百十九記_唯一の執行者①
…何、あいつ
私はある人を追っていた。その人は入り組んだ地下水路を迷いもなく進んでいく。
もう何度目か。追跡する人影が曲がり角に消えた。
…どこまで行くのよ
心中で毒づきながら、私はその人の後を追った。
時刻は少し前に遡る。その時、私は装備も揃い最高の気分だった。
…訓練もいい感じ。GANDも上手く使えるようになってきたし♪
識別鑑札くらいなら、テキトーな理由をつければ大丈夫だろう。『バロンがつけててカッコ良かったから』。この一言で十分だ。
そんなことを考えながら、居住区の中を進んでいると、真横を不穏な何かが通り抜けた。
…何
私は立ち止まって辺りを観察する。すると、怯えるように肩を竦めた人が路地に消えていくのが見えた。
…この時間は居住区に帰る人しかいない。中心に向かう人の方が稀だ。それにさっき入って行った方は地下水路の方…
怪しい。いや、何もないならそれでいい。私はウィリアムさんに貰った髪留めをポケットから取り出して髪を纏め、「ラビリンスは暗いところが多いから」と言って貰った『夜目の紋章』を起動させてその人物を追いかけた。
…また?
その人は首を左右に振って、(おそらく行き先を確認したのだと思う)再び地下道の通路を曲がった。念の為と取り出したGANDが握られている。装填紋章は『火』と『氷結』。二つに連結された摘みは切ってある。有事でも私の『不死』があれば銃は打てる。最近はこの『不死』の充填率を調整することで殺傷能力を低く出来るようになった。
「…ねぇ君、何してるの」
その時、耳元に吐息がかかった。反射的にGANDを横なぎしてその場を飛び退き、相手の方へGANDを構えた。
「なんだよ、ただのガキじゃないか」
舌打ちをするその人は若い。年齢はお兄ちゃんと同じくらいだろうか。格好はフード付き、半袖のパーカー。下は七分丈のパンツ。
…間が悪いなあ、もう!
一方私はロングスカートに革の硬いブーツ。戦いになったら、かなり制限が出てくる。ウィリアムさんの装備は『集散の紋章』が刻まれているから呼び出せるが、今来ている服が消えるわけではない。選択肢としては論外だった。
「ここまで深く潜れば、誰にも見つからない。…君を殺して僕は自由を手に入れる!」
どこからか取り出した短刀を手に青年は私に切り掛かってきた。
…GAND充填率5パーセント
トリガーを一度押して『不死』のエナジーを込めて、打ち放つ。威力はスリングショット並み。当たれば、青あざができる。近距離なら速度も相当なもの。
しかし、青年は避けた。紋章を発動した素振りはない。純粋な身体能力だけで躱して見せた。
…こいつ
私に向かって容赦無く迫る突きを左肩を逸らしてやり過ごす。どちらかが問題だ。相手が戦闘者として玄人か、それとも紋章で事前に『自己強化』をしていたのか。前者ならかなり厄介。お兄ちゃんとかお姉ちゃんと相手取ったら、私は十割負ける。逃げの一択だ。
私は相手の攻撃を避け、隙を見てGANDを放つ。何度かそれを試したが命中しても全く痛がる様子がない。充填率もすでに20パーセントまで上げた。少なくとも拳銃並みの威力にはなっているはずだが、相手の攻勢は止まらない。
刹那、青年の突き出す拳が黒く染まった。
…あれはヤバい!気がする
体を後方に倒し、腰を捻って右足の蹴りをそれに見舞う。それから重心を低く取り、宙返り。その最中に当てられるだけの弾を連射し、着地。その時、足元を違和感が襲った。
砂利を踏んでいるような感覚。平坦な地下水道でこの感覚はおかしい。視線を上げて相手の拳を凝視する。すると蠢く何かが目についた。
…薔薇の蔓…⁉︎
そんなものが懐に入れば、血まみれ必須だ。『殺す』という宣言がある以上、戦闘不能になれば、死ぬまで嬲られるだろう。ただこれで決まりだ。相手は武芸者でもなければ強化紋章も使用していない。…人外だ。特徴はバロンから聞いた『黒バラの隷属者』に合致する。ただ、知能が残っているなんて話はなかった。眼前の彼は容姿も人間。肌の色も変わらない。
…新種?…嗚呼もう、逃げたいなあ
口角が不自然に上がるのを感じる。正直、私の領分を超えているとそう思う。けれど、引けない理由があった。
『ここまで深く潜れば、誰にも見つからない。…君を殺して僕は自由を手に入れる!』
私に襲いかかる前の言葉が気にかかっていた。少なくとも相手の目的が分からなければここを離れられない。それに言動を見るに彼は私自身の存在に早々に気づいていたに違いない。その上で孤立無援の状態にするために誘い込んだのだ。
…私もタダでやられるわけないけどね
体をやや前傾にして私は戦闘体勢に入った。