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紋章都市ラビュリントス *第四巻構想中  作者: 創作
シャーロック・インシデント/第一幕_彼と少女と少年と
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百四十七記_エージェント0

 ——放課後

 授業を終えて、帰りのHR。それが終わるとやれ部活、やれ帰宅。と十五分もしないうちに教室は閑散となる。ゆっくりと帰宅の準備を終えた俺はスクールバックの口を閉めて誰もいなくなった教室を後にした。

 …三階端の空き教室ってどこだ?

 校舎は西と東の二つあり、渡り廊下で繋がっている構造だ。

 …どっちも回ればいいか

 何の気なく考える。根岸先生の評判は上々だ。文法に頼らない直感的な英語訳を用いた授業。明るい人間性、ユーモアもある。勉強に精を出す生徒からは信用を、普通の生徒からは信頼を勝ち取っている。そんな器用な先生だった。

 …ただあの時、耳元でささやいた先生の声には凄みがあった

 いつもの高めで蠱惑こわく的な声ではなく、低くこちらを支配する冷ややかな声色。あんな声を聞いたのは初めてだった。

 …まあ、行きゃ全部分かる

 『あー』だの『こー』だの頭の中でゴネた所で何の実りもありはしない。同じ思考が堂々巡りするだけだ。今は考えるより動くことが賢明だろう。

 螺旋のように続く思考を切り離した俺は足早に空き教室へと向かった。


 「あ、来た来た〜」

 片付いた教室の扉を開くと彼女の視線が向く。

 …はぁ、はぁ

 額から汗が滴る。かなり汗ばんでいるのは一度間違えたからだ。二分の一を外してこのザマだ。何やら大事なことを聞く前に貧乏くじを引くとは縁起が悪い。

 「いや〜、よかったね。安藤くん。私より後に来たからクーラー入ってるよ〜」

 根岸先生はエアコンの方に体を向けながら、片手を扇いでいる。『先生』という立場にもかかわらず、机を尻に敷いて寄りかかっていた。

 …俺、別校舎から来たんだけどなぁ

 心中そう思いつつも、おくびにも出さない。別に先生はそんなに悪くない。強いていうなら…この気温だ。七月にもなっていないのにだる。普段から運動量が多い身でもきついのだから、普通の人はそれ以上だろう。

 俺は瑣末さまつなことを考えながら、教室全体を見回す。すると整然と縦に並ぶ中、一組だけ向かい合わせになった机を発見した。

 …あれに座れってか

 適当な机の上にバックを置いて席に着く。

 「えー、もうちょっと涼もうよ。安藤くん」

 本当にバイアスを外せば、普通の生徒だ。先生は年若いし、童顔。ただそれでも先生と慕われるのは生徒が求める先生像を体現しているからだろうか。

 先生は渋々といった様子で反対側の椅子を引いて腰掛ける。

 早々だった。

 「それで、安藤くん。どこまで知ってるの」

 その言葉が指すことは容易に想像できた。

 暑さで虚ろになっていた彼女の目は冴え、よく開かれた瞳には俺の姿がはっきりと映し出される。吸い込まれそうなそれに俺は内面まで見透かされているようなそんな錯覚を覚える。

 しじまの間。硬直した俺をじっと見た先生は前屈みの体勢を起こすと再び弛緩した。

 「…いや、知らないか。でも、君の持っている情報だけでももう少し具体的にできるよ」

 その言葉は根岸先生がここ二週間の俺の行動を知り得ていることを示唆していた。

 …この人は一体何なんだ

 当然の疑問が生まれる。それを問おうと先生を見据えた刹那、彼女は口をすぼめて人差し指を立てた。それと同時に彼女を中心として空間が軋む。


 『それ以上は踏み込むな』。


 こちらを勘繰るような表情からはそう感じ取れた。俺が雰囲気を汲み取ったことを悟ると先生はすぐさま鋭い気配を引き戻し、場を弛緩させる。

 すると話は本題へと立ち戻った。

 「話を戻そうか。条件その一、失踪前後の山神くんに変化はあったか」

 …ない。新と関わりのある人に話を聞いても分かったのは『いつも通り』ということだけだ

 「条件その二、行方不明届が出されているにも関わらず、県警に動きはない」

 …そうだ。確かに行方不明届が受理されたという話は聞かない。それに個人の失踪と届出という条件が揃っているにも関わらず、週刊誌やワイドショーを始めとするメディアに動きがない。

 『県随一の進学校に通う高校生の謎の失踪』。

 報道するには格好の的のはずであるのに、だ。

 「条件その三、一週間前のとある日の夜に不審な車が何故か校舎裏手に止まっていた」

 …スモークが異様に濃い車。条件二を踏まえると何らかの隠蔽の線も見えてくる。偽装された警察車両の可能性もあるか

 「…新は受動的な何らかの要因によって失踪。連れ去られた、もしくは自己意志によって姿を消した。そしてそれは警察としては都合の悪いことで手ずから隠匿している…?」

 「良い読みだね、安藤くん。ほらね、少しは情報が具体化されたでしょう?状況には意味がある。()()()()()()()()()()()()()()。覚えておくといいよ」

