十三記_転移
「ッテテ…」
転移直後、俺は地に突っ伏していた。幾らか地面より高い場所に放り出され、てっきり地面があるものだと思っていた俺は虚空を踏み込んだ。その感覚の齟齬からバランスを維持することができずに盛大に転んだのだ。
「大丈夫ですか?新さま」
シャーロットさんだろうか。どうやら彼女は無事着地したらしい。前回の空間跳躍は切羽詰まっていたとはいえ、今回は説明をする余裕があったはずだ。「足元に気をつけてください」と一言いってくれればよかったのに。其れにしても先ほどより声が幼く聞こえるような…
体を反転させて、仰向けになった俺はそのまま天を仰ぎ——固まった。
華奢な体に伸びやかな手足、その顔には見覚えがあった。服装は少し短めのプリーツスカートにセーラー服。学校で見ない日はない俺の学校の女子高生の正装である。眼前にあったのは恐らくあの時死なずに育っていたら、そうなっていたであろう彼女、刈谷歩夢その姿だった。
「あ、ああ、あ、歩夢?」
口がわなわなと震える中、なんとか言葉を紡ぐ。
その言葉に少女は手をくの字に曲げた状態で首を振り、自身の体をまじまじと確認するような動作をした。幾らか其れを繰り返した後、何やら合点がいったようで頷く。
「私はシャーロットです。しかし、貴方にそう見えているのであれば、貴方の思い人は真に彼女だったのでしょう」
いくらか可愛らしい声色になったその少女は胸に手を当て口角をキュッと上げて、仄かに笑みを浮かべた。
近くの小岩に腰を下ろして休憩する。暫くして俺の気分が快調に向かっていくのが分かると立ち上がった。
「では行きましょうか」
その様子を見たシャーロットさんが声を掛けてくる。
「行くって何処に…」
反射的に反応すると、彼女はさも当然のように言った。
「この世界の『街』ですよ」
曰く、転移したのはこの世界の『日本』の都市。その近くだそうだ。
「日本領『大和』支部」。そう呼ばれる場所らしい。
一帯は開発された近代世界とは真逆で自然に溢れた光景が広がっている。木々が茂り、何処からか鳥の鳴き声が木霊する。上に視線を向けると見たことのない角の生えた小動物がお仲間と毛繕いをしていた。
俺は辺りの光景をまじまじと見つけながら、シャーロットさんの背を追いかける。
「そういえば、シャーロットさん。その容姿の変化って…」
「ジョージの悪ふざけです」
彼女は徐に振り返るとため息をつく。これまで幾度も呆れているようで、息をつく様が板についていた。事によるとジョージというのは十七世紀頃にいた紋章刻印師であり、『四騎士』という各スートのエースの紋章、其れにまつわる十二のカードを作ったのだという。つまりはシャーロットさんの生みの親である。
「それで悪戯って?」
「彼の趣味で各種のエースは所有者の理想の姿を模るように設計されているのです。こう言っては何ですが、素体に慣れるまでは戦闘に支障が出ます。良くもまあ、こんな欠陥を組み込めたものです」
シャーロットさんはそのジョージという人にはかなりの鬱憤が溜まっているようだった。
だが、前を歩く彼女を見ていると歩夢と違うところも散見される。歩夢の髪は艶やかな黒だったが、彼女は青みがかった黒。確か、先ほど顔を見た時に目の色も歩夢の持つ栗色から色素の薄い黄色のようになっていたように思う。街に着いたらそのことについても聞いてみようと心に留めておく。
「新さま、ここからは会話は無しでお願いします」
歩いていると突然、シャーロットさんが腕で俺を制す。思わず止まると、俺は疑問を口にした。
「どうかしたんですか」
「この先は獣の縄張りです。彼らを刺激しないよう慎重にお願いします」
彼女は俺の声に振り返ると人差し指を口に当てて、『静かに』というジェスチャーをする。
俺はそれに頷くと彼女が見入る方に目をやる。
木々の間からは草原が見える。その中には猪を思わせる大きな獣が点在していた。
…確かにあれに追われでもしたらひとたまりも無い
「決して目だけは合わさないように」
首を縦に振り、反応を返すと俺たちは行動を開始した。シャーロットさんは至って普通だ。俺は言われた通り、視線に注意して仕草を真似する。
