百二十五記_ペテン師
「ここにレジスタンス所属アガルタ哨戒部隊ただいま見参、ってね。大丈夫かい?新くん」
奇妙の銃を肩に担ぎながら、ここぞとばかりに決め顔をしたバロンが現れた。
しかし、すぐに神妙な顔つきになると彼は俺に手を差し伸べる。
「悪かったね。遅くなってしまって」
その手を取って立ち上がると、残りの哨戒部隊の人たちは最後の転移門を閉じに行ったことを知らされる。程なくしてそれも終わり、辺りには数十の隷属者と俺たちが残るだけになった。
「先ほど住民避難を行なっていた兵から『終わった』との伝達がありました。私たちも撤退しましょう」
シャーロットさんの言葉に各々が反応して、肯定を返す。疲労とイデアの使用によってかかる精神負荷で鉛のように重くなった体に鞭を打ち、俺はみんなと『脱出口』を目指す。避難路は寂れていた。ただ数多の人がいたその名残は残っている。人形やバック、手袋など人の身につけていたものが雑然と存在していた。
その只中を疾駆する。隷属者に追われているものの紋章によって身体能力を大幅に強化した人に追いつけるはずもなく、その姿は既に遥か後方だ。『脱出口』が着々と近づき、思わず安堵が込み上げる。ようやく突き当たり。脱出口が見えたその時、警告の「赤」が視界を染めた。
「何か来ます!」
俺は危険を知らせるために叫びながら、一人身を翻し、剣の柄に手を伸ばす。瞬間、漠然とした赤は流動し形をとる。それは重厚な鎧に身を包んだ騎士の姿だった。それがこちらに向かって突貫して来る未来が提示される。
「Ace of spade‼︎」
限界突破の口上を口にし、動作と感覚が逆転。剣を抜き放つといった動きの後にそうした感覚が手を伝う。それと時を同じくして外部から鋭い衝撃が腕を襲った。
ガキンッ‼︎
片手直剣と幅広の大剣が交差する。人外の力に拮抗する強大な力。
勢いを持って振るわれた大剣に対し俺は剣に左手を添えて受けるもジリジリと押されていく。そして体が後傾し少々無理な姿勢になるまで押し込まれたところで硬直した。息を短く切りながらなんとか『剛力の紋章』を唱えて、剣を押し返し、盾で殴りつけて距離をとる。
「あれま?イったと思ったんですけどね…」
騎士は悠然とした立ち姿でそう呟く。意外にも彼自身は小さい。年は俺と同じくらい。少々顔立ちが幼いような気もするが、感覚的にそう思う。剣術、紋章術の腕は共に俺以上だ。対応できる範疇ではあるが…。
…キッツイなぁ
体力的、そして精神的に限界だった。万全の状態ならどうにか出来たかもしれない。生憎、先の隷属者戦で常用の体力は底をついている。
「まずいぜ、あれ」
どう戦うかという思考に耽っている最中、哨戒部隊の一人が呟く。
「まずいって何がですか」
突如現れた黒い鎧に身を包んだ騎士を眼前に見据えたまま、俺は口だけを動かす。指摘した彼に言ったつもりだったが、バロンがそれに応えた。
「新くん、あれはここアガルタの王。その側近の騎士が着ることを許された鎧だよ」
曰く、分厚い金属板の両面には数々の紋章が施されており、使用者の実力云々よりも如何に鎧について熟知できているかというのが使用者、そして相手にとっての関門らしい。
するとバロンが徐に俺の前に出ながら、腰元の銃に手をかけた。それを抜き放つと相手に向ける。あの騎士もそれを見ると迎撃体勢をとった。しかし、刹那バロンは自然な流動で標準を上にして数発打ち込む。次の瞬間、そこを発端として亀裂が伸び、崩落。瓦礫となって俺たちとあの騎士と隷属者を別つ。
それを見てとり、その場の全員が作戦を理解し、実行した。『脱出口』まで逃れれば俺たちの勝ち。総力戦ならぬ走力戦だ。バロンのいう鎧の説明が確かなら、あんな瓦礫は即座に突破される。だから、ああして間を上手く使い、奇を衒ったのだ。思った通り、すぐに後方で破砕音が轟く。しかし、その時には俺たちは既に脱出口の『歪曲の紋章』を起動していた。隷属者と例の黒騎士が迫るも次々に飛び込み地下壕から逃れる。だが、最後の一人となった時——。
