百十四記_利害の一致
——ニ〇ニ六年、七月五日、アガルタ王宮内
謁見の間の中央には上から下に至るまで華美な装飾が施された背の高い椅子がある。本来この国の王が座るその椅子にはガタイの良い老人が座っていた。その両脇には項垂れた隷属者が一糸乱れず連なっている。
「サイラス王」
その時、静寂に包まれていたその空間にカッ、カッと地を踏み鳴らす音が響く。とんがり帽子に黒のローブ、その隙間からは絹色のチュニックと革製のコルセットが顔を覗かせる。さながら「魔女」といった装いの女性が現れた。
「まだ王ではない。『レディ・ローズ』。…忌々しいレジスタンスが未だ残っている」
低くよく響く声でレディ・ローズと呼ばれた彼女にそう返す。
「もう二年ですか。かなり粘りますね、彼らは」
上品な。けれど人を揶揄う不気味な声で話しながら、彼女はサイラスの方へと歩を進める。
そう。本来は『法下の秩序』を起動し、隷属者を放ってから一ヶ月ほどで全てが終わるはずだった。サイラスの目的は王権を含む特級階級の排斥と平等の享受。それを生きている内に為すには一度、軍事クーデターを起こすしか手立てがなかった。形骸化した民主主義は頼りにならない。
創造的破壊。
彼は国そのものを根底から作り替えようとしていた。金と言うものは金のあるところに集まる。それ故に貧困は常に困窮する。今、手を打たねばより格差は取り返しのつかない領域に到達する。サイラスはこの国の現状を打破しようと画策していた。
彼自身、貧民街の出身者だった。いくら『天蓋決壊』以後、水の恩恵で経済力を増したアガルタと言えど、それは外の国から見ての話。都市の中では格差が存在し、中央から離れるほど貧しさは加速する。彼は幼き頃、貧窮に喘いでいた。左大臣という役職に就けたのは偶然だった。運よく中央に住む御仁に拾われ、その家の子供は彼に勉学を教えた。それを元に貴族家のために尽くし『ターナー』の姓を賜った。そして、成り上がりで今の職に就いたのだ。
「忌々しいレジスタンスめ…」
腕を肘置きで支え口の前で手を組みながら、サイラスは呟く。本来なら街の復興、新しい法整備、そして『法下の秩序』を解き、新たな国家の誕生を世界に喧伝する頃合いだった。しかし、依然として反乱分子の彼らは存在している。
…国家創造の着手に邪魔になる可能性を秘めたものは排除せねばならない
どれだけ劣勢であっても残っていれば何をしでかすか分からない。小さな波もいずれは伝播し大きくなるもの。芽は摘むべきとサイラスは考えていた。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ…」
前触れなくサイラスを不穏な咳が襲った。止まらないそれは彼の息が切れるまで続き、姿勢を崩し喘ぐ。しばらくして止まると彼は短い息を繰り返した。
「サイラス大臣、本日の薬です」
いつの間にかレディ・ローズはサイラスの元まで進んでいた。その手の上の金属製のトレイには液体で満たされたティーカップがある。彼女はサイラスの背中を揺すりながら、そのトレイを彼の前に差し出す。
「感謝する。レディ・ローズ」
サイラスは取手の部分を握ると勢いよく呷る。彼の体は病魔に冒されていた。王宮の医者からも先は長くないとそう宣告されていた。クーデターに手を貸してくれたとはいえ、彼女は医者ではない。それでも藁にも縋る思いでサイラスは魔女の薬を口にしていた。
実際、その恩恵はあった。体の重だるさは感じなくなった。手足には若返ったように力が込められる。ただ病状が進んでいるのは確かだった。咳の回数は増え続けており、最近は血が混じることも増えてきた。
「…ところで国王の傀儡化はどうなっている」
「しぶといですね。この王宮のせいもあるのでしょうが、未だ自我を離しません」
「急げ。何度も言うが、王の声と体はわたしが王になったことを世界に伝えるために必要なものだ」
レジスタンスとの戦闘状態が続いている以上、その他の事を早めねばならない。現に新しい方の草案と復興計画についてサイラスは目処をつけていた。
「それとサイラス大臣。吉報です。そろそろ私が『レジスタンス』に潜伏させている手駒が帰ってくる時期にございます」
サイラスは口角を上げる。先ほどまでの辛そうな表情が溌剌としたものに変わる。巧妙に隠されたレジスタンスの本拠地が分かる。その事実は彼自身を高揚させていた。
「いつでも襲撃ができるよう、部隊を整えておこう。…オリバー」
玉座の両端に連なる列の右の最前。そこに立つ漆黒の鎧に身を包んだ青年が声に応じて前に出る。
「任されました、ターナー卿」
右手を回して手のひらを胸の中心へ。それから流暢な言葉を持ってサイラスに礼を捧げると列へと戻った。その位置から彼の方にオリバーは向き直る。
「ではターナー卿。我らは一足先に下がります。お受けした命はお任せください」
彼はそれだけ告げると身を翻す。オリバーが整列する隷属者の最後の一人を越えると、順繰りに彼らも漆黒の騎士に追従する。不規則に木霊する足音がなくなると謁見の間には荘厳な静寂が戻った。
「貴様も下がれ、レディ・ローズ。私も職務に戻る」
サイラスは襟を正して立ち上がる。玉座から数段下に佇む彼女もまた出口へと向かい始めた。
カッ、カッ、カッ。
僅か三歩。レディは何かを思い出したように口を開く。
「そうです、サイラス大臣。一つ報告を怠っておりました」
すでに玉座からおり、下手に捌けようとしていたサイラスの動きが止まる。
「なんだ」
「先日、三名の旅人がこの街を訪れました。内二人は冒険者、最後の一人は動きから察するに恐らく発掘屋でしょう…」
「前置きはいい。どうだった」
その場で長話を展開しようとする魔女にサイラスは有無を言わさぬ口調を向ける。
「彼らはこれまで訪れた冒険者の中でも一際強いでしょう。特にあの白銀の鎧に身を包む少女。彼女の戦闘力は無視できません」
「貴様がわざわざ報告をすると言うことは——」
「はい、お察しのように『レジスタンス』に懐柔されました」
サイラスは直感したわざとだと。この二年間、こういうことは何度かあった。実験した隷属者、もしくは進化した隷属者。それらの能力を測るためだ。
「サイラス大臣、お忘れなきように。私はコレによって生まれる隷属者の観察。それによって知見を得るためにあなたのクーデターに賛同しました」
レディ・ローズはポケットの中から小瓶を取り出すとそれを彼に向けて音を鳴らす。中身は人を隷属者に仕立てられるあの『種子』だった。
「知っている。貴様も約束を違えるなよ。過半数の隷属者は事を終えれば人に戻す」
実際にサイラスは隷属者が彼女の手によって人に戻るのを見せられたことがある。故にロジックこそ分からないが、それが可能であるという事実は知っていた。
サイラスは顔を顰め、訝しさを秘めた目で彼女を睨む。それは彼女がロサイズムに属しているからであった。利害関係でつながってはいるものの彼女に気を許したことはない。クーデターから二年の月日が経ったがそこに綻びはなかった。
しかし、それを意に返すことなくレディ・ローズは手を振って了解を示す。
「分かっていますよ、大臣。これからもお互いウィンウィンで行きましょう」
険悪な雰囲気が立ち込める中、両者は謁見の間を後にした。