そうしていて分かったのだが、獣にとって有効なのは『自然体』であるという事。
『こちらに攻撃の意思はない』ということを行動によって示すのが重要だということだった。
「見えました、あそこからが街道です」
何度か丘を越えた後に俺は其れを目にした。高々と聳える煉瓦の壁。その中に一際目立つ豪奢な建物がある。現実の時間との差異は小さいようで城門から荷車や鎧を着た人たちが出入りしているのが見えた。
「猪の領域は抜けました。ここまで来れば比較的安全です。今の私でも十分貴方を守り切れるでしょう」
彼女はほっとしたように話し出す。するとそれまでの移動の疲れがどっと込み上げてきた。思わず、座り込みそうになる。体力というよりも精神が疲弊していた。慣れない緊張状態を二時間近く自分でもよく持った方だと感心する。
…門まで四十分くらいか
目算で所要時間を弾きながら、バックの中から取り出したミネラルウォーターに口をつける。
「行きますよ」
二十分ほど休憩をとった後に彼女から声がかかった。
バッグを背負い直して、すでに歩き始めていた彼女の後ろ姿を追った。
門の検問はシャーロットさんが身分証を見せると、俺もなんなく通ることができた。彼女曰く、『本当は全員分確認しなくてはいけないが、其れを律儀にやる番人は少ない。大概は代表者一名の身分が保証されれば通れる』とのこと。
「新さま、大丈夫です——そうではないようですね」
どこに行くのかも尋ねる気力もなく、ただただシャーロットさんの後を追っていた俺に彼女はそういった。街は賑わっているようだが、虚う眼には何が何だか分からない。
「時刻は、十二時過ぎ…。一旦、宿で休みましょう」
どうにかこうにか民営の宿に辿り着き、ロビーの椅子に腰をかける。間もなくして、シャーロットさんが部屋を借りてきたので後ろに続いた。中へ入るとすぐさまベッドに倒れ込む。
「十五時ごろに起こしますので——」
シャーロットさんが何やらいっているようだが、そこまでしか耳には届かなかった。
「相変わらず、寝起きはいいですね」
十五時きっかりに俺は彼女に起こされた。どれだけ睡眠時間が短くてもアラームの音で必ず起きる癖が幸いしたようだ。シャーロットさんはいつの間にか学生服から白無地七部丈のTシャツに大きめのジーンズ、髪型はロングからポニーテールに変わっていた。
この三時間の間に『大和』にある歩夢の家に行って様子を見てきたらしい。流石に制服で街中を歩くのは気が引けたようで着替えたそうだ。
「家が使えれば、日々の宿代が浮くと思ったのですが…。申し訳ありません。持ち主も長いこと帰っていないようで中は廃墟同然でした」
彼女は露骨に肩を竦める。確かに宿をホテルと読み替えるとそれなりに金が嵩みそうだ。
「…なので、しばらくは宿生活です。それとあまりお金に余力がないので、働かなくてはいけません」
「どこで、ですか」
俺がそう質問すると、彼女は其れを待っていたかのように口角を上げて、はっきりと答える。
「もちろん。冒険者組合で、です。戦うとそう言ったでしょう」
「ここが冒険者組合です」
大通りを歩き暫くするとその行き止まりに大きな建物が見えた。
最初に目に入ったのは上の辺が短い台形が横に三つ連ねた建物。その後ろに増築されたのか統一感のない形の建築物が複数見受けられる。草原から見たあの巨大な建造物はこれというわけだ。全て煉瓦を積み上げて作っているようだった。
話に集中していたので辺りが気に掛からなかったが改めて見てみると、ヨーロッパ風の街並みが広がっているのが分かる。
「どうかしましたか、新」
ずいぶん立ち止まっていたようでやや前方から振り返る彼女が目に入る。俺は走って後を追った。
後に聞いたことだが、日本がラビリンス世界に本格的に干渉したのは十九世紀、明治時代の頃で当時好まれていた西洋建築によって町が作られていったことからこのような景観になったらしい。それまでこの周辺は『迷い人』という偶然ラビリンスにやって来る人々によって作られた集落があったそうである。




