百四十二記_託される妄執
——ニ〇ニ六年、八月十五日
アガルタ奪還が成されてから約一ヶ月がたつ。それだけ留まっているのは俺のイデアの休息が必要だからだった。『僕』曰く…。
『イデアの修復には少なくとも一ヶ月かかる。だから厄介ごとには手を出すな』
言われた期間をそのままシャーロットさんや楠木に伝えて同意をとり、この期間はアガルタの復興に手を貸していた。早々に周辺都市の助力があり、新しく居住区が作られて住民はそこへ移住。俺たちもその中の一軒を間借りしている。
「やあ、おはよう」
すると家主が降りてきた。最近は午前遅くの起床が日課。今まで眠れなかったのを取り返すように早寝遅起きを繰り返している。アガルタを取り返したことで精神的過負荷がなくなったようだった。
「おはよ、バロン」
「アレ?何処かに行ってきたのかい」
一階の居間にある長机には所狭しと食料や備品が並べられている。それを見ての言葉だろう。丁度、今から分別して『回収の紋章』に入れ直すところだった。
「買い出し。…今日の午後にはまた旅に出るから」
作業を始めながら、彼の問いに答える。
「そっか。そうだったね」
徐に顔を上げると、頭を掻くバロンの姿が目に入った。未だ眠そうに瞬きすると洗面所の方へと消えていった。
しばらくすると俺たちは旅の準備を終えた。食卓には合間にバロンが作ってくれた「香辛料マシマシの白身魚のパスタ」。それを食べて、家を出る。しかし直接、門には向かわない。その前に寄っておきたい場所があるからだった。
アガルタの王宮だった場所。そこの右側には大きな慰霊碑と無数の石の羅列がある。墓地だった。隷属者となった者、災禍に飲まれた者たちの。勿論、俺が殺してしまった、殺さざるを得なかった人達も沢山いる。推定でも俺は五百人近くを殺している。
強いて良かったのは、凍結封印を施した人が元に戻ることが分かったこと。
戦後、王宮宛に無記名の封書が届いたらしく、その中にレディ・ローズの殺害を仄めかす文面と共に彼女から情報化した『隷属者を元に戻す方法』が記されていたらしい。それを元に日々、隷属者から住民に戻る人は増えている。
…ごめんなさい、助けられなくて
十字を手に慰霊碑の前で悔恨を述べる。強く握りしめた十字がぎりりと嫌な音を立てる。せめてもの贖いとして、全隷属者の凍結の後、ひたすらこの墓地の建設に関わり続けた。今もなおそれは終わっていない。それもそうだ。あまりに死人が多すぎる。
討伐隷属者(推定):三十五万人
凍結隷属者:約五十万人
生存者:レジスタンス保護下:約六千人
独立生存者:約四百人
行方不明者(推定):十万人
これが『アガルタ監獄事変』の生死者数。住民が百万近い大都市で起きた騒乱の記録。
正直、この一ヶ月自分が殺した人の墓すら作りきれていない。許された贖罪すらやりきれていない。けれど、立たねばならない。この都市を潰した元凶は未だ世界にのさばっている。
ロサイズム。そして、ロザ・ペッカートゥム。
あってはならないその二つを滅ぼさねばならない。根絶せねばならない。
「⁉︎お兄ちゃん!お兄ちゃん‼︎燃えてる、燃えてるって」
その時、体が大きく揺れた。我に帰ると右手には消えかけの白き炎。瞬く間に消えてしまったが、それが意味する所は明らかだった。どうやら俺は相当に彼らの所業が頭きているらしい。
「…新。行くぞ」
「ああ」
楠木の言葉に反応し踵を返した、その時だった。
『お、おお…!お、願いします。私の息子にかの災いが及ばないように』
父に、姉に、恋人に数多の怨嗟が鼓膜を劈く。俺のイデアが共有意識のそれと接したのだろうか。ただあの白き炎が何らかの影響を及ぼしたのは間違いない。
『『『あの黒バラに制裁を‼︎』』』
「…分かってる」
俺は脳裏に響くそれを宥めるように呟く。そして俺の核心は作り替えられる。ロザを滅ぼす。たった今、それは一人の人間の妄執では無くなった。