百十五記_反乱軍での生活
——ニ〇ニ六年、七月十五日、鉱山都市ドヴェルグ、地下壕『レジスタンス本拠』
ここに来てから十日が経った。朝食から始まり、シャーロットさんとの早朝の稽古、本来からそこからラビリンスの探索に出るのだが、アガルタにいる以上物理的にできないため、代替として『レジスタンス』の手伝い。具体的には物資の移動や戦闘員との実践稽古、時々外へ行っての俺たちのようなはぐれ者を探しに行く。その繰り返しだ。バロン曰く、トンネルの工事も予定通り進んでいるらしい。
…問題はその時が来た時に俺は隷属者を斬れるのか
その疑念は常に渦巻いていた。むしろ、月日が経つにつれて肥大化していく。やらねばならないのにできないという感情のズレは胃のなかに漬物石でも抱えているかのようで最近はあまり眠れていない。
「新さま、新さま。聞いておられましたか、今の話」
肩を素早く二度叩かれる。反射的にその方を見るとシャーロットさんの姿があった。
現在は朝食を終えた後、確か今日をどうするかという話をしていたはずだ。
「すいません、シャーロットさん。なんでしたっけ?」
完全に上の空だった。前後の話がはっきりしない。もしかしたら、立ちながらうたた寝していたのかもしれない。まとまった睡眠が取れない代わりに慢性的な眠気に悩まされていた。
「今日はイブさんはバロンさんと露天商へ行くようです」
…だから、昨日はよく寝てたのか
いつもは深夜に活動的になるイブが珍しく早く床に入ったのだ。そういう時は決まって次の日は街に出るというのが定番になっていた。…今回は街ではなく露天だが。
ことによると数日前からバロンと約束していたようでイブは『不死の紋章』と拠点を行ったり来たりしていた。急がないとバロンが来るからだという。そんなイブと遊んでいるつもりなのか、マイヤは追っかけ回していた。
…楽しそうでなによりだ
忙しなく動く彼女を見ながら思う。知らなかったとはいえ、イブを地下壕に閉じ込めていることには変わりない。最初こそ制限のある生活に彼女がどんな反応をするのか憂う気持ちもあったが、案外普通だ。むしろ最近はここに来る前より活力に溢れているように感じていた。
…俺も準備するかな
今日は一日中、ここの冒険者や軍人たちとの稽古だ。純粋な戦闘能力については彼らよりは高いものの、紋章の使い方は未熟。紋章込みの戦闘力だと容易にひっくり返される。まだまだ学べるところは沢山あった。
シャーロットさんは外の巡回。何人かバロンのように冒険者スコア350クラスの人がいて彼らがメインパーティとして動いている。
実際、この十日でさらに二人ほどの冒険者をこの拠点に招いていた。もはや彼女の適応能力は流石としか言いようがない。本来なら、俺も参加の水準を満たしているのだが、シャーロットさんに『人を斬る覚悟がないなら来るな』ときつく言われている。戦場では逡巡が命取りになるからだった。
「おはようさん。イブ嬢いるかい?」
装備をカードから出してセルフチェックを行なっていると入り口の方からバロンの声が響いた。挨拶を交わすと辺りを見た彼から再度イブの行方を問われる。
「今は『部屋』にいる。しばらくすると出てくると思うけど…。気になるなら、机の上に紋章を置いてるから繋げて見て」
すると彼はテントの前に出されたままの椅子の一つに座ると足を伸ばした。彼は紋章に手を伸ばす事はせず、ただ待つのみ。急かすつもりはないらしい。事実上リビングと化しているそこで彼が寛いでいると宙に門が現れる。
「あ、バロン!ちょっと待って」
彼女は寝巻きから着替えたのか、膝丈で腰の辺りで詰められたボーダー柄のワンピース姿だ。門の中から身を乗り出している。
「別に急がなくてもいーよ。今日は僕、仕事ないからさ」
椅子の上で前屈みになりながら、バロンが軽く手を上げる。イブが門を閉じたのをきっかけに自分の作業に戻る。
「お待たせ〜」
しばらくするとマイヤを抱えたイブが再び現れた。先ほどまではなかった深緑のベレー帽を被っている。完全に他所行きのお嬢様と形容できる格好だった。
「イブさん、お似合いですよ」
「とーぜんでしょ♪私のセンス抜群だもん」
シャーロットさんが賛辞を送るとイブは満足げに言う。満遍の笑みとドヤ顔が同居した自信に満ちた顔が容易に想像できた。
…よし、問題なし
剣、鎧共に大きな損傷もないことが確認できた俺は剣以外を「回収の紋章」にしまう。
「ふぁ〜あ」
その時、テーブル近くのテントのファスナーが開かれ、ジャージ姿の楠木が中から出てきた。みんなと挨拶すると窄んだ目のまま、彼は歯磨きを始める。
「楠木少年。疲れてるように見えるけど、どうしたんだい?」
「ああ、昨日の工事、忙しくってな」
そう。彼は今、トンネル工事の手伝いをしている。四日働いて一日休む。故に今日は彼もバロンと同じく休日だ。
「おうだ、バロン。ごのえんでいいがじやじっでるが?」
(そうだ、バロン。この辺でいい鍛冶屋知ってるか?)
歯磨きをしながら、喋ったからかモゴモゴとして何を言っているか分からない。しかし、バロンは理解したようで会話を成立させた。
「そうだね。居住区の西側に武器職人が一人住んでいるよ。名前はローレライ。何か言われたら、僕の紹介だってことにすればすんなり話が出来るはずだよ」
「…サンキュー」
楠木は口を濯いでから一拍遅れて答える。バロンは自身のメモ帳から一枚千切ると手早くサインを書くと紙片の上に食卓に転がっていたペッパーミルを乗せた。武器職人の信用を勝ち取るために使えということだろう。
「では、私はそろそろ行きます」
「じゃあ、僕らも行こうか、イブ嬢」
シャーロットさんが懐中時計を開閉して時間を確認し、拠点を後にするとバロンたちもここぞとばかりに露天の集まる商業区画へと向かった。
…俺も行くか
「楠木、朝食は鍋の中にあるから」
「ん。洗いモンはやっとくぜ」
その言葉に「よろしく」と返すと俺は訓練場へと歩き始めた。