 先生は俺の呟きを肯定しながら、より抽象的なことに言い換えて諭す。そのまま彼女は言葉を続けた。

 「安藤くん、最近この辺りで警察絡みで不審なことはなかったかな?」

 それをきっかけとして沸き立つのは二週間以上前の深夜の光景。何台もパトカーが駆けつけ、規制線が貼られ、複数の制服警官が人払いに当てられていたあの光景。

 「それだよ。あの街区には新くんも住んでる。辻褄は合いそうじゃない?」

 根岸先生は俺の思考が帰結するのと時を同じくして言葉を紡ぐ。考えが誘導されているようで気味悪く感じたが、一方で先生の洞察力に驚愕していた。話の筋は通っている。その視点を持って調べ直してみる価値はある。しかし、俺は二の字を踏んだ。

 「一般人で本当に真実まで辿り着けるのか」

 心中を射抜かれた俺は反射的に顔を上げる。

 「顔に書いてあるよ。この二週間成果が上がらなくて自信を無くしちゃったのかな」

 先生は俺からの返答を待つように口を閉ざす。俺は話の内容を反芻し、事に恐れを抱きながら、言葉を零し始める。

 「…そう、ですね。それに先生の推測が正しければ、俺がこれから相手にするのは警察。…国家権力です。今まで知らなかったから動けました。けど…」

 どこか尻込みする自分がいた。確かに新の事は大事だ。例え、国家を相手取ろうとも探し出すという気概はある。

 ただそれだけじゃない。胸中には余りある不安が生まれていた。それはこの二週間で、たどり着けたはずの推論に独力で至れなかったという不甲斐なさもあった。この体たらくでやり抜けるだろうか。国家が隠したかもしれない秘密に至れるのだろうか。

 俺はただの学生で、思慮深さも経験もお粗末…。

 「市民探偵」

 思考の螺旋に苛まれそうになる中、眼前の先生は凛と声を響かせた。

 「海外そとではそう呼ばれる人たちがいる。意味は言葉通り。『市民の探偵』。個人で活動して、時にはFBIが投げ出した事件の全容を解明する人、それに隠蔽されていたことを暴き出す猛者もいる。ジャーナリスト宜しくね」

