百十七記_気まぐれ貴族が作った未来
「これもいい…。これもいいわ!あれ、こっちなんてどうかしら」
「……」
壁面は淡い赤、それを支えるように細工の施された白の板材が貼られている。壁には可愛らしいものからシックなものまで様々な装備が飾られている他、店内の至る所にあるハンガーラックに無数の服が吊り下げられ、中央のショーケースには意匠の凝った武器たちが煌めいている。私はそれらの合間を縫って、姿見鏡の前に来ていた。
それで、現状がこれ。
私の防具選びで盛り上がったウィリアムさんが店内の彼方此方から服やファッション性の高い防具を取り出してきては私の前に掲げて候補を空のラックにかけていく。
そう、完全な着せ替え人形状態。
ただ彼が非常に楽しそうにしているので止めるに止められなかった。
…これは香織とは別方向でやばいやつ
私はその最中、一時、下層にある『岬武具店』に保護されていた頃のことを思い出していた。店が休みになる度に香織が服飾品の店を連れ回す。子供の体力も考えない無茶なスケジュールで次から次へとお店を回るのだ。とてもじゃないが、乗り気で行かないと耐えられない。何回目からは明確に覚えていないが、「やっほー、行くよ!」みたいなテンションで買い物に出るようになった。お陰様で街を巡るのは好きだし、自分の趣向はよく分かる。
「おーい、ウィリアムー。そろそろお嬢に決めてもらってもいいんじゃないか」
その時、助け舟が齎された。姿見越しに声の方を見ると何処からか持ってきた可愛らしい椅子、その背の方に手を置いて跨ぐように座っていた。
「…それもそうね。イブちゃん、どれが良いかしら」
ウィリアムさんの動きがはたと止まり、手に持ったままの装備をラックに掛ける。
…ほっ
謎の安堵に包まれながら、私は体の硬直を解いて姿見から身を外して伸びをする。
「ごめんなさいね、イブちゃん。私盛り上がっちゃうといつもこうなの。それにあなた美人さんだから余計拍車がかかっちゃって…」
ウィリアムさんは手を頬に当てて申し訳なさそうに視線を逸らす。最後の部分は少し嬉しくもあった。私は頭を振り、声の調子をなるべく柔らかくするように意識する。
「全然、気にしてない。私の友達でウィリアムさんみたいにファッション好きな人いるから」
「そう言ってくれると助かるわ。それじゃあ、選びましょうか」
その言葉を境に彼と共に無数の候補が連なるハンガーラックへと赴いた。
とりあえず、洋服と装備を分ける。簡単だと思ったが、これが意外に難しい。それほど洋服に寄ったデザインのものが多かった。ウィリアムさんに聞きながら、捌くとやっと本題に入る。
「そういえば、イブちゃん。武器は何を使うの」
一度、ラック漁りを中断して腰元のカードホルダーからGANDⅡを顕現させる。すると彼はクスリと笑ってバロンの方を見る。暇だったのか、彼は一冊の本を手にしていた。それから私の耳元で手を翳して囁く。
「…あなた、相当バロンに気に入られているようね。それじゃあ、私も頑張ろうかしら」
彼に気に入られているのとウィリアムさんが頑張ることがどう繋がるのか分からなかったので、武具選びの合間に聞いた。
事は少し昔に遡る。物心ついた時から女ものの服が好きだったウィリアムさんはその稀有さから無下に扱われることが多かったという。それから段々とその趣向を人前に出さないようになった。そうして月日が過ぎ、将来の道を決めねばならなくなった時彼は悩んだらしい。その趣向を内に秘めたまま生涯を送るのか、服飾系の道に進むのか。
バロンと出会ったのはそんな時だった。当時、彼はだいぶ荒れていたらしく貴族のそれも名家出身にも関わらず、礼儀も貴族特有の不文律も守らず好き放題やっていたという。
「バロンが…⁉︎」
「今は優しいおじさんだけど、昔はそれは酷かったのよ。売られた喧嘩は全部買うし、曲がったものは大嫌いだし、特にイジメとかね。『やるなら、堂々とやれ。俺が潰してやるからよ』。学生時代はそう自分を風聴していたわ。今思い出しても笑ってしまうわね」
