百三十五記_理想と最善
「いいのかい?あっさりと通してしまって」
僕は黒騎士に問う。彼の持つ鎧なら遠隔攻撃の一つや二つ難しくない。つまりは、阻止することは出来たのだ。傲慢か、予断か、はたまた別の要因か。とにかく彼は出来たのにそうしなかった。
「たかが三人通したところで変わりませんよ。それにあの中には化け物がいますから。見せかけの希望も必要でしょう。貴方達はただ絶望に堕ちゆくだけでは足りません。大臣の…サイラスさんの計画を遅らせた付けは払って貰いますよ、レジスタンスには…!」
憎しみを燃やし、見開かれた双眸が僕を貫く。拮抗状態だった僕は黒騎士にGANDごと大きく弾かれ、体勢を後傾させられる。すかさず、彼は深く踏み込み脇に構える両手剣を薙ぐが、間を見て差し込んだGANDに当たり、その攻撃は決定打には至らない。
…相手が愛いから何とかなっているけど、流石にやばいね
僕は衝撃のままに後方に飛ばされ、積み重なった隷属者に身を埋めながら思考を巡らせる。見せかけの隙に今の所誘い込めているから良いものの、鎧によって増強された速さに力。一発が致命打になりかねない。今回も隷属者の山に突っ込んだから無傷で済んでいるが、生きている隷属者に当たろうものなら、状況次第で殺される。
頭で状況を整理しながら起き上がると、目の前には黒騎士が迫っていた。息つく暇もない。振り翳される大振りを転がるようにして避け、立ち上がり様に引き金を引くもそれは虹の障壁によって阻まれる。自己防衛紋章だろうか、便利なものだと僕は感心しながらGANDの構成を組み替える。
『組成の紋章』、『雷雲の紋章』、『暗闇の紋章』——複合紋章『ネペレー』
GANDによって作り出された白銀の銃弾は黒騎士に当たると砕け、白い霧状のものを生み出す。黒騎士は幾度か銃弾を受けると不意に隷属者を刻み始めた。彼にはきっとそれが僕に見えていることだろう。嗾けたそれは、精緻な幻影の中に相手を閉じ込めるためのもの。本来ならかなりの拘束能力を持つそれもあの鎧の前では無意味に等しいと僕はよく知っている。あと一刻もすれば、精神浄化の紋章を持って彼は幻惑から逃れてしまう。
…ただ僕が欲しいのはその一刻さ
僕はGANDの構成を先ほどのものに戻すと、不意にカードホルダーから二枚のカードを取り出した。これから起こることに体から拒否反応を得ながらも詠唱する。
『瞬発の紋章よ。四足の力を宿す刻印よ、荒野を駆ける膂力を我に』
『拡張の紋章よ、我が時を伸張し、多くを観測する力を与え給え』
まず、体が軽くなり、素早さが増す。一方で体感覚は遅くなり、漂う煙の広がりが、黒騎士の動きが急激にゆっくりと感じられるようになる。瞬間、黒騎士は幻夢から逃れ、僕と目を合わせた。刹那、人を超えた速度で剣撃を放つ。しかし、それは当たらない。
黒騎士は違和感を覚えたのか、攻撃を続ける。僕を見据える目からは自身の剣技と鎧の性能への信用が感じられる。相手は攻撃を先読みされているような気分のはずだ。僅かにタイミングがズレて仕舞えば、致命傷。だが、その常軌を逸した回避行動は幾度も続き、時には反撃すらも織り交ぜる。僕からしたら必然。ただ彼からすれば奇跡の連続だろう。予想通り、剣には焦りが見え始め、計略のない分かりやすい剣に様変わりする。
何故当たらない。おかしい。僅かに狂えば、相手は即死。ただその時は決して訪れることはない。…黒騎士はそう感じているはずだ。
なまじ、彼は年の割には剣技が冴えている。大臣の懐刀に成れる程度には頭がいい。故に現況に戸惑う。若さというものは物事をありのままに受け入れようとせず、『理解』しようとするところがある。それが唯一の勝ち筋だった。仮に一般的な…それこそ人間としての全盛期である三十前半の騎士がこの鎧を身につけていたら、対等に見せかける事すら不可能だ。種も仕掛けも考えず、『そうある』前提として全てを組み替えられて仕舞えば、僕の負けは必定だった。
ただ騎士も馬鹿ではない。僕との膠着状態を汲み取るとわざと僕のGANDにその大剣を当て一刀一足の間合いをとる。
…一旦、仕切り直しね。危ない、アブナイ。
動悸が乱れ、呼吸が荒くなるのを誤魔化す。『瞬発』と『拡張』の併用。それは身体能力を加速させ、視覚の動体視力を急速に引き上げて水滴の形態変化までも観測できるようにする。つまり、平常を元にプラス(身体能力)とマイナス(洞察力)方向に能力を引き伸ばす行為だ。当然、脳への負荷は計り知れない。理論としては存在してもできるものはごく僅か。かく言う僕もこの数瞬の攻防だけで満身創痍だ。感覚のチグハグさが各所に不調をも齎していた。いやはや深層探索者ならこのくらいは日常茶飯事と聞くから恐ろしい。