 その言葉に俺は僅かながら興味を惹かれる。目端で好奇心を示したことを読み取ったのか。先生は口元をクイと上げて、宙で人差し指を回しながら話を続ける。

 「まぁ、反面、問題も多いんだけどね。まあ、私が言いたいことはそうじゃない。個人の執念というものは案外馬鹿にならないものなんだよ」

 『分かるかい?』そういうように先生は片目の眉を上げる。

 感覚的には釈然としない。本当に公的権力を個人が相手取ることができるのか。やはり不安だ。しかし、世の中には常識から逸脱したもの、幸運や奇跡といったものは存在する。

 堅実な行動が運を運んでくることは確かにあるのだ。

 俺は先生の話からそれを思い出した。

 それを踏まえると可能性に賭けるのは悪くない。後は踏ん切りをつけるだけだ。俺はじっと瞳を閉じて考えて始める。未だ払拭出来ない恐れと新を天秤に乗せ、思案する。

 心は二つの間を揺れ動く。臆病な性格が後ろ髪を引く。大事な友人。それの事実がまごう事はない。それでも…。

 恐れを紐解いていくとより明確となる。俗世の偏見というものだろうか。日本人として暮らすうちに無意識の中で編まれる『普遍性』。それが俺の決断を妨げる。

 『逸脱するな、丸く収まれ』

 その集団意識が心を掻き乱す。

 瞬間、脳裏に星が瞬いた。

 『業平、新のこと宜しくね』

 幻聴だったのかもしれない。脳を突いたのは爛漫の少女、刈谷歩夢の声だった。

 …ああ、そうだ

 俺は…いや、僕はすでにかけがいのない『大切』をすでに失っている。残った一つを失うわけにはいかない。絶対に守り抜かねばならない。

 はかりは振り切れ、崩れ去る。俺は決意を胸に瞳をカッと見開いた。

 「…分かりました。出来るとこまで…。いや、新は俺が見つけ出して見せます」

 断言すると先生は微笑を浮かべる。

 「なんかごめんね。こっちから指図するような感じになっちゃって…。でもありがとう、安藤くん。山神くん…新くんのこと頼んだよ」

 彼女も彼女で思うところはあったらしい。ただその言葉には新を慮る心が確かにあった。

 根岸先生は立場上、一人の生徒に入れ込むことは難しいが、それでもことある事に新の様子を伺っていた。歩夢ちゃんの死後、無理しがちだった新の事は心配だったのだろう。

 話の区切りがついたことを察した俺は席を立ち、スクールバックに手をかける。

 こうしてはいられない。ヒントはもらった。

 『六月十七日深夜に起こった事件を調べる』

 後は行動あるのみだ。時間が経てば経つほど物事は着実に風化していく。一分たりとも無駄にできない。ただ、そうする前に一つ(ただ)したいことがあった。

 「先生、根岸先生はなんでここまでしてくれたんですか」

 俺はバックを肩に掛けながら、彼女に問う。

 「んー。私も事の一端は知っているからね。ただ私は事情があって動けない。だから…そう。強いていうなら、君たちへの罪滅ぼしかな」

 天井を見て、少し迷うように声を漏らしてから居た堪れなさを滲ませた。

 「そうですか」

 これ以上の情報を得られないと感じた俺は今度こそ教室を後にした。

 ガララと扉を閉めて空き教室を去り、誰もいない廊下を歩く。

 すると手持ち無沙汰だったからか、思考に時間を費やし始めた。

 先生はこれだけ失踪事件に関しては仔細を述べるのに対し、己が立場とそれを取り巻くことは告げない。もしかしたら、知ること自体が危険なのかもしれない。

 …先生は存在を認知されてはいけない何かとの繋がりがある…?

 それがどういうものなのか、組織なのか団体なのか集団なのか。

 そこで自分の口角が上がっていることに気づいた。不敵な笑みというやつだろう。俺も吹っ切れたのだ。どこの誰が相手だろうと必ず、新の居場所を突き止める。ただその意志だけが胸中で燃えていた。


 *  *  *

 

 …これくらいは許してよ

 私は心のうちで呟く。

 監視対象だった新くんも姿を消した。そもそも重要視されていたのは刈谷歩夢。あの子の方だ。未だに私に彼の監視を強いてくる方もおかしい。

 …悪いことしたなぁ

 回顧するのは遥か昔の記憶。丁度、私が高校生だった頃のそれだ。

 『君、あの子と仲がいいそうだね。私たちに協力してくれないか』

 山神新についての近況レポートの定期提出。服の上からでもわかるよく鍛えられた体を持つ御仁の提案だった。

 報酬は大学在学期間中の必要費用の全てと妹たちにかかる今後の就学費用。こちらの内情をよく調べて上での交渉なのは明らかだった。当時、私の家は貧乏で歳の離れた妹が二人いた。彼女たちの教育のためにも家を出て少しでも多く稼ぐ必要があったが、あの時の私は揺れていた。

 我欲を優先するか、家族に奉仕するか。

 正直、私としては大学に行きたかった。いわゆる『キャンパスライフ』や『モラトリアム』というものに憧れがあったからだ。それに生涯年収も上がるし、選べる職種の幅も広がる。

 『自由』。

 それは高校生の私には魅力的なものだった。ただ家庭の事情を考えると就職一択なのは言うまでもない。それも給与重視で選べる幅はかなり狭い。故にそれらを半ば諦め始めていた。

 そうして、ただ過ぎ行く日常に身を任せるようになり始めたそんな時の提案だった。

 逡巡の末、私はこの取引を承諾した。

 怪しいとは思った。ただ誰も産まれる場所は選べない。それを覆せる可能性が僅かでもあるのなら、『乗るしかない』とあの時はすがるように受け入れた。

 後になって分かった事だが、あの時すでに私の選択権は彼らによって剥奪されていたのだ。

 私が一つ返事で返さなかったら、拉致しようとさえしていたからだ。

 それから速記に町中の潜行に尾行。僅かな情報からの筋読みに瞬間的な状況把握。おおよそ市街で必要な工作員としての技能を身につけさせられ——。

 エージェント。いつの間にか私はそう呼ばれる人々の一員になっていた。

 …おかげで生活は安定した。私は教職につけた

 大学に行って友達と遠出したり、大幅に増えた自由な時間を資格の取得やバイト、それまであまり割けなかった妹の世話も焼けるようになった。

 エージェントになって、人生が上向きになったと言っても過言ではない。

 けれど、私は新くん個人をとんでもなく侵害している。歳の離れた友人としての自分と工作員として彼を監視し続ける自分。その二つに板挟みにされ、日々気をやつしていた。

 だから、私は彼が失踪したと知った瞬間感じたのは『心配』ではなく『安堵』だった。

 もう辛くないとそう思った。すぐさま、反射的な自分の心を嫌悪した。

 そう思ってしまうほど疲れていたのかもしれない。でも、それは間違っている。だから…

 「だから…罪滅ぼしなんだよ、安藤くん。私は世間様が思ってるよりいい人じゃないんだよ」

 誰もいない教室で項垂うなだれた私は独りごちた。

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