「アイザック、プリアちゃん。新くんたちを頼んだよ」
その言葉と共に目の前からバロンと共に空間の歪みが消えた。手を伸ばすも触れたのは『脱出口』の滑らかない石壇ではなく、ゴツゴツとした巌窟の感触だった。アイザックと呼ばれた青年がすぐに戻ろうとして『歪曲の紋章』の口上を唱えるもあちらに繋がらない。それはバロンが向こうの紋章を破壊したことを示していた。
「やりやがった、あのおっさん…⁉︎」
アイザックと呼ばれた少年が拳を壁に叩きつける。
「…バロン、大丈夫。一人だけ持ってる。直通の紋章…」
「んなことは知ってる!…悪い」
女の子がびくつく。彼の怒りは最もだった。彼ら曰く、はなからそのつもりだったに違いないとの事。バロンは人を欺くのが上手く気づくのは事を終えた後。ペテン師の才能に溢れているとアイザックが愚痴を零していた。
事実上、向こうに行けない俺たちは避難所に向かうしかなかった。
* * *
「よかったんですか?ご自身だけ残って」
黒騎士がバロンに声をかける。後ろには追いついてきた多数の隷属者。万事休すを絵に描いたような状況。ただ彼には秘策があった。何事もないようにGANDの開閉部から紋章と取り出すと、ホルダーの中のそれと入れ替えながら、その声に対応する。
「いーの、いーの。…それに僕が本気を出そうとすると、一対多数が絶対条件なんだよ」
GANDを掲げてトリガーを引く。すると特有の音声と共に紫の光体が銃口に現れる。
『紋章起動』
『『電撃の紋章』『閉塞の紋章』『浮遊の紋章』詠唱開始——終了』
倒れる死体から血が、岩窟の地からは水滴が立ち上り、無数の白と赤の雫が浮き上がる。刹那、トリガーを再び引き絞るとGANDに宿った淡い光が雫を連鎖的に伝い、岩窟を覆った。
複合紋章『ケラウノス』。
ギリシア最高神の名をつけたバロンの持つ最高出力攻撃紋章術。空間に満ちた雷撃によって辺りの岩壁が破砕し、煙に巻く。GANDから放出される電撃が弱まると、電気を纏う靄は急速に晴れ始める。数多の隷属者の骸の只中一人だけが佇んでいた。
…だよね。でもこれまでだ
GAND片手に左手でカードホルダーを開き、特定の位置から目当ての紋章を引き出す。
『歪曲の紋章よ、理の外に存在せし獣を今一度解放し、我が眼前に彼ノ地へ続く門を開かん』
詠唱するとバロンの背に見慣れた歪みが現れた。彼が門を潜ろうとする刹那。
「……っ待て!」
叫びながら、騎士の鎧に身を包む青年がバロンへと迫ってきた。あっという間に駆けた青年は大剣を標的に向かって振り抜く。しかし、バロンがまるで謀ったように後ろに飛び歪みの中へと消えたことで、驚異的な速度で振るわれた大剣は空を切る。
「何故、何故分からないのですか!これがこの国のための『正義』だというのに!」
彼が歪みへと消えゆく最中、青年の咆哮が空間に木霊する。
「どうして…、どうしてこうまでも彼らは短絡的なものにしがみ付く」
青年は独りごちた。騎士基い、オリバー・ラングレーは確信していた。左大臣の考え方がアガルタの格差社会に終止符を打つと。そのための社会の破壊はやむを得ないと。先の未来でより多くの住民が幸福を享受するためには必要なことだと彼は理解していた。
…この争い自体には意味はない。悪戯に住民が死んでいくだけだ
彼は疑問だった。なぜ『レジスタンス』なる組織が降伏しないのか。こんな地下に籠る生活をしてまで抵抗を止めないのか。別に『レジスタンス』だからといって降伏後に戦犯として扱うようなことはない。良いところ、先導者くらいのものだ。
…まあいい。拠点は潰した
これは大臣陣営にとって大きな成果だった。嫌でもこの内乱は一ヶ月か、二ヶ月か住民の生活がままならなくなった時点で終止する。戻ってきたレディローズの刺客の言い分が正しいのであれば拠点はここ一つだけだ。青年は追加の隷属者をこの拠点に配置し、住民が戻ってここを再建できないようにすることを決めるとオリバーは、『旧・ドヴェルグ地下壕』を後にした。