十一記_世界滅亡シナリオ
「落ち着きましたか、新さま」
「もう大丈夫です」
そう言って今の席に再びつく。情動が治まった頃には六時を回っていた。だいぶ顔が汚れてしまったので、洗面所で顔を洗った。その時に鏡に映った顔は目の下が赤く腫れていた。こんなに酷い顔になったのは、歩夢が死んで、自身の無力さに辟易し泣き続けた時以来ではないだろうか。
「いけませんね。歩夢さまのことを克明に知る人なんてあなたしかいませんから。どうしても会話が逸れてしまう」
シャーロットさんは上品に手を添えて微笑する。
「では、改めて。歩夢さまが黒バラの呪いによって死したところまではお話ししました」
「はい」
彼女は表情が強張り、淡々と話し出す。柔らかだった雰囲気が、重々しいものに変化する。突然、訪れる緊張感に息を呑む。
「七年後、かの呪いは全生物を蝕み、生命体全てが死滅します」
告げられたのは容易に信じられないことだった。しかし、至ってシャーロットさんは至って真面目だ。むしろその深刻さから口を引き結んでいる。
「嘘ですよね…」
世界滅亡シナリオ。まるで絵空事のような其れを聞かされる。西暦二〇〇〇年、ノストラダムスの大予言なるものが巷で流行ったらしい。俺はあれのように一貫性の流行だと吐き捨てようとした。だが、彼女は冷静なまま——絵空事がまるで事実であるように淡々と語った。
「個体名:ロザ・ペッカートゥム。黒バラの呪いの元凶。義勇兵団が抵抗していますが、その呪いは日に日にペッカートゥムを中心に拡大。この世界に及ぶまでの期間、そのおおよそが七年とされています」
「でも、そんなニュース聞きませんよ」
自身の発言にハッとする。仮に滅亡することが半ば確定しているのであれば、其れこそ情報公開なんてしないだろう。社会の混乱は必然だ。それに今、この世界と言ったか。まるで別の世界が存在するみたいな含みがある。
「今、侵食されているのは地底世界ラビリンス、この世界と地続きの異界です。未知の大陸という認識でも構いません。とにかくこのままではその場所から七年後、呪いの蝕気が地球に齎されます。現在、呪いにかかったラビリンス人は空間を隔てた地球で呪いの効力をわずかながら減退させ、余生を過ごしています」
彼女によると、紋章による呪いは『ロザ・ペッカートゥム』というモンスターから距離を取れば、取るほど呪いの進行を遅らせることができるそうで、世界を隔てると呪いに罹患した人でも平均して五年ほどは生きることができるらしかった。
歩夢もまた、呪いにかかりこの世界にやってきたらしい。俺からすると異世界人ということになるのだろうか。
「それで…誠に勝手な申し出になりますが、新さまにはラビリンスに来て頂きたいのです」
話がどう繋がったのかがわからない。先行きの分からない会話に首を傾げる。そんな俺をよそにシャーロットさんは話を続けた。
「実は、先の戦闘で私の持つ騎士の力を強めるために新さまと強制的に主従契約を結んでしまいました」
俺はあの精神空間の中で自身の欲求と向き合い、『多くの人を救う』という願いが『大切な人を理不尽に失う体験をさせたくない』と理想からエゴに沿ったものへと変化し、それが今の俺が生きる理由へと変化したという。
その『生きる』という意志のみを抽出し、半ば強制的に契約を履行したらしい。
「…んな、めちゃくちゃな」
確かにあの場を切り抜けるには彼女との契約は必須だったとはいえ、契約内容はこじつけもいいところだった。
『力を強めるため』というのは元来、騎士というのは王や爵位のある者に仕えるものであり、主がいない限り持ち得る力に制約がかかる。今回のそれはその一つを解除するための契約ということらしい。
「この世界に黒バラの勢力の侵攻が始まった、となれば近い将来、ペッカートゥムらの掃討作戦が決行されるでしょう。私も其れに備え、ラビリンスに戻り修練を積まなければなりません」
ペッカートゥムがかなり強力なモンスターらしいことは容易に想像できた。作戦というのも決死のものになることは雰囲気から察せられる。戦いに慣れていない俺が主人だと戦場での不都合が多い事は想像に難くない。
「なら、俺との契約を今ここで破棄すればいい。そしたら、俺は——」
そこで口を噤んだ。刹那の違和感。それを追いかけて思考を手繰る。至ったのは無常で…しかし、現実的なものだった。
——世界が七年後に滅ぶのであれば、俺の願いは叶えられない
それに人類にはより時間が必要だ。医学が進歩するのに七年という時間は少なすぎる。狭窄した視野から解放された今は分かる。俺の願いは人から人とへと受け継がれることによって叶えられる類のものだ。なら…
「いや、俺も行く。俺も戦う。その掃討作戦の力になれるかは分からない。だけど、俺をその世界に連れていってほしい…です」
決断の最中、業平と根岸先生。そしてまどかの顔がチラついたが、世界の破滅が決定されれば彼らも無くなってしまう。別れこそ寂しいものがあるが、また今度会えばいい。懐古の念に縛られそうになった俺はそこで思考を断ち切った。
「ありがとうございます。契約は一度結んでしまうと、主が死ぬまで破棄することができません。断られれば、無理にでも連れて行くところでした」
何故か安堵するシャーロットさんに『其れまた、強引な』と思う俺だった。




