百三十四記_澱みなき王宮
——同日、トンネル最下層
『Successus!』
(成功!)
携帯したインカムから新の声が流れてくる。下で待機していた精鋭部隊がわっと沸いた。バロンがすぐに『歪曲の紋章』を唱え、転移を始める。『惑乱夢の紋章』によって生まれる濃霧はある一点を迎えた瞬間に膨張から縮小傾向に転じる。閉ざされた空間でないのなら尚更。思っているより時間は少ない。隊員は傾れ込むように『歪曲の紋章』によってできた歪みに飛び込んだ。
転移するや直ぐに三角の隊列を組み、王宮の非常口に向かって突貫する。幸い、新が早々に暴れたせいで隷属者の過半数がそちらへと向かっており、侵入は比較的容易だった。
王宮の中は散々だ。おそらく高級の彫刻師によって彫られたであろう柱の細工や彫像は黒バラの蔓によってその美麗さを失い、床は木の根がコンクリートを隆起させるように凹凸が激しい。所々に褪せた血痕も見られる。
…クーデターの発端がここにあると考えると当然か
王宮内にも隷属者は数多ある。だが、外のように漠然とした空間ではないため、互いに行動が制限されているため、数の優勢はここでは通じない。
ただ奇妙なのはバロンの行動だった。ふと最前で駆ける彼の背に目をやる。
彼は本当に一般人だろうか。それにしては王宮内の構造について知り過ぎていると私は彼に猜疑の目を向けていた。何だろう。直感だが、手慣れているように感じる。
禁足域までも手中に収めているような…よくよく考えれば、国の防衛機構である『法下の秩序』の所在を住民に知られることは都市の転覆のリスクを常に負うことと同義だ。今回の大臣の所業然り、常にクーデターや反乱の可能性を念頭に置かねばならなくなる。アガルタのような秘密主義の国家が公開する情報か?
…ただ彼が嘘を付いているようにも見えない
万が一、彼が大臣側の人間で『レジスタンス』の戦力を削ごうと考えているのなら、何故『法下の秩序』を解く鍵を私に渡したのか。行動がチグハグだ。
…今は信じるしかない
彼に疑念を抱きつつも私は一刻も早く都市を解放するため、最前列へと躍り出た。
王宮内で登り下りを繰り返していると、ある時から隷属者の数が急激に減り始めた。全くいないという訳では無いのだが、まるで誘い込まれているようだ。その時、通信が入る。
『…そろそろ『法下の秩序』だ。後は大っきな回廊だけだね。…多分、奴さん僕たちに気付いてる。ここは一つ気合いで頼むよ』
バロンの警告と激励に各々反応する。すると目の前に幅広の階段が現れた。それは降っている。彼の先の言葉から考えるにここの下が例の回廊だろう。
…やはり
隷属者は回廊に集中していた。前方に敷き詰められたように彼らの軍団がある。それを見た私たちは進軍を停止した。彼らの前には黒の鎧に身を包む騎士。王国に伝わる王の懐刀が持つことを許される無数の紋章を刻まれた鎧だったか。それに中身の騎士もそれなりには手だれ。…少なくともイデア抜きの新よりは十二分に強い。
『…シャーロットちゃん、アイザック、プリアちゃん。手筈通り僕が黒騎士を抑える。『法下の秩序』は任せたよ』
「作戦会議ですか。この兵力さどう覆すのか見せてもらいましょうか?」
黒騎士は剣を掲げ、回廊の中で高らかと声を上げる。それが戦闘開始の合図だった。精鋭部隊と隷属者が入り乱れる。彼のいうことはもっともだった。ここまでは上手く運んだものの時間を掛ければかけるほど城内外から隷属者が集結する。つまりは挟み撃ちだ。それに対応できるほどの兵力は私たちにはない。
それまでに『法下の秩序』…外の世界との障壁を断つこと出来るかが作戦の成功如何を決める。アガルタの今後を考えると『法下の秩序』の破壊は帰属意識の簒奪に他ならないが、破壊からの逃走がこの作戦の及第点だ。「その時」が来たのなら、バロンに指示を仰ごう。彼の決断ならレジスタンス引いては住民が納得するはずだ。
戦場の中で一つの結論に至ると私は眼前の隷属者を切り捨て、トランシーバのマイクを手に取った。
『アイザックさん、プリアさん。一気に『法下の秩序』まで駆け抜けます』
インカムに吐息と戦闘音が混じる。彼も彼女も苦戦を強いられているようだ。
『…ってもよ。どうすんだよコレ』
『黒騎士、バロン、引き付ける。…けど、どうやって』
私はマイクのスイッチから手を離す。どうもこうもない強引にだ。
「…Ace of spades」
盾を後ろの取手に剣を鞘に収め、漲る膂力と共に宙へと飛び上がる。瞬時にアイザックさんとプリアさんの位置を捕捉。地を、壁を、天を蹴り彼らを両脇に抱えるとそのまま最奥の大扉の前に至る。突然の立体機動に見舞われたためか彼らの顔色は悪いが…許容してもらう事としよう。
隷属者は少し遅れて私たちに気付き、翻る。だが、それも私の想定内だ。彼らから手を離すと抜剣し、紋章と唱える。
『鎌鼬の紋章よ。冷徹なる刃を持って我にかかる火の粉を払わん』
剣身が風を纏うを感じると私はそれを頭上に向かって切り上げた。天井が瓦礫となり崩れ落ちる。瞬く間に身の丈ほどとなり、尚も積もる。やがて隷属者が超えられないほどの壁となると私は扉の方へと向き直った。
「…シャーロット、アンタ冷静に見えて案外、突飛なことすんな」
「……」
どうやら文句を言える程度には気分が良くなったらしく、プリアさんも不服そうに目を細めている。口にはしないが、それなりに不興は買ったらしい。
「それは申し訳ありません。…あれしか方法を思いつかなかったものですから」
形式上の謝罪を述べながら、盾を持ち直し両開きの扉に力をかけるとそれは僅かに後退する。彼らと共に扉を押すと重々しい音を立てて…やっと一人分の隙間を作ることに成功すると、私たちは合間を縫って『法下の秩序』が鎮座する空間へと入って行った。