ウィリアムさんは肩を震わせながら、再び話し始めた。
ある日、学校近くの木の下で将来に悩ませていたウィリアムさんの前にバロンが現れた。彼の真意は分からない。多分、気まぐれだとウィリアムさんは言う。そして、彼は将来の悩みをバロンに打ち明けた。その時に言われた言葉がこれだ。
『お前がどうかは知らねぇが、俺は世間様に従うなんてごめんだね。曲学阿世?糞食らえだ。大衆なんてくだらない烏合の衆に従う理由なんざねぇ』
ただその時のウィリアムさんの表情を見てか一言付け加えたという。
『…どうしても気になるってんなら新標準を作りゃいい』
その言葉がウィリアムさんを動かした。両親の反対を押し切って、服飾の道に進み今がある。
「人生が楽しいのは彼のおかげよ。私の代わりに着てくれて言ってくれるの『こんな素敵な武具(服)をありがとう』って。だから、彼の期待には応えたいの」
ウィリアムさんは微笑を湛える。私は途中から彼の話を聞くのに夢中になっていたが、ウィリアムさんは候補に三着の防具を選び取っていた。バロンよろしく、GANDを用いた近接戦闘を想定してか、可動域に干渉の少ないものが用意されている。
①袖口の広い膝丈のシャツワンピース+ショートパンツ+クラシックブーツ
②フード付きケープ+フリル付きブラウス+ミニスカート+ロングブーツ
③半袖のカットシャツ+ノースリーブのアウター+ジャンパースカート+ワラビーブーツ
「下にインナーは着てもらうのは全部一緒だから。私の防具は鉄くらいの強度の素材を重ね着できるところなの。凄いでしょ?」
曰く、魔物の遺骸から生成した特殊繊維を使って武具を作るため『服のように軽く、金属のように強度のある防具』ができるらしい。
「これがいい」
ショーケースの上に並べられた三種の防具のうち①を指差す。念の為と試着室で着装し、店内の広いところで体を動かして見る。
…すっご
それが率直な感想だった。着心地は完全に服だ。バロンと訓練する時と相違なく動ける。
GANDを持って体を動かした結果、彼のように腰につけるのではなく、ハーネスベルトを身につけてホルダーを背中に固定する形に落ち着いた。
「気に入ってくれたようね。…バロン、終わったわ」
「あいよ」
彼は読んでいた本をしまうと重だるそうに腰を上げる。
「似合ってるよ、イブ嬢」
「…ウィリアムのおかげ」
なんだか露骨に褒められるのはむず痒い。それを隠すように後ろに回して両手を握る。再び試着室に向かい、私服に着替えて出てくるとウィリアムさんが防具を受け取ってくれた。
「ウィリアム、これいくら」——「600ラピス」
「なら、二セット頼むよ。ダメになった時の予備は必要だと思うからさ」
「了解、1200ラピスね。…あなたもう貴族じゃないのにお金あるの」
「独り身だと案外貯まるんだよね。これくらいじゃ擦り傷にもならないよ」
ウィリアムさんはバロンに連れられて後方へ。覗くとバロンが会計をしているのが見えた。
「それじゃあ、イブ嬢。しまっちゃいな」
気になって近づくと防具の入った大きな紙袋を渡される。急だったので少しびっくりした。
「ありがと、バロン」
遥か上の目線に合わせてそう言うと物を『回収の紋章』の中にしまった。
「あ、イブちゃん。これおまけ」
カウンターの上には銀色の髪留めが一つ置かれる。お金の入った麻袋をしまおうとしていたバロンの手が止まる。
「いーわよ。おまけって言ったでしょ。トータルコーデで買ってもらったお客様には小物をつけるようにしているの。イブちゃんは髪が長いからコレ」
ウィリアムさんはカウンターから出てくると私にそれらを手渡す。
「髪はこれで纏めるなり、編むなりしなさいな。バサバサすると視界が遮られるでしょ」
「うん、ありがと」
留め具を受け取り、ポケットの中に入れる。
「それじゃ、ウィリアム」
「ええ、ご贔屓に。イブちゃんもまたね」
私はその言葉に手を振って答えると『ars gulielmi』を後にした。