも『行方不明』という結果には終わらないはずなのだ。ただの高校生が公安の監視網を潜り抜けられるはずもない。
「浮かない顔だな。いや、お前のことだ。事の矛盾に気づいたか」
顔を上げると山本はほくそ笑むようないじらしい笑みを湛えていた。吾の視線に気づくと彼はパソコンに差し込んだイヤホンをこちらに差し出してくる。
吾は席を立ち、無言でそれを受け取ると同時に画面を見やった。山本は準備ができたことを確認するとトラックパッドを操作する。すると音声が流れ始めた。
『…コチラ、ウラシマ。監視対象、変わりなし。キタカタ、どうぞ』
『…キタカタ、了解。監視対象が帰宅した後、朝を迎えるまで護衛せよ』
…護衛?
引っかかる言葉だ。尾行ではなかったのか。では彼は、山神新は何から守られている?
その答えは刹那、訪れた。
ガンッ!『ザザッ…ザザザザ』
無線機が強く地面に打ち付けられ、ノイズが走る。
『…イトジイシト、イトシイジト』
かろうじて捜査員がマイクのボタンを押したのだろうか。小さくはあるが、誰かが呟いている。瞬間、硬いものが軋む音と共に痛烈な声が耳を突いた。間違いない。首かどこかは定かでないが、捜査員は何者かに危害を加えられている。
『あーあ、静かにって言ったろ。簡単な命令も聞けないのか、この木偶の坊は』
しばらくして音が止むと軽薄な声色が響く。
『はいはい、終わり。後二人だったかな?早くヤってしまおう。な——』
そこで無線は途切れた。