百三十三記_力の片鱗
…知らなかった
いや知っていたはずだとそう思う。無力故の歯痒さは俺がよく知るところだったはずだ。
恋心を抱いていた友人、刈谷歩夢が日々衰弱していくのを俺はただ見ることしか出来なかった。それが辛くて、そうならない未来を願って他人からは破滅願望を抱いているとしか思われないほどの努力に身をやつすことになった。
同じだ。
イブは「守られ続けるのも苦しいんだよ」とそう言った。本当に辛かっただと思う。彼女がいつからその辛苦を抱えていたのかは分からない。けれど、『部屋』から『窓』を通して戦う俺たちを見ていたのなら、このアガルタに来てからは一塩だったはずだ。彼女だけが俺たちの中で何の役割も与えられず、庇護されていたのだから。外から傍観しか出来ないという状況は堪える。憎たらしいほど覚えがある。
だから、彼女は力を望んだ、あの時の俺と同じように。戦い方を見るにバロンに教えてもらったのだろう。あまりにも動きが酷似している。そういえば、彼は眠れないと言っていた。イブも夜型だ。辻褄は合う。
…そういえば、最近は懐き具合が異様だった気がしなくもない
実世界では人間関係を極端に絶った生活をしていたからそれより前の記憶はあやふやだが、あの速度で人間関係というものは進展するものだったか。いや、個人差の問題かもしれない。
思考が脳裏で垂れ流れ続ける。わざわざ汲んだり、止めたりと言ったことはしない。それは返って戦闘へのノイズとなる。俺は隷属者を封じながら、人馬のワルキューレの方へと駆ける。すると相手も俺の接近に気づいたのか先と同様に巨大な弓矢が生成され、それを構える。
…二度も同じ手を喰らうヘマはしない
豪速で放たれた矢は宙を切り裂きながら迫る。俺は走る速度を緩めずに左手を腰に垂れるもう一本に伸ばす。接近に合わせてそれを逆手で引き抜く。剣と矢が交わる刹那、剣には炎が宿った。交錯する。一瞬の拮抗の末、剣を始点に矢が真二つに裂け焼け落ちる。隷属者の体は水分量が著しく少なく…よく燃える。皮肉なことに数多を焼き殺して得た教訓が俺を助けた。
剣を順手に構え直し、疾駆する。数度そうして矢を飛ばすと無意味なことを感じ取ったのか、こちらに向かって無数のバラの蔓を伸ばしてきた。俺は右手に握る氷結剣にも炎を纏わせ、左右に握る剣で薙ぎ、切り裂き、刻みながらワルキューレへと迫る。至るは剣の間合い。俺はようやく制限していた『攻撃予測』を解放し、敵の出方を見る。
…なるほど、何でもアリじゃないか
収束する赤から動きを読み取る。未来は殴りと見せかせて俺の死角となる自身の背で蔓を編んで作った短刀を俺へと突き刺すというものだった。
未来を確定させるため、殴りつけを刹那の未来と同じように避け、短刀による攻撃を誘発する。体の方に引き込んだそれを左の剣で逸らし、俺は即座に詠唱する。
『氷結の紋章よ、龍血を継ぐ奇跡の大樹よ、その力を持ってかの者を拘束せん』
それは勝利宣言だった。右手に宿る冷気を怪物の胸元目掛けて突き出す。ワルキューレの両手が俺の攻撃を阻止しようと右手を掴みかかるが、腕を伸ばしきり、全体重をかけて押し込む。
『剛力の紋章よ、他が為に振るわれるその力を我が手に』
体を紋章により増強し、その体勢を維持し続けていると動きが止まった。念の為とイデアで未来を観測するが、動き出す気配はない。氷結剣の紋章は空。どうやらワルキューレは全て使って初めて完全凍結に至る敵のようだった。
「お兄ちゃん、大丈夫」
その時、イブがやって来る。辺りを見ると一帯の隷属者は全て沈黙していた。「任せて」という言葉は口から出まかせという訳ではなかったようだ。いやはや末恐ろしい。
「大丈夫だよ」
俺は右手を僅かに熱してワルキューレの巨手からずるりと右手を抜く。
…そういえば、これ
俺はワルキューレとの戦闘中、当然のように詠唱なしで剣に炎を纏わせていたことを思い出す。その感覚はで指を動かすようにごく自然で、まるで依然からそうであったかのようだった。
再び腕に炎が生まれるように意識すると当然のようにそれは現れる。最も詠唱時のように激しいものでは無いが。『心象紋章』を使ったにしては疲弊もない。『心奥』に至り、『新な力』を得た副産物だろうか。
不思議に思いつつも剣を鞘にしまう。小規模だが一帯に隷属者の姿はなかった。その時、宙から何かが飛来する。足元が凍っていることで体勢を崩し、滑りながらも立て直す。
「…っとと。新」
「戦況は」
来訪者に尋ねる。見知った顔、楠木だ。彼には事前に戦闘中、状況把握に努め報告を上げるよう打ち合わせていた。
「そこの見たくワルキューレが十体。形は色々。二対の翼を持つやつなんてのもいたぜ。他は数は多いが、普通の隷属者だ…にしても一人でよくやったな」
彼は感心しながら青白く染まった一帯を見渡す。
「一人じゃないよ」
丁度、楠木から隠れる立ち位置にいたイブの背を押して、彼に見えるようにする。
「半分はイブだ。俺が死者を運ぶ者と戦えるように戦士は彼女が引き受けてくれた」
「…っな」
楠木が愕然とする。しかし、彼はすぐに首を振り、長い息を吐いてから話し始めた。こういう非常時に飲み込みが早いのは彼の良いところだ。
「だーもう!新、後で訳は話してもらうからな。どこも死者を運ぶ者に足引っ張られてる。案内するから付いてこい!」
それからは戦場の各地で猛威を振う死者を運ぶ者との戦いが主な役割となった。
「あと言い忘れてた。シャーロットたち無事に王宮に入り込めたみたいだぜ」
彼は道中ふとそう口にする。それに安堵を覚える。作戦の第一段階は成功だ。