「どうして…あなた達はどうしてそこまでしぶとい」
黒騎士が呟くのが耳に入ってくる。僕は笑みを浮かべる。時間稼ぎにはいい塩梅だった。
「無論、僕らの国を取り戻すためさ。二年前、僕らの平穏は突如として奪われた」
するとそれを聞いた彼は歯噛みする。その主張は間違っているとでも言うように声色に怒気を滲ませる。
「何故わからない。サイラスさんの齎す社会の有用性が…。私たちの『正義』が!」
言葉と共に横に振るわれた大剣はその怒りに応えるように、剣身に走る幾何学的な紋様に沿って割れ、下から現れる回路からターコイズの燐光を放出させる。鎧の端々からも似たような光が発露し、鎧は白へと変容。彼の周りは蒼緑の粒子が煌めく。…ここからが本番だ。紋章の多重解凍。あの鎧の真価だ。あの状態は長続きしないが、僕を倒すには十分過ぎる。
さて、ここからどうやるか。
「前もそんなこと言ってたね。…君、正義なんて本当にあると思うのかい?」
僕は相手の激情を誘う。先の言動から考えるに黒騎士は『レジスタンス』に相当に業を煮やしている。彼からすると野蛮な僕らに正義を説かれるなど怒り心頭もいい所。思った通り、彼は顔を歪め、こちらに向かって突撃してくる。『拡張』された視界でもそれは明確には捉えられず物体が伸びた錯覚を覚える。半ば感覚に沿って横薙ぎされた剣を潜り、極度の前傾に陥りながらも脇腹にGANDを殴りつけて引き金を引く。
『弾丸の紋章』、『貫徹の紋章』、『疾風の紋章』——複合紋章『バレット』
本来、腕でいなす反動が右腕を発端に全身を貫く。黒騎士は攻撃を受けると軌道を僅かに逸らし、勢いのままに地面を跳ねる。GANDを引っ提げ、強化した身体能力で一足飛びに彼の元へと向かう。すると痙攣させながら悶える黒騎士と見える。
「どうして…、この鎧はあらゆる攻撃、術式に耐性があるはず…」
「隙間があれば、ね」
僕は混乱する彼にGANDを突きつけ、解答を提示する。
「君のいう通りさ。けどね、一つだけ欠点があるんだ。完全に密着したものは装備者の所有物と誤認してしまうんだよ」
さらに言うなら、この鎧を装備することが常態化している騎士は痛みに極端に弱くなる。攻撃を受けなくなるのだから当然だ。丸々二年も身につけていたのなら、尚更だろう。
「…何故、よそ者の貴方がそんなことを知っている」
息は荒い。額には脂汗を掻いている。傷口からは真紅が垂れ、表情は…諦めだ。いつでも僕は彼を殺せるし、彼の獲物は遥か遠く。敗北は必定だった。
「まあ、知らないよね。僕は元王位継承権第一位のバロン・ガルシア、その人さ」
分からなかったのも無理はない。大抵、王族の子供のファーストネームは国民の注目の的。以後、数年は使い倒される。弟の時もそうだった。子供の頃は嫌に感じていたことだ。まさか窮地で隠れ蓑になるなど皮肉も良いところだ。
「…それは完敗です」
黒騎士は独りごちる。種をバラせば簡単だ。前所有者が僕だった。王国から夜逃げするその日まで僕は王国の騎士だった。弱点を知っていたのは弄り回したからだ。
「それと君の問いにも答えておこうか。正義云々ってやつさ。絶対正義なんてのは存在しないよ。定義した時点で悪が生まれる。悪から見たら正義は悪さ。東洋の陰陽思想のようにね。…それに今の人をおざなりにする社会に人がついてくると思うかい?」
「……」
沈黙が返ってくる。破壊からの創造。汚泥に塗れた社会の浄化。決して彼の左大臣サイラスが間違っているという訳ではない。ただそのやり方には人がついてこない。未来のための犠牲となれと命を下して首を縦に振る住民などいない。人は案外、利己的なもので明確な変化を嫌う。彼が何故、都市の変革を急ぐのかは検討が付かない。何か思うところがあったのだろうか。
徐にカードホルダーから『回収の紋章』を取り出し、黒騎士の項にひたと当てる。
『回収の紋章よ、余剰の時空より来たれり超常の存在よ。我が意に応え、かの存在をその境界に囚えん』
青年の体が紋章へと飲み込まれていく。少なくともこれで死ぬことはない。それに僕がもう一度詠唱するまで外に出てくることも不可能だ。事を終えると立ち上がる。その瞬間、回廊が大きな音と共に激しく揺れた。源は『法下の秩序』。彼女らも難敵と戦っているのだろう。まあ、加勢に行くほどの体力はもうないのだが。いいとこ平常運転で、隷属者の数を減らすくらいだ。
…頼んだよ、シャーロットちゃん、アイザック、プリアちゃん
僕は『法下の秩序』の大扉を見上げると未だ数多残る隷属者の只中へと飛び込んでいった。