百三十記_バロン・ガルシア
私の気が落ち着いてから一段落。バロンはひとしきり私の髪をわしゃわしゃすると元の席に戻る。
「それにね、イブ嬢。君の後悔はまだ一日だ。取り返しのつかないところまで行ってない」
彼は座ると机の上にあったスキットルに手をかけて、呷る。
「…よくないよ、お酒」
「喉が渇いたんだよ、少量はむしろ薬さ」
…少量じゃないから言ってるんだよ、バロン…
お姉ちゃんに聞いたが、あれに入っているお酒と言うのは軒並みアルコール度数というものが高いらしい。よくあれだけ飲んでいて酒場のおじさんみたく手が震えたり、酔っ払ったりしないものだと逆に感心する。
「君の秘密を聞いたからね。おじさんも一つ秘密を君と共有しよう。フェアというのは大人に必要なことだよ。…ちなみにこっちは飲まないに越したことはない」
…言われなくても分かってるよ
バロンは酒の入った容器をカラカラと揺らしながら皮肉を込めた物言いをする。それに胸中で突っ込みを入れながら、彼の話に耳を傾けた。
「実はね。僕、この国の王様アルフレッド陛下のお兄ちゃんなんだよ」
……「へぇ⁉︎」
当たり前のように滑らかな口調で紡ぎ出されたせいで、反応がやや遅れて変な声が出る。
「嘘だよ。王様の親戚だったら、もっとこうなんかキラキラってしててピシッてしてて…。多分、バロンみたいなだらしないオジサンじゃない」
私は思い描く貴族のイメージをどうにか言語化しながら、露骨に目を細めて疑う。それにウィリアムさんの話していた特有の陰湿さも感じない。でもそういえば、彼はバロンが元貴族だとか言ってたような…そういえば、バロンはこれが嫌なんだっけ。
「辛辣だなあ、もう。まあそれくらい一般市民と大差ないように見えるっているのは僕にとっては褒め言葉だけどね」
バロンがケラケラと可笑しく笑う。すると彼は徐にジャケットの中に手を入れて長方形の何かを取り出す。それは擦り切れた洋封筒だった。本来は真っ白であったはずのそれは今日日薄汚れている。
「これが全ての発端でね。…僕が君に明かす秘密はここからだ」
始まりは三年前。バロンが中層域下部をメインに案内人という仕事を生業にして時に遡る。バロンはこの都市『アガルタ』の第一後継者だったものの姑息なことばかりに有能な頭を使う『貴族』と呼ばれる彼らを忌み嫌っていた。故に二十歳となった時に王宮を飛び出したらしい。
「あの時は若かったからね。理想を求めて突っ走ったよ。今思えば、あの時僕がすべきことは貴族を『内』から変えていくことだった。…属するのをやめる事じゃなくてね」
彼はアガルタを飛び出した。けれど、そもそも貴族だった身だ。庶民的な生活の送り方など知らない。碌に職につけなかった。
「だから、僕は冒険者になるしかなかった。皮肉にもその時助けられたのは王宮から持ち出したこの銃『GANDⅢ』だったよ」
それから七年ほどは冒険者として血生臭い日常を送った。ただある時、『冒険者スコア』がピクリと動かなくなったという。
「…まる半年、たったの『1』も上がらなかった。流石に限界を悟ったよ。だから、僕はそれまで蓄積した知識を活かして『案内人』に転向したんだ」
『案内人』。それはその階層に降りてきて間もない冒険者に付き添い、ガイドを行う仕事だ。
本当なら私たちもことある毎にお世話になるはずだったが、お姉ちゃんがその役も兼用しているので無縁の職業だった。楠木に話だけは聞いたことがある。
「そうやって、どうにか日常を得た時だよ。どこから漏れたのか僕宛にいつの間にか即位していた弟…アルフレッドから手紙が届いた」
それが約三年前、バロンが三十一歳の時の話。中身は『王宮内部で不穏な動きがあり、それを受けて政治派閥が細分化。王宮内は疑心暗鬼の状況が続いている。確実に白であるバロンに王宮に戻り、自分と原因を突き止めてほしい』とのことだった。
「この時、すぐに戻ればよかったんだけどね。…飛び出してきた手前、引けなかったんだよ」
それから一年半もの間、案内人の仕事をしながらもどこか引っ掛かりを覚えていたらしい。だが、それに耐えられなくなりアガルタへと戻った。
「それでこの有様さ。だからね、イブ嬢が悪いわけじゃないんだ。本当は僕が一番の『戦犯』かもしれない。弟の呼びかけに応じて戻っていれば、左大臣のクーデターが起こらない未来があったかもしれないからね…これが僕の秘密。バロン・ガルシアの隠し事だよ」
彼は淡々と語った。冷たい表情をしていた。負の感情の悉くを内に閉じ込めて自虐もとうに終えて、あるのは感情の渇いた荒地だけ。そんな感覚を刹那に覚える。バロンが人に異様に優しい理由が分かったような気がした。
「ま、僕が言いたいのは君はまだ事が起こってから時間が経ってない。今なら、まだ傷は浅い。失った二千人は帰ってこないけれど、失うはずの六千人を助けることはできる。…明日の作戦次第でね」
彼はあからさまに表情を顔に貼り付けると話を今に戻す。
「イブ嬢、明日の作戦の間、念の為武装しておいてくれ。新くんにもしものことがあった時君が助けられるように。…これ以上後悔を重ねないように」
「はなからそのつもりだよ、バロン」
そう答えると作戦の詳細と私の役回りの伝達。そしていくつかの実験を経て、隷属者を殺さず、封じる術を知る。
「新くんを頼んだよ。彼は陽動の要だ」
その言葉を区切りに天幕から送り出される。トンと背中を押されそのまま二、三歩前進する。
「…バロンもあんまり無理しないでね」
「善処するよ」
私は最後に祈るように口にすると毛繕いをしていたマイヤに声をかけて拠点へと戻った。
そして、一世一代の強襲が今始まる——。